雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

参議院選挙 兵庫県

2016-07-10 06:52:29 | 政治

★ 今回の参議院選挙も、今日、日曜日が投票である。

投票には間違いなく『行こう』と思っているし、『行く』のだが、今になっても誰に入れるかは『決めていない』のである。

 

 『参議院選挙 終盤情報』 と検索したら、こんな各県の情勢が出てきた。

 兵庫県とお隣の大阪府の状況である。

 

  

選挙は『優勢』などと言われたら『危ない』と言われたりするのは、私のような全くの『浮動票』があるからだと思う。

6人の候補者のことを全く知らないし、選挙期間中に声を聞いたこともないし、どんな政策を言っているのかも解らない。

みなさんは、本当に『どんな基準』で『どなたに』投票するのだろうか?

 

そういう意味では、衆議院選挙や、市会議員選挙のほうが、ご本人の声も聴けるし、much better である。

こんなことだから『参議院不要論』などが出るのかも知れぬが、そんなことも言っておれないのである。

 

★先ほどの7時のNHKニュースでは、各党首の最後の1日のスピーチを紹介していたが、みんなそれなりの主張なのだが、自民党は今回はまず順調なようだから、各党の主張としては税金の使い方を抜本から改革しようという『利権政治からの脱皮』を主張する維新の会などはイイとは思うが、立てている候補者が少ないから、政治の流れの大勢にはなったりはしないのである。

民進党も期待できないし、やはり『自民党』と言う結果になるのだろうか?

憲法改正への3分の2と言う勢力を確保するためには、兵庫県の場合は維新か公明に一票を投ずるべきなのかな? と思ったりする現在である。

日曜日の朝になって、未だそんなこと思っている。

 

★ 今朝の新聞を見てたら、期日前投票が1319万人で過去最高、全有権者の12,4%だといっている。

兵庫県でも60万人が既に投票しているようで、前回を大きく上回っているとか、今回は関心が高いのだろうか?

朝日新聞などの論調を見てると、自民党は『憲法隠し』と言ってるが、別に憲法改正の方向は自民党だけではなくて、いろんな党がその方向である。

個人的には、『憲法問題』は大いに関心があるので、候補者そのものは決めてはいないのだが、そちらの方向になる方に『投票』することになるのだろう。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こなやのライブ

2016-07-09 09:09:11 |  燦々 Sun Sun

 

★昨晩は『こなやのライブ』 に行ってきた。

 バイオリンとピアノの素晴らしい演奏だった。

 動画に、サワリだけだが纏めてある。

 ご関心のある方は、ちょっとご覧になればいい。

  

 

 その『こなやのライブ』は今晩もある。

 

 

  

 

 

 

★ このライブを協賛しているのが、 『Pinocoa』 である。

昨日は誕生日で、 30歳を迎えた 服部洸太郎くんが主宰している。

 

  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/9c81e50f63c4dc05bba55687646e4382

こんなブログもアップして紹介しているから、ご記憶のある方もおられるかも知れない。

あの時会って以来なのだが、『Pinocoa』は間違いなく進化した。

 

     

 

 

 昨夜、会場で配られたチラシだが、こんな新しい『シンボルマーク』もできているし、

 

     

 

 ホームページも、さわっている。

 チラシの冒頭に書かれている

 

  

 

 とは こんなことのようである。

    

   

 

  ちゃんと表示されている。

 肝心の『情報発信』も ツイッターを始めたとか言っていた。

 

 

 昨日、お会いして概略をお聞きしたのだが、近くもう一度お会いして、『今後の具体的な進め方』をということになった。

 昨夜は、素晴らしい『バイオリンやピアノ』もよかったのだが、

 この服部洸太郎くんの『新しい情報』もなかなか興味が有ったのである。

 

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★54万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキの二輪事業と私 -その2 (市場開発プロジェクト)

2016-07-09 06:32:38 | 自分史

★昭和50年(1975)10月、10年間に亘る国内市場への出向期間を経て、川崎重工業単車事業本部企画室企画課長に復帰したのである。

 

カワサキの二輪車経営は、アメリカ市場中心で大きく伸長したし、『アメリカでの成功』がなかったら、三菱や富士重、新明和のように二輪事業からの撤退を余儀なくされたであろうことは間違いない。

 アメリカ販売会社のスタート以来、その経営を担当された浜脇洋二さんは、アメリカ人の二輪経験者を中枢に据えるカワサキ独自の『現地主義』経営で、販売だけでなく技術部門も、リンカーの生産工場も一番先に実現した積極経営で、どんどんと業容を延ばされたのである。

その間、A1,H1,Z1などアメリカ人たちの発想が色濃く入った名車が開発されて、Kawasaki のブランドはまずアメリカ市場で確固としたものになるのである。創立以来順調に業績を伸ばしてきたそんなKMCではあったが、1973年以降のオイルショックの影響などもあってようやくその経営にも陰りの見えてきた時期だった。

 

急激にその経営規模を延ばしてきた二輪事業は、川崎重工業にとっても、今後の経営の方向は大きな課題で、その対策として川崎重工本社の財務部門の堀川運平さんが自ら企画室長として来られ、さらに吉田俊夫専務が直接二輪事業を担当されて、今後の長期経営構造計画を策定し進む方向を定めようとしていたのである。

然しながら、吉田専務をはじめとするTopの方々は、従来の受注事業としての経営については豊富な経験をお持ちなのだが、量産事業で且つ末端市場での販売部門を自ら持つ、二輪事業経営については全くの未経験なこともあって、私など企画新人の発言にも、耳を傾けて頂いたりしたのである。

