鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

川内川源流を訪ねて(10)

2011-01-31 | 源流を訪ねて
宮之城の町の、川内川と穴川の合流地点まで来ました。


支流の穴川に、石橋の穴川橋が架かっています。


下流から見た穴川橋。
北薩で唯一の3連アーチ橋です。
現在、人道橋となっています。


上流から見た穴川橋。
 橋長:44.1m
 幅員:4.71m
 架設年代:大正9年


穴川橋の右岸のたもとに大前時吉氏供養塔があります。


供養塔の上部。
地蔵様が刻まれています。


近くに焼酎メーカーの石倉がありました。


合流地点の上流に、轟の瀬があります。
橋はとどろ大橋。


轟の瀬の右岸に、与謝野寛(鉄幹)、晶子の歌碑があります。


夫婦の歌碑です。


とどろ大橋から見た轟の瀬。


とどろ大橋から上流を見る。
ここの流れは緩やかです。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川内川源流を訪ねて(9)

2011-01-30 | 源流を訪ねて
川内川源流の旅を再開します。
今回は、さつま町から上流を目指します。
川沿いの風景や河川構造物、史跡などを見て行きましょう。


さつま町山崎にある、国道267号に架かる山崎大橋です。
工事中でした。


山崎大橋から上流を見る。
右岸の堤防で工事中です。


国道267号から北薩広域公園へ行く道に架かる鴛鴦(おしどり)橋。


鴛鴦橋の欄干のオシドリ。


鴛鴦橋から下流を見る。


鴛鴦橋から上流を見る。
この付近は、川幅が狭いです。
川岸の白いところは、洪水時に水位が上がるところです。


宮之城の町までやってきました。
これは、下流から見た宮之城橋。


宮之城橋から下流を見る。
この付近は、平成18年の北薩豪雨災害で大きな被害を受けたところです。
そのための堤防工事がたけなわです。


宮之城橋から紫尾山を望む。


宮之城橋から上流を見る。
右岸の堤防が工事中です。
上流に宮都大橋が見えますが、これも工事中です。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の山菜三種

2011-01-28 | 食べ物
山菜といえば一般に春ですが、真冬のこの時期にもあります。
そんな冬の山菜を採りに行きました。


セリ(芹、セリ科)です。
田んぼに生えていました。
春の七草のひとつです。


クレソン(アブラナ科)。
清流に生えていました。


ノビル(野蒜、ユリ科)。
田んぼや畑の土手によく生えています。


ノビルは、球根ごと採ります。


セリとクレソンで、白和えを作りました。他の材料は、豆腐とにんじん。
セリはほろ苦さがあり、クレソンは少し刺激のある味です。
この味が、白和えによく合います。


ノビルはさっと茹でて、タコと一緒に酢味噌でいただきました。
球根はぴりっとしていておいしいです。
この日は、山菜の素朴さを味わいました。
焼酎の肴に最高です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴丸城跡の石橋

2011-01-26 | 石橋
鶴丸城跡の石橋を紹介します。


前回の記事でも出てきた大手橋。
 橋長:15.75m
 幅員:8.18m
 架設年代:文化7年(1810年)


正面より見る。
城跡の建物は、歴史資料センター「黎明館」。


最初の写真の反対側。


黎明館の裏に、御池があります。
初代藩主の島津家久によって造られました。
これは昭和58年に復元したものです。


御池に架かる桁橋の九犀橋。
珍しく花崗岩です。


石灯籠と九犀橋。


もうひとつの桁橋です。


桁橋と九犀橋のツーショット。


桟橋のように、池に張り出した石橋もあります。


九犀橋と桟橋と石灯籠。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴丸城跡と天璋院像

2011-01-24 | 史跡
鶴丸城跡を散策しました。
鶴丸城は、17世紀初頭に島津家18代家久(初代藩主)が築いた館造りの城でした。


城跡の石垣。
これは、県立図書館入口です。


石垣のアコウ。


鶴丸城跡入口。
橋は石橋の大手橋です。


石垣と堀と石橋。
堀にはハスがありますが、今は枯れています。


石橋を渡り、城内に入っていきます。


石垣には、西南戦争のときの弾痕が数多くあります。


城跡には、第七高等学校造士館、鹿児島大学医学部などが置かれてきました。
昭和58年から、歴史資料センター「黎明館」となっています。


七高生久遠の像。


平成22年、城跡に天璋院(篤姫)像が設置されました。
中村晋也氏の作です。
篤姫は、島津斉彬の養女となって、ここ鶴丸城に入りました。


きりりとした表情の天璋院。
NHKの大河ドラマで人気が出ました。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群倉

2011-01-22 | 史跡
奄美大島の高倉を紹介します。


大和村役場近くの県道脇に、4棟の高倉があります。
このような高倉の集まりを「群倉」といいます。


高倉は、奄美大島独特の建築物で、穀物を貯蔵するためのものです。
歴史は古く、室町時代に南洋から琉球を経て伝わったとも言われています。


釘を1本も使用していません。
火災のときは、下部の貫木をはずすと、容易に倒すことが出来るそうです。


柱はカンナで削られているため、ネズミが登ることができません。


貯蔵庫は風通しがよいため、穀物の保ちがいいそうです。
生活の知恵から生まれた建造物です。
奄美群島で、昔のままの姿で残っているのが、この大和村の群倉です。


道路反対側の川に、木製アーチ橋があります。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さつまいもの逆襲

