鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

京都の女

2018-01-30 | エッセイ

就職して最初の赴任地は滋賀県だった。

その夏、先輩に誘われて、乗鞍岳に夏スキーに行った。

といっても、南国育ちの私は、スキーなどやったことはもちろん、見たこともないので、観光で付いて行ったのだ。

山頂付近には、7月だというのに雪が残っていた。

先輩たち3人は、駐車場付近から斜面を滑り降りていった。

 

私はしばらくそれを見ていたが、一人で山頂に登ることにした。

21~22歳くらいの若い女性が登っていたが、私に

「お一人ですか」

と声をかけてきた。

私は、4人でスキーに来たが、自分は滑れないので山に登っている、と答えた。

それをきっかけに、二人で話しながら山頂を目指した。

彼女は京都の人で、一人旅だと言った。

雅やかな京都弁を話す女性は、鹿児島から出てきたばかりの田舎者の私には、少しまぶしく感じられた。

山は、夏だというのに軽装では寒いくらいだった。

私は、持っていたヤッケを彼女に着せてやった。

そして、乗鞍岳山頂で、赤いヤッケ姿の彼女の写真を撮った。

 

それから何日かして、思いがけなく、会社にいた私に彼女から電話があった。

雑談で会社名を言ったので、彼女はそれを覚えていて、電話番号を調べて電話してきたのだ。

「もうすぐ祇園祭があるので、見に来ませんか」

という誘いだった。

 

約束の日の夕方、京都駅で待ち合わせ、彼女の案内で祇園を散策してから、祇園祭を見た。

私は、京都は初めてで、お上りさん状態だった。

古い町並みの祇園と鴨川の流れ、宵闇に浮かび上がる豪華な山鉾。

むせかえるような人いきれの中で、京都の女と二人でそれを見ている・・・

私は、そんな状況に飲み込まれ、ぼおっと酔ったような気分になった。

京都祇園祭を見たのは、これが最初で最後だった。

その後、彼女との間は進展することもなく、それっきりになった。

 

ちなみに私は、先輩の指導で、その年の冬からスキーを始め、デビューは伊吹山スキー場だった。その後、金沢、仙台、長野と転勤先でも楽しんだ。

スキー道具は鹿児島まで持ってきたが、スキー場に行く機会がないまま時は過ぎ、やがて処分してしまった。

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男淵女淵の滝他

2018-01-28 | 水辺の風景

種子島にある男女ペアの自然を二つ紹介します。

 

中種子町秋佐野にある男淵女淵の滝です。木の向こうに二つの滝が見え、上流が男淵、下流が女淵の滝です。

 

下流右岸から見た男淵の滝。

 

正面から見た男淵の滝。高さ4m、滝つぼの面積4アールです。

 

高さの割に、滝つぼが大きいです。

 

近景。

 

上流には小さな滝も見えます。

 

下流にある女淵の滝。高さ5m、滝つぼの面積3アールです。

 

近景。高さは男淵より高いですが、滝つぼが少し小さいです。

 

二つの滝を同時に見るのは難しいです。これは、以前撮影した二つの滝です。

これらの滝は、平坦な島である種子島にあることと、ペアになっていることで、珍しいです。

 

中種子町の西海岸の浜津脇にある雄龍岩・雌龍岩です。

 

右が雄龍(おたつ)岩、左が雌龍(めたつ)岩で、夫婦岩です。

 

雄龍岩。

 

雌龍岩。

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大迫の田の神他

2018-01-26 | 田の神

指宿市の田の神を4体紹介します。

 

池田湖の北の大迫にある田の神です。向こうの山は清見岳。

 

座像です。顔は風化しています。

 

袖が大きくて立派です。

 

背負っているのは、メシゲのようですが、中央のものは何でしょうか。

 

池田小学校の山側にある田の神です。

 

大きなシキを被っています。手の先が変わっています。

 

ワラヅトを背負っています。向こうが池田小学校です。

 

仮屋集落にある田の神です。

 

大きなシキを被り、両手でメシゲを持っています。

 

後姿。

 

石嶺集落にある田の神です。

 

手を広げた座像です。

 

この形で座った田の神は珍しいです。

今回の田の神は、案内板がなく、建立年代などはわかりません。

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かごしま水族館

2018-01-24 | 生きもの

かごしま水族館へ行きました。

 

イルカのショーです。まずはご挨拶。

 

ジャンプ。

以前来たときは、イルカは展示しているだけで、ショーはしませんでしたが、やはりショーをすると子供に人気があります。

 

別の水槽では、アザラシの芸も見せます。

 

黒潮大水槽。大きなサメやエイが泳いでいます。

 

黒潮大水槽の下のトンネルを通っていきます。

 

南西諸島の海です。

 

色とりどりのサンゴ。

 

ウミウシの種類は非常に多く、かわいいものがあります。

 

アオリイカ。

 

クジラ(タイヘイヨウアカボウモドキ)の骨格。

 

イソギンチャクのヒトツトサカ。

 

幻想的なクラゲ。多くの種類がいます。

 

巨大淡水魚のピラルクー。

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池田湖の菜の花

2018-01-22 | 風景

池田湖のほとりは、いぶすき菜の花マラソンのコースになっています。

 

そのコースに、菜の花が植えられています。右の道路がマラソンコースです。

 

満開の菜の花。

 

菜の花と池田湖と開聞岳。

 

ミツバチが蜜を吸っていました。

 

菜の花マラソンは終わりましたが、菜の花マーチはこれからです。菜の花マーチのコースを歩いたことがあります。

 

池田湖と開聞岳。

 