そんな私の企画での担当業務は、『その長期構造計画の立案』だったのだが、企画室に戻った時点では既に、生産管理部門を中心に『小型車生産構造計画』なるものが具体的に立案されていて、画期的な生産構造で小型車をどんどん生産すれば低コストの二輪車が出来るので、50万台を売ろうと言う全くの『生産指向的な計画』が立案されていたのである。

そしてこの計画に乗っておられたのが『吉田専務』だったのである。

 

 

★当時の会社の書類と言うのは、すべてが『手書き』だった。公式の会社の資料といっても、それは『私自身の発想』であり、私の自筆の書類なのである。

50年の秋10月に復帰して、4ヶ月目の1月には、既に発本戦略を纏め、企画部長、堀川室長、青野副本部長までの了承を取っているのである。

 

その発本戦略を纏めるにあったって基本的に思っていたのはこんなことだった。

● 企画に来てまず思ったのは、既に立案されている『小型車生産構造計画』などダメだと思った。

● 仮にそんな車が造れてもカワサキにはそれを売る販売網などどこにもない。

● ただ、もう進行中のプロジェクトで吉田専務も気に入っておられる計画だから露骨にダメだなどとは言えないのである

● 『小型車』はそのまま生かして、開発途上国のCKD市場の小型車でスタートしようとしたのである。

● この小型車は同じ小型車でも、100㏄前後のオートバイタイプでCKDだから基本的に明石での生産投資は不要である。

● 中大型車と違って、結構数も読めるはずである。

この辺りの戦略を当時の営業部と打ち合わせて4ヶ月目には報告書に纏めたのである。営業部長が かってカワ販の販売推進部の上司であった矢野昭典さんだったから、信頼もあったしスムースに纏めることが出来たのである。

当時の私のグループは東大出の武本一郎、その下は後二輪事業部の事業本部長も務めた森田進一くんなど英才ばかりだったから、私独特の意見の理解も早く、数値資料などはがっちりと纏めてくれたのである。

 

    

 

 

★そんな1年の動きを月ごとに纏めたのが次の表で、これは私個人のメモみたいなものだが、この表の中からもカワサキの事業の動きが読み取れるのである。

 

 

  

 

1月には『発本戦略』として単に生産構造だけでなく『経営全体』特にマーケット状況を纏めている。

2月には、田中部長が推進していた『生産構造計画』の纏めを手伝っている。自工会企画部会の佐藤英明氏とあるのはホンダの佐藤さんのことで、なかなかの人だったが、何となく気が合って、長くお付き合いが続いたのである。後年、杉沼浩さんをMFJの常務理事にお願いした際、引き受けてくれたのが佐藤さんなのである。

3月には、『小型車に関する考察』と言う論文を纏めている。これはあとでちょっとだけ資料をお見せしよう。私にしか書けないといっていい独特の論文である。 10年間のマーケットへの出向が効いていて、事業部Topから一字句の修正もなく承認されたものである。

4月 種さんはドイツが決まった。 調査団の団長は最初は大槻幸雄さんが指名されたはずだが、ミスターHPの大槻さんは小型車などと断られて、高橋鐵郎さんに変わったはずである。先日大槻さんご本人に聞いてみたら断ったと言っておられた。

5月~6月 台湾ータイーインドネシアーイランーマレーシヤと約1ヶ月の現地調査、その報告書などすべて一人で纏めた。

メンバー 高橋鐵郎団長、安藤佶郎副団長、川崎芳夫、山辺昂、松田与市そして私 と案内役に多賀井クンの7人そして秋には『市場開発室』と言う新しい部門が出来て、高橋鐵郎さんが技術本部長のまま市場開発室長を兼務されたのである。

この1年は、私が建てた『仮説通り』に進行して具体的なプロジェクトとしてどんどん動き出したのである。年末には私もその一員として企画から1年で異動してこのグループでは文字通り高橋さんを支えて中枢として動いているのである。

 『企画がエリートコースなら、自らそれを捨てる道を選んでいる』、『1年間の企画は勉強にはなったが情熱は湧かなかった。本当の意味で企画の中枢に返り咲く日を楽しみに』などと本音を書いている。

 

 

 

★前述した『小型車に関する考察』と言う私が書いた当時のトップへの報告者だが、この報告書によりこの1年が動いたといってもいい。25ページにわたるものだが、事業全般を総括したものであり、結構ちゃんと計算して、戦略的に持論を展開しているのである。  

その最初のページの書き出しである。

若し問題があれば、ご指摘下さいと申し上げたのだが、一字句の修正もなく、報告書通りに承認されたので、自由に具体的に自分の思う通りに動けたのである。

 

 

   

 

 

そして最後の纏めで、受注産業のメーカーとして 発展してきた川崎重工の一番の『不得意分野』の販売会社を含めた事業展開の経営理念などを指摘しているので、Top としてもただ聞くだけで『よきに計らえ』ということになったのだと思う。

 

   

 

 私のカワサキに於ける40年間は、端的に云えば『カワサキのブランドイメージの高質化』活動であったと言い切れるのかも知れない。

業界で『暴走族はカワサキだから、二輪車のイメージ向上は川崎さんで』などと冗談で言われたりしたのだが、結構私はマジメに取り組んだのである。

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石高校

2016-07-08 15:29:41 | 発想$感想

★ 明石高校は、わが母校である。

孫が免許証の更新ですぐ隣の自動車試験場まで行ったものだから、その待ち時間に久しぶりに中に入ってみた。

 

