鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

上日置駅跡

2022-05-31 | 史跡

日置市日吉町の上日置駅跡を紹介します。

 

南薩鉄道上日置駅跡です。手前が伊集院方面。

南薩鉄道は大正3年に開業し、昭和59年廃線となりました。

 

枕木と釘が残っています。

 

上日置駅は、大正5年、毘沙門停留所として開業しました。

急勾配の途中に位置し、駅を出た列車が坂を登り切れないこともあり、いったん戻って勢いをつけて登ることもあったそうです。

 

昭和17年建設の石造り給水塔。

 

前の写真の入口を入った内部です。

 

給水口とバルブ。

 

駅名表示板。向こうが伊集院、手前が日置方面です。

 

ホームです。昭和20年3月、ここを出た登り列車が米軍機の機銃掃射を受け、大急ぎで大田トンネル(向こう側)に逃げ込みましたが、人的被害が出ました。

 

日置駅方面の廃線跡です。

 

廃線マニアで知られる六角精児さんのサインです。下は下田逸郎さんのもの。

六角さんの廃線紀行番組は時々見ています。

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ラッキードクダミ他

2022-05-30 | 植物

NHKラジオで、気象予報士がラッキードクダミの話をしていました。

 

ドクダミは悪臭があり、はびこるので嫌われがちですが、よく見るとなかなかきれいです。

 

白い花びらに見えるもの(総苞)は通常4枚ですが、まれに5枚のものがあり、ラッキードクダミと言い、見つけるといいことがあるそうです。花は中央の穂のようなところです。

 

今まで気にしたこともなかったですが、気を付けて見ると確かに5枚のものがありました。

 

こちらは4枚に見えますが、よく見ると小さなものがあります。

 

トキワツユクサ(常磐露草、ツユクサ科)。

昭和初期、観賞用に持ち込まれた帰化植物です。

 

ノビル(野蒜、ヒガンバナ科)。

ネギのようで、葉や球根は食用になります。下にハチがいます。

 

キキョウソウ(桔梗草、キキョウ科)。

キキョウに似ています。北アメリカ原産です。

 

ジシバリ(地縛り、キク科)。

茎から根を出して増える様子が、地面を縛るようだからというのが名前の由来です。

 

自宅の庭のアジサイです。

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オカワカメとあくまき

2022-05-29 | 食べ物

庭にオカワカメを植えています。

 

繁殖力が強く、冬以外は葉を茂らせています。

 

葉は食用になります。ミネラル、ビタミンAなどの栄養価に富んでいるそうです。

 

バナナ、黄な粉とスムージーを作りました。

 

牛乳、豆乳を入れてジューサーにかけます。

 

オカワカメは少し青臭さがありますが、バナナの甘さで飲みやすくなります。いろいろな栄養が取れます。

 

オカワカメ、ソーセージ、玉ねぎの炒め物。ありあわせのもので一品できます。

オカワカメは、他に酢の物、サラダなどに料理できます。

 

少し前、鹿児島の郷土食あくまきをいただきました。

今は年中手に入りますが、昔は端午の節句の頃、各家庭で手作りしていました。

 

もち米を灰汁(あく)に漬けて孟宗竹の皮で包み、米粒がなくなるまで長時間煮ます。

 

黄な粉を付けていただきました。好みで砂糖を混ぜてもいいです。

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鹿ヶ原のミヤマキリシマ

2022-05-28 | 植物

霧島の鹿ヶ原へミヤマキリシマを見に行きました。

 

霧島神宮古宮址。霧島神宮は以前ここにありましたが、噴火で今の位置に移されました。向こうは高千穂峰の御鉢で、高千穂峰山頂は見えません。

ここから左へ行くと鹿ヶ原です。

 

中岳と高千穂峰の間の鞍部を進みます。途中にコガクウツギの群落があります。

 

ヤマツツジ。

 

駐車場から20分くらいで、鹿ヶ原の入口に着きました。

 

突然視界が開け、一面のミヤマキリシマの群落があります。

 

花の間を散策する人たち。気軽に来れるところなので、中高年が多いです。

 

左を見ると中岳です。

 

花の色が微妙に異なります。

 

赤紫のミヤマキリシマ。

 

これは少し濃い色です。

 

右を見ると、高千穂峰の御鉢です。

 

上のピンクのところもミヤマキリシマです。

 

鞍部の奥を望む。

 

少し盛りを過ぎていました。

 

花を見ながら休憩する人たち。

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妻の愛した山桜

2022-05-26 | エッセイ

鹿児島市五ヶ別府町の山あいの民家の庭に、樹齢100年を超える山桜の古木があり、毎年見物に訪れている。

庭の隅にあり、家を見下ろして立つその山桜は、毎年3月中頃満開の美しい花を咲かせる。

ご主人に何度かお会いし、この山桜はご主人のおじいさんが植えたものであると教えてくれた。

家の正面にも樹齢30年位の山桜が6~7本あり、これも毎年きれいな花を咲かせるが、これは古木の子であることも聞いた。

庭には様々な花が咲き乱れ、本当に花が好きなご夫婦だと感心していた。

去年の3月には奥様とお会いし、いろいろ話をうかがった。

その中で奥様が、自分はガンであると打ち明けられた。

 

今年の3月、妻とその妹の3人で見物に行った。

カメラマンと音声係の二人が撮影をしており、「NHKです」とあいさつされた。

私に「お話を聞いてもいいですか」と言うので取材を受けた。

山桜の古木をバックに

「このような満開の山桜をご覧になって、どう思われますか」

「桃源郷のようなところだと思っています」

などという会話を撮影された。

妻とその妹も取材を受け、妻は

「元気をもらいますね」

などと答えていた。

「桜のところを歩いてもらえますか」

と言われ、家の前の桜の下を3人で歩く様子も撮影された。

 

