鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

双剣石

2009-05-30 | 水辺の風景
薩摩半島の南西にある坊津は、リアス式海岸の海が広がり、かつては遣唐船との交易で栄えた町です。
入り江は浦と呼ばれます。
そんな坊津の海辺の風景を見ていきましょう。


丸木崎展望所から泊浦を望む。


泊浦の奥から湾の出口を望む。
小島や岩礁が点在しています。


歴史資料センター「輝津館」の近くの岬から坊浦を望む。


ハイライトは、輝津館の庭から眺める双剣石です。
中央付近の小さな岩礁が双剣石、その右のやや大きな島が鵜ノ島です。
この付近は、名勝として国の文化財に指定されています。


双剣石のアップ。
剣のように尖った岩礁です。
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心岳寺跡

2009-05-28 | 史跡
鹿児島市吉野町平松に、心岳寺跡があります。


国道10号から望む心岳寺跡入口。
ここは、姶良カルデラ壁の麓に当り、背後には急な崖が迫っています。


鳥居の左にある仁王像が迎えてくれます。


心岳寺跡にある平松神社。
心岳寺は、島津家第15代島津貴久の三男歳久を祀る寺でした。
廃仏毀釈で廃寺となり、跡に平松神社が建立されました。

歳久は豊臣秀吉の薩摩侵攻に最後まで抵抗したため、兄義久は秀吉から歳久の首を差し出すよう命じられました。
歳久は、天正20年(1592年)7月18日、領地の宮之城へ行く途中、追手に追われてこの場所で自害しました。


島津歳久の墓。


龍の口から水が出ている手水鉢。


大崎観音。


石門。

なお、ここから少し北の姶良町重富に、歳久の遺体を清めた「御石山」という史跡があります。
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テイカカズラ他

2009-05-26 | 植物
野山で見かけた花です。


テイカカズラ(定家葛)キョウチクトウ科
花は、かざぐるまに似ています。
名前の由来は、藤原定家の墓に生えていたということから来ているそうです。


キキョウソウ(桔梗草)キキョウ科
ほんとにキキョウによく似た花です。
北アメリカ原産の帰化植物です。


スイカズラ(吸葛)スイカズラ科
花の色は、初め白でだんだん黄色になり、これが混じるためキンギンカ(金銀花)とも言うそうです。
甘酸っぱい香りがし、花を吸うと甘い蜜が出ます。
だから「吸い葛」です。
子供の頃よく吸いました。


ネズミモチ(鼠もち)モクセイ科
小さな花が房状につきます。
実は、黒くて丸く、鼠の糞のようです。
植栽としても植えられます。


ノイバラ(野いばら)バラ科
別名ノバラ。
これを改良して、園芸種のバラになったんですね。


ドクダミ(毒溜み、毒痛み、毒矯、毒彩)ドクダミ科
葉は、強烈な悪臭がしますが、花は純白で清楚です。
漢方薬になります。
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酒道

2009-05-25 | エッセイ
以前、「ビール道」というエッセイを書いた。
日本人は茶道など「道」好きだから、「ビール道」を創設して家元になったら儲かるかもしれない、というものだが、これはもちろんパロディーとして書いたのである。

最近、小泉武夫(東京農大教授)著「食の世界遺産」(講談社文庫)という本を読んで、少し驚いた。
この本は、日本の伝統的あるいは独創的な食べ物や食文化を、世界遺産として残したい、というもので、68件が登録されている。
ちなみに鹿児島からは、あくまきや山川漬が選ばれている。

本書に、「教えの遺産」として、酒道と茶道が取り上げられている。
酒道は足利末期に起こり、酒のつぎ方、飲み方、返杯の仕方、酒繕の配り方など、酒席の礼儀を作法とするもので、公家流、武家流、商家流の3つの流派があった。
武家流の場合、武士道精神にのっとり厳かに酒宴が設けられ、2時間正座で通し、仲間意識や連帯感を高め、酔ってふらつくものなどいなかったという。

酒を飲む「道」というのが実際にあったのだ。
さすがに堅苦しいのと、酒道の精神は茶道に共通するため、これに吸収されてしまい、すたれてしまったのだが、飲酒を儀式化するのは、結婚式の三々九度の杯などに名残が見られる。
考えてみると、酒は茶などより歴史が古く、人類は喜びにつけ、悲しみにつけ、これを飲んできたのである。
日本人がこれを「道」にするのは当然だろう。

うーむ。うそから出たまことというか、パロディーがパロディーでなくなってしまった。
ビール道の家元のこと、真剣に考えたほうがいいかもしれない。
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山田の史跡巡り(2)

2009-05-23 | 史跡
鹿児島市山田町の史跡の続きです。


明楽寺から、永田川を上流に行きます。
上流に見える橋の左岸(写真では右)に、磨崖仏があります。


川には、大きな鯉が泳いでいます。
最近、鹿児島市の川に鯉が増えました。


大川内の磨崖仏。
坐像です。


磨崖仏から橋を渡って右岸側へ少し行くと、松崎さんというお宅があり、そこの庭に観音像があります。
ご主人に許可を得て拝見しました。
大切にお守りしています。


観音像のアップ。
享保16年(1731年)の像立だそうです。


もう一度橋を渡り、左岸側へ行くと星ヶ峯に行きます。
そこの第3公園にある田の神です。
これは、五ケ別府町蕨野にあったものですが、宅地造成でここに移されました。
宝暦12年(1762年)の像立で、右手にメシゲ、左手に椀を持ち、首に頭陀袋を下げており、托鉢して回る僧侶の姿です。