2011-01-20 | エッセイ

昔、薩摩の武士は、芋侍といわれて馬鹿にされた。
田舎くさい若い男女は、いもにいちゃん、いもねえちゃんとからかわれた。
芋焼酎は、安い、くさいものと決まっており、貧乏人の飲むものだった。
山谷ブルースでも、労働者階級が飲むものと歌われる。
 ♪今日の仕事はつらかった
  あとは焼酎をあおるだけ
おならが出るというので、若い女性が堂々と石焼芋を食べることはできなかった。
子供の頃、種子島の実家でからいも(さつまいも)を作っており、収穫の手伝いで根をむしると、手が真っ黒に汚れてなかなか落ちなかった。
このように、さつまいもには、田舎者、垢抜けしない、不細工、安い、くさい、という印象がつきまとっていた。

だが、さつまいもには実力はあるのだ。
江戸時代、飢饉から民衆を救ったのはさつまいもだった。
若い女性が、こっそりと石焼芋を買うこともあった。
臥薪嘗胆、さつまいもは、逆襲のときをじっと伺っていた。

それが今はどうだ。
芋焼酎は、おいしい、二日酔いをしないということで、全国的なブームになり、若い女性が飲んでもサマになる酒になった。
さつまいもは、さまざまなお菓子にも使われ、スイーツなどとおしゃれな名前で呼ばれる。
種子島の安納芋は、その甘さから全国的に人気が出ている。

子供の頃、からいも畑の草取りをし、手を真っ黒にして根をむしった自分としては、その復権を祝福したい。


今日の絵手紙。仙台の友へ。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白川のイヌマキ

2011-01-18 | 巨樹・古木
南さつま市金峰町白川の田の神のあと、白川のイヌマキを訪ねました。
「鹿児島の名木」というリストに載っています。


場所がわからなかったので、とりあえず古木がありそうな日枝神社を訪ねました。
鳥居の左にイヌマキ、右にタブノキがあります。


日枝神社社殿。
1212年の創建です。


鳥居の左のイヌマキ。


根元。
リストには、根回り6mとありますが、そんなにはありません。


鳥居の右のタブノキ。
これも、なかなかの大木です。


日枝神社から川を渡ると、道路脇にこの切株がありました。
隣の人に聞くと、イヌマキだそうです。
軽自動車と比較して大きさがわかります。
幹周り6mは十分あります。


これが、リストに載っている白川のイヌマキに違いありません。
樹高(伐採前)13m、樹齢600年です。
4~5年前、イヌマキを食い荒らす蛾にやられて枯れ、伐採したそうです。


根元。
しわがあり、風格を感じます。

留守をするので、コメント欄閉じています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白川の田の神

2011-01-16 | 田の神

南さつま市金峰町白川の田の神を2体紹介します。


まず、白川東の田の神です。
白川東バス停の近くの、田んぼの脇にあります。


右手に大きなクワを持ち、左手にメシゲを持っています。
表情ははっきりしません。
建立は、1720年です。


後姿。
田んぼを見つめ、ワラツトを背負っています。


次は、白川西の田の神です。
白川西バス停から川を渡った三差路のところにあります。


右手にクワ、左手にメシゲを持っています。


近景。
表情が残っています。


後姿。
ワラツトを背負っています。
建立年代は不明です。

この二つの田の神はクワ、メシゲを持ち、ワラツトを背負っているところが似ています。
あるいは、同じ作者かもしれません。
いずれも田んぼの脇にあって、村人に大切にされてきたのでしょう。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食の思い出「いわきのあんこう鍋」

2011-01-14 | 食べ物

福島県いわき市は、東北の中でも最南端にあり、太平洋に面しているので、比較的暖かく明るい町である。
常磐炭鉱があった町だが、私たちが住んだときは炭鉱は閉山となっていた。
小名浜港という港があり、遠洋漁業基地になっている。
サンマのシーズンには、新鮮なサンマがバケツいっぱい何百円と、安く売られていた。
サンマといえば塩焼きか缶詰しか食べたことがなかったが、ここで初めてサンマの刺身を食べた。
脂が乗っており、ややねっとり感があっておいしい。

いわき市は茨城県に接しており、この付近の沖の魚場ではあんこう(鮟鱇)がよく獲れる。
口の大きな、ややグロテスクな魚で、吊るし切りという方法でさばかれる。
食べ方は、なんといってもあんこう鍋である。
身だけでなく内臓やえらも食べ、捨てるところがないという。
ゼラチン質で身がしまっており、他の魚にはない食感とコクがあっておいしい鍋である。
いわきで初めて食べてから病みつきになり、ホテルや料理屋でよく食べた。
あんこうは、鹿児島でも時々売られているので、あんこう鍋を作ることがあるが、本場で食べた味には到底及ばない。

いわきの味で忘れられないものに、メヒコのカニピラフがある。
メヒコは、レストランチェーンであるが、店ごとに、猿、フラミンゴ、魚などの動物が飼われていて、これらを眺めながら食事するのが特徴だった。
メニューはカニピラフのみで(これ以外にもあったかもしれないが、食べているのを見たことがない)、殻付きのカニが大量に入っている豪華なピラフだった。
カニの身を、細い金属の棒でほじって食べる。
これに、カニ風味の具のないスープが付いた。
何年か前、長女がこのカニピラフをインターネットで注文して送ってくれ、久しぶりに食べたが、懐かしい味がした。


あんこう。(http://www.zukan-bouz.com/fish/ankou/kiankou.htmlより)


チロ(元旦の大雪の中で)。
昨日、1月13日で14歳になりました。
これからも元気でいてほしいと思います。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする