鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

山田麓と凱旋門

2011-12-30 | 史跡

姶良市姶良町山田にある山田麓と凱旋門を訪ねました。

 

武家門の家がありました。 

 

庭に「西郷隆盛の腰掛け石」という石のある家があります。 

 

武家門と白塀の家。

 

ここにも、武家門と格子戸の家があります。 

 

山田麓の通りです。正面に凱旋門が見えます。 

 

地頭仮屋跡。山田地区公民館です。

凱旋門はこの横にあります。 

 

山田の凱旋門(国登録文化財)です。

この凱旋門は、明治37,38年の日露戦争に、当時の山田村から従軍した人たちの無事な帰還を記念して、明治39年に建てられました。

山田村から従軍した兵士の数は113名でした。 

 

高さ4.7m、幅4.9mです。

鹿児島の石橋技術を応用したものです。

 

アーチ部と凱旋門の文字。 

 

階段から凱旋門と山田麓を見下ろす。

今年の記事は今回で終わりです。ご覧いただき、ありがとうございました。

次回は、1月1日にお会いしましょう。

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朝倉の隠れ念仏洞

2011-12-28 | 史跡

鹿屋市輝北町朝倉にある隠れ念仏洞を紹介します。

朝倉バス停の近くに案内板があり、これに従って行きます。

 

入口と説明看板。 

 

このような山道を下っていきます。 

 

朝倉の隠れ念仏洞です。緩やかな斜面に穴が掘られています。 

薩摩藩の一向宗(浄土真宗)弾圧を逃れて、このような山の中の穴で念仏を唱えたのです。

 

入口は人がしゃがんで入れるくらいの大きさです。

突き当りを左へ行きます。 

 

シラスの山に掘られた穴です。

突き当たって右へ行き、さらに右へ行きます。穴は、コの字型に掘られています。 

 

一番奥です。広さは全部で8畳くらいです。仏の顔の像が安置されています。

照明はなく、懐中電灯をもって行かなかったので、カメラのフラッシュをたいて中の様子がわかりました。

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カブ

2011-12-26 | エッセイ

「種子島の高校生は、皆カブに乗っている」

というのが、たまに話題になる。

特に、女子高校生が、おしゃれなスクーターでなく、ちょっとごついカブに乗っている光景は珍しいとみえ、その映像が流れたりする。

どうしてカブなのか、聞いたことはないが、カブと言えば思い出がある。

 

私は、高校2年まで寮生活だったが、3年になって自宅通学に変えたいと思い、親にバイクを買ってくれるように頼んだ。

経済的な余裕はなかったと思うが、親はバイクを買ってくれた。

それがカブだった。

当時は、カブでなければならないという規則はなかったが、カブにしたのは次の理由からではないだろうか。

私が高校を卒業すると、バイクは、親が畑に乗って行くなど仕事で使うことになる。

それには、スクーターよりカブのほうが使い勝手がいい、ということだったのだろう。

 

種子島の高校生は、卒業後ほとんどが島を離れるから、この事情は今も同じだろう。

また、島の道路は田舎道なので、街中を走るのに適したスクーターより安定性のいいカブのほうがいい、ということもあるかもしれない。

 

カブで通学している高校生を見ると、昔の自分とダブって見える。

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享保水路太鼓橋

2011-12-24 | 石橋

12月6日に、宮崎県えびの市の国登録有形文化財「めがね橋」を紹介しましたが、そのすぐ上流に、これも国登録有形文化財の石橋があるので紹介します。

 

享保水路太鼓橋です。下流から見たものです。 

川は、川内川支流の有島川です。

 

下流から見た近景。

橋長34mで、架設年代は明治3年頃と考えられています。 

 

下流左岸より。 

 

右岸より見た上部。

この石橋は水路橋で、その両側が農道になっています。水路を享保水路といいます。 

水路の幅1.6m、農道の幅3.5mと4.5mです。

 

橋から上流を望む。

 

上流から見たものです。水面にアーチが写って、太鼓のようです。

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サイヨウシャジン他

2011-12-22 | 植物

12月に奄美大島で見かけた植物です。

 

サイヨウシャジン(細葉沙参) キキョウ科

ツリガネニンジンの仲間です。 

 

リュウキュウバライチゴ(琉球薔薇苺) バラ科

赤いおいしい実がなります。 

 

フヨウ(芙蓉、アオイ科)の花後に、赤い昆虫がいました。 

 

ケハダルリミノキ(アカネ科)の実。

ルリは瑠璃ですが、鮮やかな瑠璃色の実です。 

 

オオムラサキシキブ(大紫式部、クマツヅラ科)の実。

上品な紫色の実です。 

 

ハナミョウガ(花茗荷、ショウガ科)の実。

鮮やかな赤い実です。

花が少ない時期は、さまざまな色の実を楽しめます。

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吉田麓

2011-12-20 | 史跡

鹿児島市西佐多町の吉田麓を訪ねました。

 

御仮屋跡の吉田小学校跡です。 

 

吉田小学校跡。

移転して、校舎は取り壊されており、一部しか残っていません。 

 

校庭にセンダンの古木があります。 

子供たちに、涼しい木陰を提供したのでしょう。

 

校庭の隣に、興化寺(こうげじ)跡の五輪塔があります。 

興化寺は1458年に開山されたお寺です。

 

