鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

フランシスコ・ザビエルの史跡(伊集院編)

2008-10-30 | 史跡
日置市伊集院町にある、ザビエルの史跡です。


伊集院にある城山(じょうやま)公園。
ここは一宇治城の跡で、ザビエルが来日した当時、藩主の島津貴久が住んでいたお城です。


城山の麓にあるザビエルの像。


山頂にあるザビエル碑。
丸に十の字と十字架を組み合わせたものです。
ザビエルは、この城の奥の院で貴久と面会し、布教を許されました。
貴久は、日本で始めてキリスト教の布教を許した人です。
貴久35歳、ザビエル43歳のときでした。


山頂には展望台があります。


展望台から伊集院の町を眺めたものです。
向こう側に桜島が見えます。

ザビエルも、この景色を眺めたんでしょうね。
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フランシスコ・ザビエルの史跡(鹿児島編)

2008-10-29 | 史跡
鹿児島県に伝来したものに、鉄砲とキリスト教があります。
フランシスコ・ザビエルの、キリスト教伝来の史跡を集めましたので、まとめて紹介します。


鹿児島市祇園之洲にあるザビエル上陸記念碑。
ザビエルは、リスボンを出航し、インド、マラッカ、モルッカ諸島を経て、1549年、鹿児島のこの地に上陸しました。
案内したのは、マラッカで加わった鹿児島出身のヤジロウです。


鹿児島市東千石町のザビエル公園にあるザビエル記念碑。
この石造りの建造物は、明治年間に建てられ、戦災で消失した記念堂の一部です。


ザビエルの像。


中央がザビエル、左がヤジロウ、右がベルナルド。
ザビエルは、鹿児島で布教を始めましたが、最初に洗礼を受けたのがベルナルド(鹿児島出身)です。
以後、2年間ザビエルと活動を共にします。
ベルナルドは、ザビエルと共に日本を出て、途中で別れながらもヨーロッパまで行き、ローマ教皇と対面しました。
最初のヨーロッパ留学生と言われています。


ザビエル公園と道路の反対側にある、鹿児島カテドラル・ザビエル教会。
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草見の棚田

2008-10-28 | 風景
日置市日吉町日置の、草見という集落にある棚田を訪ねました。


草見の棚田を対岸から見る。
稲刈りはすっかり終わり、掛け干しがわずかに残るだけでした。


上から見た棚田。
のどかな里山の風景です。


石垣に咲く花。


隣の沢にある棚田です。

棚田の脇にイヌビワの実がなっており、熟していました。

イヌビワ(犬枇杷) クワ科イチジク属

イチジクを小さくしたような実で、味もイチジクに似た味がします。
子供のころよく食べましたが、今でも見つけると口に入れることがあります。
夏から実を付けますが、まだなっていました。
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大川ダム

2008-10-27 | 水辺の風景
奄美大島の名瀬の町から南へ少し行くと、朝戸トンネルがあります。
トンネルを過ぎてすぐ右折して、しばらく行ったところに大川ダムがあります。


大川ダム本体。
ダム諸元です
 水系:大川水系大川
 型式:傾斜コア型ロックフィルダム
 堤高:49.2m
 堤頂長:161.44m
 湛水面積:0.19km2


コンクリートダムに見えるかもしれませんが、これは左岸に造られた洪水吐です。


上流から見た、洪水吐から水があふれている様子。


貯水池。
湖面は、山の緑を映して静まり返っていました。


近くの民家に炭焼き窯があり、火を入れていました。

祖父が種子島で炭焼きをしており、子供のころ、仕事場に行ったことがあります。
山深いところでした。
山の中に炭焼き窯を作り、周辺の木を切り終わると、場所を移して窯を作ります。
使い終わった炭焼き窯が、山のあちこちにありました。
今は、道路や車があるため、山から木を運搬してきて、自宅の窯で炭焼きができるんですね。
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赤木名の海

2008-10-26 | 水辺の風景
昨日紹介した、奄美大島のアマンデーの史跡から西へ行くと笠利湾があります。
笠利湾は、大きく3つに分かれますが、東の湾の東岸に赤木名の集落があります。
そこの海岸に展望台があり、そこから眺めた奄美の海の風景です。


展望台からの眺め。
湾曲した美しい海岸が広がり、向こう側に赤木名集落の一部が見えます。


湾の出口を眺めたものです。


沖に向かって左の半島の先に立神があります。


サンゴでできた民家の石垣。

サンゴの石垣は、隣の喜界島に多く見られます。
普通の石垣と異なり、隙間が多いのが特徴です。
ハブが潜みそうですね。
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アマンデー