  

 

 もう65年も前の卒業だから、校舎なども全く新しいものに替わってはいるのだが、当時のままの懐かしい想いでもいっぱいである。

 

  校門を入ったすぐ横にある、野球部の闘魂碑

 

 

 

 その裏面には、その実績が刻まれている。

 春夏合わせて14回の出場で、少なくとも昭和25年の夏、われわれの現役当時までは、昭和の初めの実績が強烈で『名門明石』と言われていたのである。

 そのあと10年飛んで昭和35年に、このころもよく覚えているが、昭和の終わりころに2度出て以来、甲子園にはご無沙汰なのである。

 

 

 

   数々の優勝カップが飾られていて、これかなと思って撮ってきたが、第42回大会は10年後の昭和35年のものらしい。

 

  

   

  定かではないが、ひょっとしたらこれかも知れない。

 

    

  

   懐かしいグランドはそのままである。

   我々のころはこんなに整備はされていなかったので、練習は夏前になると殆どが明石球場だったのである。

 

    

 

  今の学生さんたちは、みんな多分バスでの通学だが、65年前はバスなどは走ってなくて、徒歩での通学であったし、明石球場までも勿論歩いていたのだが、

 

   

 

  ふと標識を見ると明石駅まで1㎞しかないのである

 もっと遠い道のりを歩いていたと思ったのだが・・・・

 

 1923年の創立だから、2013年の90周年を迎えたのだが、100周年にはなっていない。

 私が生まれる10年前だから、父や伯父は明石に中学校がなくて当時の名門柏原中学卒業なのである。

 

  

 

 然し校内にある木々は立派で歴史を感じさせる

 

  

 

 校舎の中に大きな楠がそのまま生えている

 

  

 

そこから上を望めば、こんな感じになる。

 

★今年北条高校から転任されたという先生とちょっと『立ち話』

 『歴史のある名門ですから・・』と言われていた。

 『北条はクラス数が少ないのですが、ここは9クラス・・』と言われていた。

 1学年 3クラスということか。

 私たちの頃は、一体何クラスだったのだろう?

 よく覚えていないが、神戸高校の併設中学の中学時代は私は3年9組だったのである。

 

 そんな高校時代のこと、久しぶりに思いだした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶどう 雑感

2016-07-08 05:31:20 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★つい先日『葡萄を育てることにした』と言うブログをアップした。

  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8095f35ddf8d1c30cce0fb4537645a4a

 

先月末のことで庭に植えたブドウは、その後大きな変化はない。

 

 こちらは、巨峰

    

 

  こちらは シャイン・マスカット

    

 

  殆ど変化はないのだが、未だ夏だし、今年中にはもう少し大きくなるのだろうか?

  来年の春には、新しい枝が伸びるのは間違いないのだが、

  来年は、果たして実がなるのだろうか?

 

 

★ 今朝、近くの教会の垣根に、こんな葡萄を見つけた

 特に、特別の手入れなどしている様子はないのだが、ちゃんといっぱいの実を付けている。

 

  

 

  こんな感じなのである。

 

  

 

 

  フェンスにこのように、這わせている。

   

 

  道路から手を伸ばすと、ぶどうの房に手が届く。

  どれくらい、熟しているのかと触ってみたが、全然ぶどうのあの柔らかい感触はなく、柿の実のような固さだった。

  あとしばらくかかるのだろう。

  然し、こんなに沢山実を付けているのを見て、大いに自信にもなったし、期待も大きく膨らんだ。

  何年後になったら、こんな風になるのだろう。

 

 

★ 我が家のフェンスには、いま『ラズベリー』がなっている。

これは、もう10年以上になるのだが、大きくなり過ぎるので、今年は半分ぐらいに枝を減らしたのである。

 

 

 

 

 巨峰のほうは、このフェンスに這わせようと思っているのである。

 

    

 

陽当たりは最高だし、フェンスの一番上を這わせたら、そこから巨峰がいっぱいぶら下がっている姿を夢見ているのである。

『取らぬ狸の皮算用』の部類かも知れぬが、そんなことを創造するだけで楽しいのである。

 

 シャイン・マスコット のほうは、今の庭木をもう少し剪定して、ガラスの窓際のすぐ横に、『すだれ代わり』に緑の房が西日を遮ってくれたらいいと思っている。

来年は、定かではないが再来年は大丈夫イケそうなのである。

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★54万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小池百合子 東京都知事選 雑感

2016-07-07 16:19:27 | 政治

★ 東京都知事選、 小池百合子が崖から飛び降りた

その覚悟発表の『記者会見』 産経が詳細に伝えている。

 

  

 

 http://www.sankei.com/premium/news/160706/prm1607060006-n1.html

 

長いが、全部読んでみた。

迫力がある。 

私が若し都民なら間違いなく小池百合子に1票を投じる。

この記者会見の記事を読んでそう思った。

 

1から10までと長いが、是非東京都民は『お読みになることをお勧めする

リーダーには、能吏や実務経験など必要ない。 

 

リーダーに必要なものは、

確りとしたコンセプト理念それを実行する迫力、リーダーシップ 安倍さんにも、橋下さんにも、それがあるから応援してきた。

日本の首都東京のリーダーには、燦々と光り輝く人材を期待したい

 

 

★時代がどんどんと変わる中で、日本の政治の仕組みや構造は、全然変わっていない

その典型が 東京都連や東京都の議員さんである

自分たちの思う通りに動く増田さん』を推そうとしているだけで、都民のことなど考えてはいないのである

自分たちの思惑通りには動かないちゃんとした『意思を持った小池さんはどうも扱いにくい』のだと思う。

 