1時間半の史跡探訪の散歩でした。
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山田の史跡巡り(1)

2009-05-21 | 史跡
先日、鹿児島市山田町周辺の史跡を歩いて探訪しました。
これまで紹介したものもありますが、再度紹介します。


スタートは、JA山田支所です。
支所の庭にある山田の田の神と、左の石塔は二十三夜待供養塔。


田の神のアップ。
この田の神は、享保8年(1723年)、女人講で建てたもので、僧型立像の代表的なものです。
鹿児島県指定文化財です。


周辺には田んぼが広がり、レンゲソウが咲いていました。


永田川を上流に行くと石橋があり、これを渡った左に明楽寺があります。
この石橋は以前紹介しました。


下流から見た明楽寺前の石橋。
 橋長:11.6m
 幅員:3.15m
 架設年代:不詳


お寺の前に、対の仁王像があります。
これは向かって左の像。
江戸時代中ごろ建造されたもので、廃仏毀釈で寺も仁王像も取り壊されたのを、ここに安置しました。


右の像。
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石抱きガジュマル

2009-05-19 | 巨樹・古木
奄美大島の奄美市住用町です。
住用川と役勝川が合流する河口に、マングローブ原生林が広がっています。


海側から見たもの。
このときは干潮で、広大な干潟が広がり、メヒルギなどのマングローブがあります。


湾の南側の道路を東(太平洋側)へ行きます。
道路脇に、石抱きガジュマルというガジュマルの木があります。


石を包み込むようにして根を広げているガジュマル。


別の角度から。


さらに東へ行くと、奄美市重要史跡の山間権現があります。
中世末期まで、海賊の見張り所を設けたところと言われます。
また一説には、壇ノ浦の合戦で敗れた平家一族が、源氏の襲来に備えて番所を築いたところとも言われています。
明治以降は、出征兵士の武運を祈願するところとなりました。


山間権現から湾の出口を望む。


さらに東へ行くと、湾の出口付近にトビラ島があります。
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日木山宝塔と加治木島津家墓地

2009-05-17 | 史跡
前回に続いて加治木です。
日木山川左岸の、日木山里という集落に、鹿児島県文化財に指定されている日木山宝塔があります。


二つ並んだ宝塔。
この宝塔は、鎌倉時代の中ごろ造られたもので、この地方を治めていた加治木氏一族の夫婦の墓といわれています。
このように、古くて規模の大きなものは大変珍しいそうです。


斜めから見たもの。
宝塔には、東西南北4箇所に、古代インド文字の梵字が彫られています。


梵字。
岩質はやや軟らかく、風化して字が消えかかっています。


日木山川を下ると、国道10号の横に、加治木島津家墓地があります。

墓地の入口。


加治木島津家墓地。
丸い墓石が多いです。

ここには、菩提寺である能仁寺がありました。
加治木島津家は、本家に次いで格式の高い家柄で、本家を相続した第24代太守重年と、第25代太守重豪もここの出だそうです。
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白糸の五反滝他

2009-05-15 | 水辺の風景
加治木町には、龍門滝の他に多くの滝があり、いくつかは紹介しましたが、今回2つの滝を紹介します。


加治木の町から県道を空港へ向かうと、道路の右に「ふれあいパーク」という公園があり、そこから見える白糸の五反滝です。
ここからは、滝つぼは見えません。
川は、日木山川です。


公園の横にある「加治木八景 白糸の五反滝」の碑。

滝つぼに行ってみました。
道はありませんが、右岸を上流に行くと、滝つぼまで行くことができます。

滝つぼから眺めた白糸の五反滝。
高さ20m程度あり、水量も豊富で、なかなか見ごたえのある滝です。


滝つぼも広々としています。


次は、櫛永(くしなが)の滝です。
加治木バイパスの加治木小入口交差点を北に行き、九州自動車道をくぐって少し行くと、道路の右にあります。

櫛永の滝上部~中部。
細長い滝で、1枚の写真に納まりません。
高さ20m程度あります。
川は、宇曽木川の支流です。


下部と滝つぼ。
滝つぼは非常に狭いです。
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天降川の石橋

2009-05-13 | 石橋
天降川を訪ねたとき、支流に石橋がありましたので、まとめて紹介します。


下流から見た新川1号橋。
新川発電所のすぐ下流の天降川右岸に、支流の嘉例川が合流しており、そこに架かっています。
現在の国道223号の橋のすぐ上流です。
 橋長:10.9m
 幅員:3.64m
 架設年代:明治初期


嘉例川を上流に行きます。
表木山駅の少し南にあるJR線のレンガ橋です。
水路を兼ねた跨道橋です。


表木山駅の少し北にある矢筈橋で、嘉例川上流から見たものです。
 橋長:7.68m
 幅員:4.27m
 架設年代:大正13年


さらに嘉例川の上流にある迫間川橋で、下流から見たものです。
 橋長:10.04m
 幅員:3.7m
 架設年代:不詳


上流から見た迫間川橋。
すぐ下流は堰で、滝になっています。

坂本龍馬の像のある塩浸温泉を上流に行くと、国道223号に川原橋があり、その少し下流に下川原橋があります。

上流から見た下川原橋。
 橋長:12.97m
 幅員:3.69m
 架設年代:明治43年
天降川支流の石坂川に架かっています。
河床に、苔むした溶結凝灰岩が露出しており、木々の緑と合わせて、全体に緑がかった雰囲気を出しています。


下流から見た下川原橋。

今回の石橋は、新川1号橋以外は、現役で使用されています。
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