北を望む。向こうの山は、清見岳です。

 

池田湖の北岸にも、菜の花畑があります。

 

北岸から見た池田湖と開聞岳。

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聖ケ浦の震洋隊基地跡

2018-01-20 | 史跡

南九州市知覧町聖ケ浦にある震洋隊基地跡を紹介します。

 

国道226号の脇にある震洋隊基地跡。

 

案内板です。

 

案内板の説明文。震洋隊基地跡は、島尾敏雄が隊長を務めた、奄美大島の加計呂麻島にあるものが有名ですが、鹿児島県に18箇所もあったのですね。

 

震洋の模型。海の特攻というわけです。

 

出撃前に終戦を迎えたのは幸いでした。

 

隣にある為朝伝説の碑。源為朝が、琉球に落ち延びる途中、ここにたどり着いたという伝説があります。

 

説明文。

 

少し歩くと聖ケ浦です。ここから震洋が出撃する計画だったのです。

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かわなべ森の学校

2018-01-18 | 風景

南九州市川辺町本別府の、かわなべ森の学校を紹介します。

 

閉校となった旧長谷小学校です。校庭にクスノキがあります。

山の中にあり、近くに集落はありません。どうして、このような山の中に小学校を造ったのだろう、と思うほどです。

 

レトロな雰囲気の木造校舎です。グリーンツーリズムとして、田舎暮らし体験などに活用されています。

 

正面玄関。校舎は、昭和8年の建設です。

 

正面玄関の近景。

 

懐かしい二宮金次郎の像があります。

 

学びの窓。私の小中学校も、このような木造校舎でした。

 

向かって右より見る。

 

校庭のクスノキ。子供たちの成長を見守ってきたことでしょう。

 

クスノキの下から校舎を見る。

 

長谷小学校跡の碑。明治19年4月創立、平成2年3月閉校で、2309人の卒業生を送りました。

 

みんなの顔。

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池田の刻み地蔵他

2018-01-16 | 史跡

指宿市池田の刻み地蔵を紹介します。

 

池田湖の北岸に揚水機場があり、そこに案内板があります。向こうは開聞岳。

 

途中にある龍宮大明神の碑。

 

正面に岩壁があり、その下に洞窟があります。

 

三角形の洞窟が見えました。

 

刻み地蔵の案内板です。近くのお城にまつわる悲しい伝説があります。

 

洞窟入口。

 

洞窟内部です。

 

前の写真の中央の岩の上部に刻まれている刻み地蔵です。

 

左下にある像です。

 

池田小学校の近くに六地蔵塔があります。

 

案内板はなく、いわれはわかりません。

 

六面に地蔵が刻まれています。

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福昌寺跡(島津家墓地)

2018-01-14 | 史跡

鹿児島市池ノ上町にある福昌寺跡(島津家墓地)を紹介します。玉龍高校の裏にあります。

 

福昌寺跡入口。

福昌寺は、1394年、島津家7代元久が建てて、島津家の菩提寺となった寺院です。1500人の僧侶がいる広大な寺院だったそうです。明治2年の廃仏毀釈で、廃寺となりました。

 

入ってすぐのところに、亀の背中に乗った石碑があります。

 

歴代藩主や奥方などの多くの墓と、石造物があります。

 

前の写真の奥に見える久光の墓。藩主の墓は、このような形が多いです。

 

立派な石灯籠がたくさん並んでいます。

 

観音像。

 

鳥居のある墓所もあります。

 

島津家の紋である丸に十の字の手水鉢。

 

大きなソテツの木がありました。

 

広い墓所を散策しました。

 

藩主の墓が3つ並んでいます。墓のところに案内板はなく、入口にあるだけです。

 

 

三重石塔です。

 

宝塔。

 

立派な六地蔵塔が3つ並んでいます。

 

六地蔵塔の上部。

 

階段を登ったところにあるキリシタン墓地。

明治新政府はキリシタンを弾圧し、明治3年、鹿児島藩に375人が預けられ、旧福昌寺に収容されましたが、寛大な対応をされました。

 

キリシタン墓の碑。

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頴娃シーホーウォーク(3)

2018-01-12 | 水辺の風景

「クジラの溶岩地帯」を後にして歩きます。

 

手前の張り出した岩がコモイの展望岩です。遠くに見える岬は枕崎で、沖の小さな点は立神岩です。

 

前の写真の右にあるのが、小さな入江のクジラウド浜です。

 

陸側から見たクジラウド浜。

 

コモイの展望岩の先にあるコモイの池です。

 

海岸を歩くのが困難なところは、森の中を歩くコースになっており、そこにあったマムシグサの実です。

 

ズココ浜を振り返って見たものです。面白い名前の浜が多いですが、由来はわかりません。

 

ゴールの釜蓋神社が見えました。右の浜は住吉浜で、漁港になっています。

 

住吉浜を振り返って見たものです。

 

最後の岩場の海岸を歩き、釜蓋神社に向かいます。

 

ゴールの釜蓋神社に到着しました。

 

釜蓋神社社殿。正式名称は射楯兵主(いたてつわものぬし)神社です。パワースポットとして人気があります。

 

釜の蓋を頭にのせ、鳥居から神社まで落とさずに歩くと、願いが叶うそうです。

 

寿石。これをなでると、良縁、子宝、安産に恵まれるそうです。

 

社殿の先にある希望の岬から開聞岳を望む。

 

帰りは、番所鼻まで農道を歩いて帰りました。

 

キャベツ畑と大根干しと開聞岳。

今回、番所鼻から釜蓋神社まで歩きましたが、もちろん逆コースでもいいです。

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