大阪も橋下さんで、昔の大阪は一変した。

兵庫県は、野々村議員のあの1件で、政務調査費をネット公開するだけで何億円もの税金が浮いた。

東京都の膨大な予算の『利権追求すると言う公約』だけで、東京都民は小池百合子さんに投票すべきだと思う。

 

安倍さんも、橋下さんも、かってのホリエモンのように、ちゃんとした『仮説』を立てて行動するから、そしてそれが当たるから、いろんなことが実現するのである

東京都都知事選に出ると宣言して以降、多分間違いなく『小池百合子さんが建てた仮説』通りの展開になっているのだと思う。

そう言う意味で、小池さんは相当な戦略家でもあり実力者でもある。

それだけで知事の資質を持っている。

一度は総理をめざしたりもしているが、『都知事』は格好の役職のように思うのである。

 

 

話された中で、私の印象に残った言葉

● このままでは推薦を得られないので、不本意ながらパラシュートなしの立候補となる。もちろんリスクは山ほどある。首都東京の改革、都民目線によるさまざまな問題解決のために覚悟を持って臨みたいと思う。

● 『政党がコロコロ替わる』というようなご指摘もいただいている。しかし、改めて申し上げると、それは政党の離合集散の結果であって、政党名が変わっただけであって、私の主張、思想、そして信念は一度も変えたことがない

● 改めて思うと、政党というのはあくまで機能体であって、仲間内の運命共同体ではないと思う。特にこの東京の自民党都連ということについては、むしろ改革が必要ではないかと思う。

● 挑戦するときは退路を断つということが、私にとってのこれまでの生きざまだ。いつも安全ネットも設けずに飛び込むので、周りをひやひやさせることがあるが、やはり社会を変える、世の中を変えるときというのは、そういったことも必要だと思っている。

● 都政の安定はもとより重要だ。着実に一つ一つをこなしていく。進めていく。とはいえ、日本もそうだが、東京が抱えているさまざまな課題はより大胆な、そして強力なリーダーシップでこそ、達成が可能なのであって、そのことを率いるリーダーが必要だ。なんでも都合のいいようにやってくれるリーダーが都政に必要なのかというと、私は違うと思う。

 

  

 

● 全体的な政策だが、これは舛添知事時代にまとめられた東京都の長期ビジョンがある。とてもよくまとめられている。それぞれの地域のニーズ、多摩、島嶼(とうしょ)地区などなど、現実に即したさまざまな課題をビジョンとしてまとめたもので、基本的に私はこれを継承していきたい。こんなにすばらしいビジョンがあったが、舛添知事は惜しいですね。 

● みんなが当たり前だと思っていることをそろそろやめませんか。例えば、満員電車。みんな苦労するもんだと思っているけれども、あれこそ高度成長の名残で、苦労して出勤するというのは、それを緩和することを根本的に考えていく。これを意識を変えるところこれは予算がいらないんです。そこからやっていく。力強い発信をしていきたい。これは知事になってこそ、その言葉にエネルギー、パワーも出てくるものだと思っている。

 

 

★、マスコミは、ずっと『小池問題』を取り上げている

これも、小池さんの読み通りに進んでいるのだろう。

果たして、東京都民は、どんな判断をするのだろう。?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KAWASAKI THE LEGEND & FUTURE  雑感

2016-07-07 08:34:50 | NPO The Good Times

★ 時が経つのは早いなと思う。

グリーンピア三木で開催されたKAWASAKI Z1 FAN CLUB 主宰の

KAWASAKI THE LEGEND & FUTURE』 が開催されてもう3年にもなる。

 

 この動画そのままの素晴らしい会合だった。

 こんなメンバーたちが集まったのである。

 

  

 

 

その前の年に平井稔男さんの開催された

カワサキの想い出、そして未来』もそうなのだが、

 

  

 

こんな二つのイベントは、どちらも『KAWASAKI ,カワサキ』とネーミングされていて、『KAWASAKI ,カワサキ』に関係のあった方たちが集まっておられることは確かだが、集まってる方は世界から、多彩に、ホンダ・スズキ・ヤマハの方たちも、銘柄には関係なく、集まっておられるのである。

  

仮に『メーカー主催』では、どこがやってもこんなメンバーにはならないし、こんな感じのイベントにはなったりはしないのである。

間違いなく、この世界の有名人たちが集まってはいるのだが、そんな人たちを誘って集めてくれたのは、主宰者ではなくて、このイベントに参加した人たちが自由に集めてくれたのである。

そのあとの情報発信も、この動画なども、参加者の方が善意で作られたもので、内容はプロが作られているので高度なのだが主宰者予算としては発生していないのである。

 

そんな自然に繋がる関係だから、自然に成り立つように思う。

でも、この二つのイベントのキーパーソンは、間違いなくいて

一人は 登山道夫さん

もう一人は 平井稔男さん 

このお二人が居なければ、こんなイベントにはなっていないのである。

 

★若い頃から、何となく、数多くの『イベント』に関わって生きてきたが、『イベント』は、別に大規模でなくてもいいが、その内容は『高質なコンセプト』に裏打ちされたものでありたいなと思っている。

7月も、8月も、9月も、10月も・・・

『イベントの予定』は入っていて、何らかの形で『お手伝い』をすることになるのだが、

『想い出にもなり、且つ未来に繋がる』ものでありたいと思っている。

平井さんがネーミングされた『カワサキの想い出、そして未来』は、そのコンセプトも内容もなかなかだったなと思っている昨今である。

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★55万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さんさん広場の清掃