御仮屋跡から下に下りると、吉田麓信号の脇に武家門の家があります。 

蕎麦屋になっています。

 

蕎麦屋の前にある吉田麓のバス停。 

 

石垣の塀が続く通り。 

 

県道を東へ少し行くと、石柱の門の家がありました。

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鶴丸の田の神他

2011-12-18 | 田の神

湧水町の田の神を3体紹介します。

 

 

鶴丸にある、鶴丸の田の神です。

道路脇の1段高いところにあります。 

 

右手にメシゲ、左手に米びつを持っています。 

 像の高さ:76cm

 型:笠冠り型立像

 建立:1860年3月

 

後姿。

田の神は、「田の神オットイ」(盗まれること)にあうことがあり、像と台石を一体にして重くすることがあったそうです。 

 

般若寺にある日枝神社です。 

 

神社の前にある般若寺の田の神です。

 像の高さ:76cm

 型:衣冠束帯座像

 建立:1772年5月

 

顔は白粉で塗られています。

鹿児島県指定の民俗文化財です。 

 

四ツ枝にある四ツ枝後の田の神です。

JR肥薩線と吉都線が分かれるところにあります。

 

右手にメシゲ、左手に米びつを持っています。 

 

田んぼを向いて建っています。

建立は昭和6年3月です。

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毘沙門の滝

2011-12-16 | 水辺の風景

宮崎県えびの市の大河平にある毘沙門の滝を訪ねました。

国道221号から県道石阿弥陀五日市線に入ると、看板があるのでこれに従って行きます。

 

鉄製の階段を下りていきます。 

 

滝が見えてきました。左は滝見台です。

川は、川内川支流の鉄山川の支流です。 

 

滝見台から見た滝。ここからは、滝の正面から見ることが出来ません。 

 

河床に下りて、滝の正面から見たものです。滝つぼが広いです。

溶結凝灰岩を深く削って出来た滝です。 

 

 

近景。3段に落ちています。

名前の由来は、1670年頃に毘沙門寺があったことによるそうです。 

 

上部。

滝の上は1kmに渡って遊歩道が整備され、巨岩が重なり合い、夫婦岩や毘沙門の石があり、ミニ高千穂峡といわれているそうです。

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本名八幡神社

2011-12-14 | 史跡

鹿児島市本名町の本名八幡神社を訪ねました。

本名小学校の裏にあります。

  

本名小学校の横に鳥居があります。神社はこの正面の山にあります。 

 

鳥居の横にある本名八幡の庚申石憧。

建立は1544年です。地域の人の健康と祖先の霊を祭るために建てられました。 

 

階段の下に対の仁王像があります。 

 

右の阿像。 

 

左の吽像。

珍しく、どちらも破壊されていません。 

 

参道にタブノキの古木があります。

 

階段の上にある八幡神社社殿。 

 

極彩色の本殿。 

 

社殿の横に、ソテツの古木があります。

留守をするので、コメント欄閉じています。

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食の思い出「ヨーロッパ」

2011-12-12 | 食べ物

ヨーロッパ5カ国(イタリア、ドイツ、スイス、フランス、イギリス)を巡るツァーに参加したことがある。

 

昼食と夕食は、だいたいその国のお国料理であり、肉料理がメインだった。

食べる前、添乗員が料理の名前と素材の説明をしてくれた。

パリではエスカルゴを食べた。

オリーブオイルがからめてあり、日本で食べる貝のようで、くせもなく食べやすかった。

スイスではチーズフォンデュを食べた。

細かく切ったチーズを白ワインと共に鍋に入れて溶かし、これをパン、揚げた肉などにからめて食べる。

アルプス地方の家庭料理である。

フリータイムに、バザールで食べ物、果物、酒などを買い、妻とホテルで食べたこともあるが、ツァーのお仕着せの食事よりそのほうが楽しかった。

 

ナポリではサンタルチアなどのナポリ民謡を、パリではシャンソンを聴きながら食事したこともある。

向こうはチップ文化の国なので、歌い終わったらチップをあげるのである。

チップは、ホテル、レストラン、トイレ(観光地で管理人のいるトイレ)などで渡すのだが、常に小銭を用意しなければならないのと、どのタイミングでいくら渡せばいいか気を使い、わずらわしいことこの上ない。

このときほど、チップの習慣のない日本をありがたいと思ったことはない。

また、向こうでは食事でお冷は出ないので、お冷、お茶などがいくらでも無料で飲める日本は幸せだと思った。

 

旅も後半になると、現地の食事にだんだん飽きてきて、日本食が恋しくなった。

スイスの土産物屋で、おにぎりを売っていたので買って食べた。

すごく高かったが、今まで食べたどのおにぎりよりおいしく感じられた。

実は、こんなこともあろうかと、パック入りおかゆ、梅干などの日本食を持参していた。

同行の70代の男性が、食欲がなく、どうしても現地の食事が食べられないというので、それを全部差し上げた。

翌朝、「おかげで元気になりました」とお礼を言われた。

ヨーロッパの名物料理も、おにぎり、おかゆ、梅干にはかなわないのであった。

 

 

 

ナポリ市街地とベスビオ火山をバックに。

ポンペイ遺跡のレストランで、ナポリ民謡を聴きながら食事をした。

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