2008-10-25 | 史跡
奄美空港の近くに、巨大なアンテナのある山があります。
防衛省のレーダー施設です。
この山に行ってみました。


山の麓にある登り口。
「防衛省専用道路」の文字がちょっと怖い。
武装した自衛隊員に取り囲まれたりしないだろうな。
(グァム島で、レンタカーを借りてドライブしていたら、米軍基地に迷い込み、武装した若い米兵に追い立てられたことがあった。)
通行禁止の看板もないので、行ってみました。


山頂にあるレーダー施設。
この先通行禁止の看板があったので、さすがにここから中には入りませんでした。


近くに、アマンデーの史跡があります。

アマンデーとは海見獄(あまみたけ)のことで、女神の阿摩弥姑(あまみこ)と男神の志仁礼久(しにれく)の二神が天から下りてきて大島をつくった、という伝説です。
奄美大島は、ここから始まったというわけです。


アマンデーの史跡からの眺め。
笠利町の東海岸で、左上に奄美空港が見えます。
平地の少ない奄美大島で、この付近だけ平地が広がり、畑地帯となっています。
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桂庵玄樹の墓

2008-10-24 | 史跡
昨日は、社会的底辺の女郎さんの墓でしたが、今回は偉い人の墓です。
鹿児島市伊敷1丁目にある、桂庵玄樹の墓です。


桂庵公園。
墓自体が公園になっていて、女郎さんの寂しい墓とはえらい違いです。
国指定の史跡になっています。


桂庵玄樹の墓。

桂庵玄樹は、1427年、山口県で生まれました。
1467年から6年間、明に留学し朱子学を学びました。
帰国しても、応仁の乱で落ち着いて勉学できる環境ではなく、1478年に薩摩に招かれました。

桂庵の功績は次のようなことだそうです。
・朱子学の書「大学章句」を発行したこと。桂庵の朱子学の流れは、薩南学派と呼ばれ、薩摩の文化・学術の基礎となりました。西郷隆盛や大久保利通などもその影響を受けたと考えられています。明治維新の礎ともなった人です。
・漢文の訓読法を開発したこと。
・加治木饅頭の製法を、明から伝えたともいわれています。

82歳で、この地で亡くなりました。


墓の隣にある、クスノキの古木。
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錫山の女郎墓

2008-10-23 | 史跡
鹿児島の特産品に、錫製品がありました。
錫鉱山があったのです。
場所は、鹿児島市下福元町の、その名も錫山です。


「錫鉱業元之地」の碑。
ここで錫が発見され、鉱山がありました。


錫山小中学校。
裏の山に、女郎墓があります。


寂しい山の中に、数基の粗末な墓が並んでいます。


墓のひとつ。
観音様らしきものが彫ってあります。

鉱山ができると、多くの男たちが集まり、遊郭ができる。
中には、身寄りのない女郎さんもいて、ここに葬られたんでしょうね。
それぞれの人生があっただろうに、どこのどんな女性が眠っているんでしょうか。
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県政記念館

2008-10-21 | 史跡
鹿児島の歴史的建造物を紹介します。


鹿児島市山下町にある県政記念館です。
この建物は、前の県庁の正面玄関でした。
旧県庁所在地の一角に保存されています。
文化審議会が、国の有形文化財(建造物)に登録するよう答申している建物です。


大正14年の建造で、鉄筋コンクリート3階建です。
19世紀のネオ・ルネサンス建築様式で、ローマ時代のトスカナ式双柱(1階の車寄せ部)と、2階のイオニア式柱などが特徴です。


中に入ると、このような立派な柱があり、奥に階段があります。
階段を上がったところは、県政の資料館になっています。
レストランもあります。


3階部。

この建物には、県庁時代によく行きました。
その時はじっくり見ることもなかったのですが、なかなか荘厳な建物です。
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手作りかるかん

2008-10-20 | 食べ物
種子島の実家から、かるかんが送られてきました。
母が作った、手作りのかるかんです。


かるかん。

種子島は、今の季節、秋祭りが行われ、そのとき手作りかるかんを作る家が多いのです。
米粉と山芋で作った、単純ながら上品な味・・・
少しもっちりした食感・・・
かるかんは、鹿児島の代表的な郷土菓子ですが、お店で買うのとはまた違った手作りの味です。

昔は、山芋掘りからやっていましたが、今は掘り手がおらず、買うか、自分の畑で育てた山芋を使っています。
母が作ったかるかんは、懐かしいふるさとの味がします。
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