2016-07-07 06:46:05 |  燦々 Sun Sun

 ★7月6日の水曜日、 ホントは久しぶりの『水曜マルシェ 再開』の予定だったのだが、

昨日の晩、Facebook に 突如こんな 表示が現れたのである。

 

 

 その理由は、書いていないが、実は『うどんのこな』が間に合わずに肝心の『うどん』が作れないのは、如何にも向山くんらしくて、オモシロいのだが、 そのために急遽『さんさん広場』の美化運動 ということになったのである。

 

その目的の美化運動は、こんな感じでバッチリ、綺麗になった。

 

 

 

 

 こんなもみじがすっきりとした。

 

 

 

  

 

 

  それはそれとして、次から次にいろんな人たちが顔を見せて、『ナイストーク』の連続だったのである。

 

  

  池田さんは11時に来て、夕方6時まで。

  昼には うどんもないのに、 垂井ご夫婦が。

 

  

 

  『よろず屋』の 穂積さん も仕事の合間に。

 

   

   

   栄太楼の前川さんからは、ういろの差し入れも頂いた。

   

   

  

 夕方からは川西さんも掃除のお手伝い。

 私も1時から6時まで、草抜きも剪定も、水やりも結構ちゃんと役に立ちました。

 

  そんな『さんさん広場』の半日の動画です。

  https://www.youtube.com/watch?v=wl9Hhl-sO8I

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の運動

2016-07-06 09:05:22 | 発想$感想

★ 毎朝目が覚めると布団の上で40分以上のストレッチをするのは、10年来の日課になっていてそこから1日が始まるのである。

足腰の筋トレなどもやるので、結構筋力もあるのだが、以前は時々やっていた近所の公園での50メートルほどのダッシュは最近はやってなくて、どうかなと思っていたのだが、今週初めにふと思って、『朝早くやれば夏でも大丈夫』とやり始めたのである。

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/88f1ad8f2fb3ce2f2a80f31c398bdab9

7月4日のことだから、まだ始めたばかりだが、3日目の今朝までは続いている。

3日坊主』にならぬようにこのブログにアップしている。

世の中に公表することで、『ムツカシイこと』が途中で終わらないように、自分を『縛る』のは現役時代からの『私のやり方』である。

 

夏だから、年寄りの熱中症などあって、注意はしないといけないのだが、今のところ大丈夫だと思っている。

足腰が強くなるということはいいことだし、何よりも『綺麗に早く歩ける』のがいい。

年寄り独特の歩き方 にならないようにが目標なのである。

 

 今朝の『朝の運動』動画を撮ってきた。

  https://www.youtube.com/watch?v=31BtGQWvrHE

 

 

 家から歩数で数えて400歩はないぐらいのところに公園はある。

 行くときは、こんな坂道のほうから登っていく。

 

 

 

  道を曲がって、2つ目の角を右に折れると公園である。

  

 

 

 こちらに藤棚がありベンチからみたところだが、向う側までが約50メートル。

 ダッシュをする歩数で33歩ほどである。

 

  

 

  この頃は、毎朝つばめが飛んでいる。

 

  

 

 

  走ったあとの鉄棒を使ったストレッチ

 

   

 

結構ちゃんと、足は開く。 大体だが相撲取りのように『股裂き』は出来る。

いま足が180° 開くように挑戦中である。 いつか必ず『できる』と信じている。

毎日1ミリ、伸びたら1年で36cm伸びるのである。

3年前までは出来なかった『股裂き』がいまは出来ている。

 

 

 50メートル走は、結構ちゃんと走れた。

 もう10日もすれば、ほぼ完全になると思う。

 

 

 帰りは逆の表通りから戻ってきた。

こちらのほうが近い。  

 左がちょっと有名なカレー屋、SWAAD, その横が三の宮行きの特急バスが止まる停留場である。

 家まで200歩はない距離である。

 

 

 

 

いまの時期、 毎年だが『ラズベリー』がいっぱいなっている。

 

 

 

 

 これくらいになると、そのまま食べても甘い。

 

 

 今日も健康的に1日が始まった。

 

 午前中に三木市民プールに行く。

 

 久々に『土林水庵』の向山信吾くんが『水曜マルシェ』をやるというので期待していたのだが、肝心の『うどん粉』が間に合わずに、

 

   

 

 こんな花壇の草取りと清掃をやるという。

 それもまたいいかなと思っている。

 昼から参加することにしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝のブログのアクセス

2016-07-06 07:20:02 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★毎日、ブログはアップしていて、結構沢山の方が訪れて頂けるのだが、1000人を超えることは珍しい。

 

 

   

 昨日は1324人の方が訪れて、3374ページをご覧になったということである。

 gooのブログの250万人中の211位となっている。

 

 

 

  

 これがその一つ一つのブログに訪れた方の数だが、単に雑感日記を毎日お読みになる方もおられるのだろうが、ネットの検索から来られる方も多いのでこんな結果になっているのである。

最近のものだけではなくて、何年も前のブログにアクセスがある。

 

 情報発信は単独ではなくて、いろんな仕組みを使ってやるほうが効率的である。

 昨日のブログの中で一番アクセスの多かったのは『カワサキの二輪事業と私』と言う自分史だが、これをツイッターで見た人、さらに『リツイート』された方が多くて、ブログをご覧になった方は1000人ちょっとだが、

 

 

 