その時のことは、夕方のローカル放送の「妻の愛した山桜」という特集で放送された。

ご主人の日常や桜を見に来る人達が映され、私が取材を受ける様子も映された。

そして、奥様が半年前に亡くなられたことを知った。

ご主人が、家の前の山桜は妻が植えたものであると話していた。

奥様は、私に自分はガンであると言った時、もしかして

「この桜を見るのは最後かもしれない」

と思われたのではないだろうか。

ご主人は、これからこの桜の花を見るたびに、奥様のことを想われることだろう。

 

庭の隅の山桜の古木。

 

奥様が植えられた家の前の山桜。

 

取材を受ける妻とその妹。

去年の3月訪れて、奥様と話をした時の記事はこちらです。

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フラワーパークかごしま

2022-05-24 | 植物

指宿市山川のフラワーパークかごしまへ行きました。

 

木に寄生したランの花。

 

スイレン池です。

 

池に生えているポンテデリア。

 

トケイソウ。花が時計の文字盤に似ていることからです。

 

屋内庭園のブーゲンビリア。

 

ヒスイのような色のヒスイカズラ。フィリピン原産です。

 

アナグマに遭遇しました。4~5mまで近づいても逃げません。

 

花畑を見ながら歩きます。

 

綿のような花のメラレウカ リナリフォリア。オーストラリア原産です。

 

野生のナワシロイチゴの実が熟れていました。甘くておいしいです。

 

展望回廊から竹山を望む。右の小さな岩峰は俣川洲(またごし)。

 

コンテストガーデンです。

 

周りにアジサイ園があります。

 

近景。

 

ダリア園。

 

下の花の模様はハチだそうです。向こうは開聞岳。

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内山田の庚申地蔵と田の神

2022-05-23 | 史跡

南さつま市加世田内山田の庚申地蔵と田の神を紹介します。

 

近戸神社の下にあります。

 

左が近戸神社への階段で、その右下にあります。

 

中央が庚申地蔵、周りが逆修塔です。

逆修塔は平安中期から流行し、生前に自分の死後の冥福を祈って功徳を修めるもので、戦いに出る武士が建てることが多かったそうです。

 

庚申地蔵。下に田の神があります。

 

この地蔵は庚申信仰の一環として、1685年に建てられました。

 

下の田の神です。

 

顔のアップ。

 

階段を上がって近戸神社へ行きます。

 

近戸神社です。

 

拝殿と本殿。

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加世田麓(2)

2022-05-22 | 史跡

加世田麓の散策を続けます。

 

別府城跡入口。平安末期、平家の一族別府五郎忠明が築き、加世田開発の拠点としました。

 

城跡から加世田麓を望む。

 

明治36年から53年間、ここに加世田小学校がありました。その門を学校側から見たものです。

 

城跡は公園になっています。

 

城跡を下り、この武家屋敷跡に入ります。

 

正面に蔵があります。

 

お屋敷です。人は住んでいません。

 

庭園です。

 

ここにも武家門があります。

 

少し前の写真ですが、吹上浜砂の祭典の砂像がありました。

今年の砂の祭典は、何か所かに分散して開催され、加世田麓もその一つでした。

 

砂像の向かいにある武家門と桁橋。

 

地頭仮屋跡の門です。

 

向かいにある国登録有形文化財の鮫島博家住宅です。

 

立派なイヌマキがあります。

 

屋敷内から見たイヌマキ。

 

お屋敷です。

 

美しい手水鉢があります。

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加世田麓(1)

2022-05-20 | 史跡

竹田神社から加世田麓へ行きます。

 

竹田神社の前に1768年完成の益山用水路があり、そこに架かる石橋です。

 

右岸より見る。これを渡ったところに島津忠良(日新公)の墓があります。

 

水門。

 

多くの桁橋が架かる加世田麓を下流へ行きます。

 

この右に六地蔵塔があります。

 

六地蔵塔。

 

島津忠良(日新公)は別府城を攻略しましたが、両軍とも多くの戦死者が出たため、忠良が敵味方の別なく供養するために建てました。

 

上の地蔵。

 

桁橋が架かる水路をさらに下流へ行きます。

 

鰺坂家屋敷跡と桁橋。

 

鰺坂家の武家門。鰺坂二夫氏(鹿児島大学教授、京都大学名誉教授、甲南女子大学学長)が居住しました。

 

ここにも武家門と桁橋があります。

 

この武家門の家に仁王像があります。

 

仁王像。日新寺の大門の前にあったものです。

 

大きな阿像。吽像は所在不明です。

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いにしへの道と日新公の墓

2022-05-19 | 史跡

前回の加世田の竹田神社の大楠から、いにしへの道を通って島津忠良(日新公)の墓へ行きます。

 

いにしへの道入口。この先に、日新公いろは歌の碑が並んでいます。

日新公いろは歌は、人間として社会に生きる道を説いたもので、薩摩論語と言われます。

 

最初の歌。

いにしへの 道を聞きても唱へても 我が行ひにせずば かひなし

 

イヌマキ並木といろは歌の歌碑の道を進んで、日新公の墓へ行きます。

 

墓の入口に対の仁王像があります。

 

阿像。

 

吽像。

 

奥が日新公の墓、手前が夫人の墓です。

 

正面から見た夫人の墓。

 

ハートの形の手水鉢。

 

日新公の墓です。

 

正面より見る。

 

日新公は、1568年77歳でなくなりました。

 

隣に殉死者2名の墓があります。

 

墓の隣の池。

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