 このツイッターをご覧になった方は何万人もおられるのだろうと思う。

 このツイッターから、わざわざリンクをクリックして、ブログをお読みになった方が564人もおられるのである。

 いつもより、ツイッターの反応が多いのは、私のツイッターのフォロワーの中には二輪関係の愛好者が多いのだろうと思っている。

 

★ ブログ・Facebook・ツイッターなど1日のうち、パソコンの前に座ってる時間は相当なもののである。

 そのほかにパンダ碁を毎日5,6局は欠かさず打ったりするので、それなりにアタマは使ってるのでボケ防止にはなっていると思っている。

どうしても、じっとしている時間が長いので、最近はプールに泳ぎに行ったり、庭仕事などもやっている。

今週から毎朝近くの公園まで行ってやってる『50メートルダッシュ』も4日目だが続いている。

 

『自分が頑張れば出来ること』 これらはみんなそんな部類だから今後も頑張って続けたい。

ツイッターのフォロワーは、いま549000人台に今週入った。遅くとも来週中には 55万人が達成できるだろう。

50万人になったのが昨年の12月11日だから7か月で5万人のペースで増えている。

 

みんな単なる数値だが、『イチローのヒット』ではないけれど、何となく積み上がって増えていくということは『励み』になるものである。

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★54万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキの二輪事業と私 ーその1  (企画室 時代)

2016-07-05 10:34:23 | 自分史

★ 昭和50年(1975)からの4年間は、カワサキの二輪事業の方針が大きく変わったその転換期であったと言っていい。

その年の10月、10年間の国内販社への出向が終わって、私は事業部の企画部企画課の筆頭課長として事業部に戻ったのである。

オイルショックの影響などもあって、それまで事業を引っ張ってきたアメリカ市場に陰りが見え始め、二輪事業の将来を考えるべく川重本社財務本部から堀川運平さんが単車の企画室長に赴任し、自ら旗を振られていた時期である。

端的に云って、それまでの浜脇洋二さんのKMC主体の二輪事業運営に疑問を持たれていたし、当時の吉田俊夫専務が直接二輪事業を担当してその長期計画の策定を試みられていた時期なのである。

 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/5bc650a68e655a5e0a039eca9042c2fa

 

こんな時期に企画室企画部に戻ったのである。

当時の企画室は高橋宏部長のころでその下に何人かの課長がいたのだが、年次からいって私が企画方針などを纏めることになったのである。そのほかの課長には田崎雅元さん(後川重社長)などもいたのだが、当時はアメリカ市場のKMCとリンカーン工場を岩崎茂樹と一緒に担当していた。カワサキの二輪では有名な種子島経さんもKMCから戻って、ドイツへ出向するまで、この時は私の隣にいたのである。

 

この4年間の『事業部の方針決定』に私自身も企画と言う職務柄大きく関与したので、『自分史』の一部として纏めておきたいのである。私の手元にはこの4年間だけで、このような当時の資料がそのまま残っている。その中の一部を開示しながら当時のカワサキの動きを振り返ってみたい。

 

 

  

 

いつまで続くかは解らぬが、『自分史』として纏めてみたいので、ご興味のある方はご一読願いたいのである。

出来る限り当時の資料を忠実にお見せしたいと思う。

 

  ちなみにこの一冊は、それ以降私が整理している『カワサキの二輪事業』の資料の第1冊目なのである。

 1975年から始まって1998年の現役最後の年までの約30年間がここにある。

 

 

 

現役のころは、『会社の仕事』が私の人生の殆どだったので、これらの記録は『私の自分史』そのものなのである。

当時は未だパソコンもないし、73歳になるまではパソコンとも無縁だったので、手書きの自筆で書かれた資料が殆どなのである。

 

  

 

  これは私が『自分史』で纏めている、生まれてから今までの一覧表だが、今から書こうとしている40歳から67歳までの会社と私事が並んでいる。元データーは20歳の時から続いている日記帳からなので、日時などは間違いないのである。

ちなみに、三木の家を建てたのが40歳、三木市に転入したのが41歳の時である。

● 1976 KHI 企画に戻って一番最初に手掛けたのが、『東南アジアプロジェクト』  44歳

● 1979   国内カワ販再建  ハーレーのダンピング訴訟から国内体制の抜本的対応が行われた  47歳

● 1983   二輪事業部再建  HY戦争がアメリカまで飛び火してカワサキは二輪事業の存続も危ぶまれた  50歳

● 1987   SPA直入の建設    55歳

● 1989~1990年代  カワ販専務(高橋鐵郎社長)として国内市場を担当    57歳

 

波乱に満ちたカワサキの二輪事業の歴史なのだが、それも1976年から1986年の10年間で『事業再建期間』と言うか『事業体質の大転換期』が終わり、それ以降はカワサキの二輪事業は『安定期』に入ったと言っていいのである。

この激動の10年間の『真ん中』に座らされて、その対策と『新しい時代への仕組み構築』の起案を私は担当したのである。

当時の山田熙明川重副社長など当時の本社の方たちの指示で『国内カワ販再建』を担当し、同じ山田さんの指示で二輪事業の企画に戻ったのである。そして再建屋として単車に来られた大庭浩本部長の番頭役として、いろんなことを起案実行に移したのである。上司の高橋さんやKMCの社長をしていた田崎さんの協力、支援があって、二輪事業は安定したと言っていい。

1990年代は、間違いなく国内のいい時代であった。 目標の7万台も達成されたし、鈴鹿8耐も優勝した。いろんな施策もみんな当たって

Kawasaki.  Let the good times roll!の 基本コンセプトは国内市場で20年ぶりに復活し、高橋鐵郎本部長により、世界のカワサキのコンセプトとして展開されるようになったのである。

 

 

★今からどれくらいになるのかは、よく解らぬが、手元にある資料をご披露しながら、『カワサキの二輪事業の歴史』を出来る限り正確にご紹介したいと思っている。

ひいては、それは私の『自分史』でもあり、自分のためにも纏めておきたいと思っているのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックゴルフ 松山辞退

2016-07-05 06:28:46 | 発想$感想

 ★ 『松山英樹のリオ5輪出場辞退に想うこと』 とこんなニュースが流れた。

 http://bylines.news.yahoo.co.jp/funakoshisonoko/20160704-00059587/

 

 私自身は、オリンピックでゴルフ競技があることすら知らなかった。調べてみたら過去2回開催されていて、それは私も生まれていない100年以上も前の開催なのである。

夏季オリンピックにおけるゴルフ競技は、1900年と1904年の2回にわたりオリンピックにて開催されたゴルフ競技である。長らくオリンピック競技からは除外されていたが、2009年コペンハーゲンで開催されたIOC総会で、2016年のリオデジャネイロオリンピックより復帰することが決まっている。

   

 

 

★率直に私見を言えと言われたら、

● オリンピック競技に『ゴルフ』という競技は合わないと思う。 100年もの間、競技が採用されなかったことからみても、オリンピックという大会には、もう一つだなと思うのである。

● オリンピックらしい競技は、陸上の100メートルや、マラソンなど勝ち負けが明確なものがいい。

● ゴルフは、その試合で仮に勝ったとしても、『世界一』と言うにはちょっと・・・と思ってしまう。

● 松山だけではなくて、有望選手が軒並み『辞退』しているのは、いろいろ理由はあるのだろうが解らぬではない。

● サッカーのように年齢制限を付けて、『20歳以下』などにすればいいのかも知れない。

 

 

 船越園子さんと言う『ゴルフジャーナリスト』が その感想を書いているが、

 

大半は「理解できる」  と言っている。

 

大体、世界ランキングと言うのが、『解ったようで解らない』必ずしも間違いない『順位』とは言いきれないように思う。

 

「ヒデキ・マツヤマの辞退はアジアで一番のトッププレーヤーの顔がリオ五輪から無くなったという意味でシンプルに残念。でも辞退を決めた事情は理解できる」とは、米国人記者の感想だった。

【最優先されるもの】

五輪におけるゴルフは72ホールのストロークプレー、個人戦で競われる。松山は「これがチーム戦だったら話は別。違う決断だったかもしれないですけど」と言った。この言葉を咀嚼すると「チーム戦だったら多少のリスクを背負っても出場する決断をしたかも」ということになるのだろう。

だが、五輪が国や地域の名誉をかけて戦うものであっても、個人戦で勝ち取ったメダルが国旗掲揚と国歌斉唱につながる名誉であっても、そしてゴルフが個人戦であってもチーム戦であっても、いずれにしても選手の命や健康以上に優先されるものはない。情勢不安やテロリストによる襲撃など様々な事件が世界のあちらこちらで勃発している昨今、リオデジャネイロの治安の悪化を重く受け止める姿勢がワールドワイドに活動するツアープロたちの間で強く見られるのは当然のこと。

そんな中、命や健康を優先して五輪出場を辞退したとしても、その選手たちを責めることなどできないし、出場を辞退したからと言って母国を想う気持ちに変わりはない。

 

★ 船越園子さんは『感想』の中でこのように述べているが、『これはちょっと違う』 と思う。

オリンピックに参加する選手たちは、みんなそう言う環境の『ブラジル』に行くのだが、『治安』などを理由に辞退をする選手などいないのである。

ゴルフ選手の出場辞退は、基本的に『オリンピックのゴルフ』を重く受け止めていないのだと思う。

仮に、安全な『東京オリンピック』であっても、世界の超一流が集まるかどうかは不明だと思う。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝、思っていること

2016-07-04 08:58:00 | 発想$感想

★今朝、5時少し前に目が覚めて、いつもの通り寝床でストレッチをしていたのだが、体も柔らかくなって筋力も付いてはいるのだが、以前公園でやってた50メートルダッシュを最近はやっていない。

筋力は付いているから、ちゃんと『走れる』はずなのだが・・・

『やってみるか』 と5時過ぎに近くの公園まで歩いて行って、そこで走ってみた。

50メートル走を 5本

結構ちゃんと走れた。 バタバタになったり、足がもつれたりしなかったのがよかった。

50メートルを 30っぽか32歩ぐらいで走っている。

 

5時半には家に戻って、庭の草を抜いたりした。

 

 

 

 

 

 

 昨日の夜の雨で開いたのか、この春盆栽で頂いたものを庭に植えたらこんな花が咲いた。

名前が解らないと、Facebook にアップしたら、

それは 「金糸梅(キンシバイ)です』 と教えて頂いた。

 

  

  

 

★ 自分さえ頑張れば、ちゃんと結果の出るものもある。

 

 老化しがちな体の維持などはその典型だし、庭いじりもちゃんとやれば、ちゃんと結果で応えてくれるのである。

世の中の『協働』も仲間と一緒に築き上げる独特の楽しさや感動もあるのだが、これは幾ら『自分だけが頑張ってみても』その結果はなかなかでなくて、『歯がゆさ』を覚えることもあるのである。

 

 『自分さえがんばれば、ちゃんと結果の出ること』 考えてみれば幾らでもありそうである。

 あれもこれもはなかなか難しいが、朝30分ほどの『肉体強化』『50メートルダッシュ』は、続けてみようかなと思ったりしている。

いまからは、夏の暑さが待っているが、早朝ならそんなに暑くもない。

身体を動かすということは、子どものころから嫌いではない。

子どものころに戻って、走り競争をするのもまたいいかも知れない。

歩いたり、長距離を走ったりする方も多いのだが、多分そちらは時間が掛かり過ぎて続かないと思っているのである。

 

今朝は何となく、そんなことなど思っている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大谷と栗山日ハム監督

2016-07-04 05:42:24 | スポーツ

★  こんな見出しの記事が踊った。

 『1番・投手』の大谷が初球を先頭打者本塁打

 

 スター選手と言うのは何かを持っている。 

 投手と打者の二刀流も。スゴイのだが、そのどちらも、超一流というのがいい。

 

   

 

「ソフトバンク-日本ハム」(3日、ヤフオクドーム)

 日本ハム・大谷翔平投手(21)が「1番・投手」で先発し、先頭打者本塁打を放った。
ソフトバンク先発の中田の初球124キロの変化球をフルスイング。打った瞬間、それと分かる打球は、右中間スタンドへと吸い込まれた。

 先発で7勝を挙げている大谷は、これで2ケタとなる10号本塁打をマークした。
6週連続のリアル二刀流での出場となる大谷は、これまで主に中軸を打っていたが、投手を兼ねながらの1番打者は初。オーダー発表時は、スタンドの観客からどよめきが起こった。

 プロ入り後、1番でのスタメン出場は2013年5月6日の西武戦以来。この時は「1番・右翼」での出場で、投手としてトップバッターを務めるのは、入団4年目で初めて。
9連勝と波に乗っている日本ハムだが、2007年以来の10連勝に向けて、大谷がトップバッターとして打線の口火を切った。

 

 

 

どちらか一本に絞るべきだ』という評論家やプロ野球関係者も多かったが、最近はその声も聞かれなくなったように思う。大谷がその実績で周囲の声を抑えてしまったように思う。

 

  

 

 何よりも、彼の非凡さを認め、『二刀流での使い方』を宣言して大谷を取った、栗山監督が素晴らしいと思う。

その宣言通りの使い方をしているし、大谷もそれに応えている。

 

いつかは大リーグに行くのだろうが、それまでに実績を積み上げて、『大谷独特の二刀流の条件』で大リーグに行けばいい。

いろんな記録を積み上げるのもいいのだが、『世界でオンリーワン』の野球選手で成功するほうが、オモシロい。

投手としては『1週間に1度』・ 『打者では何回』と言う 大谷スタイル を栗山監督と一緒に確立すればいいと思う。

いずれにしてもスゴイなと思う。

 

 

★ 『花巻東大谷投手 日ハム入団へ』

  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/5a0d4487aae8c5f30cebbe826e820995

 

  4年前に書いたブログである。

 

 

  

強行指名となった日ハムは、現在大谷投手の両親と交渉中。10日には、高校からメジャーへ挑戦することがいかに困難であるかをレポートした「大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」という独自の資料を用意し、両親の説得を試みた。

スポーツニッポンによると、交渉後大谷投手の父・徹さんは「大変いい話を聞かせてもらった。大事な分岐点。時間をかけて本人にも伝えたい」と話したとのこと。明確な答えは出ていないが、幾分日ハムサイドに傾きかけているような雰囲気も感じられる。

 とそのニュースは伝えている。 

 

 

 栗山監督との出会いがなかったら、今の大谷は出現していない。

これからも「、是非独自の道を歩いて欲しいと思っている。

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★54万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキの創世記のレースの記録

2016-07-03 09:04:54 | カワサキ単車の昔話

★つい先日、『私の人生とレースの世界』 というこんなブログをアップした。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/77f92da7e7c4af880bd49dd68fa0ad9b

 

 特にFacebook では好評だったので、その当時のレースのこと、こんな記録で残っていたのでご紹介しておきたい。

2011年3月4日、平井稔男さんが主宰した『カワサキの想い出、そして未来』の時に纏めていたもので、外には発表するのは、これが初めてである。

自分のために纏めていたようなものだから、そんな目でお読み頂きたい。

 

  

 

 そのスタート、公式にカワサキが発表したレースの最初の写真だと思う。

 素人写真ではない。当時の広告代理店 大広が撮って広告宣伝にも使った写真なのである。

 

  

 この時代の単車部門は機能としては企画も営業も品証も有していたが、人数はサービスも10人ほどの小規模部隊だったのだが、昭和39年に単車事業部として独立してからが本格的な動きになるのである。

 

   

 

 当時の川崎航空機の本社から開発費として1億2000万円の広告宣伝費を3年間貰ったので、金は使いきれないほど潤沢だった。 ライダー契約金などもすべてこの中から支出していた。そんな関係でライダー契約は広告宣伝課、ライダーたちはみんな広告宣伝課の嘱託だったのである。

昭和40年までは直接は川合さんが担当、40年からは私が担当した。

 

    

 

 当時のレース委員会は、今思えば錚々たるメンバーである。私がその事務局をやっていたが、後、川崎重工業の社長に田崎雅元さん、副社長に山田熙明、高橋鐵郎さんがなっている。

 

 

  

 

  この年あたりから、ロードレースがスタートしている。 F21Mが出たのもこの年である。

  事故や問題続きで大変な年だった。

 

  

 この時期が私の第一期のレース担当の時代、カワサキが二輪の世界で一番になれたのは、『レースの優勝』だけだった、そんな時代である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする