鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

ツルラン

2010-07-31 | 植物
奄美大島で、ツルランを見つけました。


森の中で、人知れずひっそりと咲くツルラン(鶴蘭、ラン科)。
群落はせず、あちこちに点在して咲いていました。


白い花を鶴が舞っている姿に見立てたものです。


清楚で優美な姿に見入ってしまいました。
花の真ん中が、オレンジ色または赤くなっています。
別名「夏エビネ」と言うそうで、南方系のエビネの仲間です。
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ヘチマ

2010-07-30 | 食べ物
4月20日に植え付けをUPした家庭菜園のその後です。


最初に収穫できたのが、ミニトマトです。


トマトも収穫。


キュウリ。
他に、シシトウ、ピーマンなどを収穫しました。
なお、メロンは梅雨の大雨で枯れてしまいました。


緑のカーテンとして植えたヘチマとニガウリです。


ヘチマの花。


ヘチマが実りました。
食用にします。


ヘチマとニガウリの味噌いためです。
ヘチマは、鹿児島ではよく食べられます。
とろっとした食感があり、なかなかおいしいです。

家庭菜園は、収穫から食卓まで数mで、究極の地産地消といっていいでしょう。
新鮮な無農薬野菜を食べられるのもいいです。
緑のカーテンは、日よけや目隠しになり、花を楽しみ、食用になるので1石3鳥くらいです。
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霧島神宮の杉と日枝神社のクスノキ

2010-07-28 | 巨樹・古木
龍馬の足跡を訪ねたとき、霧島神宮に御神木の大杉があったので紹介します。


社殿の前にある御神木の杉(霧島メアサ)。
霧島杉ともいい、南九州の杉の祖にあたるそうです。
 樹高:37m
 幹周り:7.3m
 樹齢:約800年


根元。


この杉は、根元近くから大きく枝分かれしています。


モミの古木。
下に、龍馬夫婦の看板があります。

次は、鹿児島市常磐町の日枝神社にあるクスノキを紹介します。

クスノキの全容。
 樹齢:約350年
大きく枝を広げ、棒で支えています。
鹿児島市保存樹に指定されています。


根元。


日枝神社。


石灯籠。
丸に十の字があります。

留守をするので、コメント欄閉じています。
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宮内の田の神他

2010-07-26 | 田の神
田の神を3体紹介します。


霧島市隼人町の鹿児島神宮にある、宮内の田の神です。
前は、鹿児島神宮御神田です。


頭にシキを被り、右手にメシゲ、左手に飯椀を持っています。
まさに、田の神舞を舞おうとしている生き生きした姿です。
1781年の製作で、鹿児島県指定民俗文化財です。


曽於市大隅町広津田の公民館の庭にある、広津田の田の神です。
田んぼを向いて建っています。


右手にメシゲ、左手にスリコギを持っており、目鼻立ちがはっきりしています。
大隅地方特有の神職型坐像で、高さ140cmと最大級です。
1847年頃の製作です。


出水市野田町下特手にある、下特手の田の神です。
道路脇にあり、田んぼを向いています。


正面。
出水市指定民俗文化財です。
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赤尾木城跡

2010-07-24 | 史跡
種子島の西之表にある赤尾木城跡を紹介します。


赤尾木城跡の通り。
右が榕城小学校、左が榕城中学校です。


榕城小学校の校門(裏門)。
赤尾木城は、1624年に内城(榕城中学校)からこの地に移り、その後250年間種子島氏の居城でした。
城跡の石垣が残っています。


居城にはアコウの木がたくさんあったので、赤尾木城と呼ばれました。
榕城小学校の校庭に、当時のアコウの木が1本だけ残っています。
ちなみに、榕はアコウ。


榕城中学校の脇にある赤尾木城跡の碑。
階段を上がったところに、種子島時尭(ときたか)の像があります。


種子島時尭の像。
鉄砲伝来のときの島主で、その時16歳でした。
ポルトガル人から鉄砲2丁を2000両で購入し、刀鍛冶の矢板金兵衛に命じて国産化に成功しました。
若い島主の好奇心が、日本の歴史を変えたといっていいでしょう。


時尭公が見下ろすところにある種子島開発総合センター。南蛮船の形を模したものです。
別名鉄砲博物館で、多くの火縄銃などが展示されています。


城跡の周辺には、当時のままの小路が残っています。
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岩元橋他

2010-07-22 | 石橋
石橋を3つ紹介します。


曽於市大隅町の岩元橋で、左岸から見た上部です。
岩川から国道269号を南へ行き、中村橋バス停を過ぎて左折し、少し行ったところにあります。


下流から見た岩元橋。
現道橋の上流に架かっています。


上流より。
 橋長:15.8m
 幅員:3.3m
 架設年代:大正5年


姶良市姶良町上名の、黒島神社前にある黒島神社橋です。
すぐ左で、山田川に合流しています。


上流から見た黒島神社橋。
 橋長:5.05m
 幅員:2.5m
 架設年代:天明4年(1784年)6月25日
鹿児島県で、2番目に古い石橋です。 


下流より。
要石が二つあります。アーチの形が円形ではなく、いびつです。


黒島神社橋の北にある木登瀬橋です。
 橋長:15.4m
 幅員:4m
 架設年代:不詳
コンクリートで巻いています。


下部。
暗渠と擁壁で道路改良がされており、その下流にあります。
車は通れません。
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英語語源日本語説

2010-07-20 | エッセイ
辞書を英語でdictionary(ディクショナリ)というが、これをジヒクショナリ(字引く書なり)と覚えたらいい、と聞いた人は多いと思う。
また、道は英語でroad(ロード)であるが、これをひっくり返すと日本語の道路(ドーロ)となる。
このように、日本語と英語の間に共通性のある言葉がある。

このことに着目したのが、清水義範の「序文」という短編小説である。
「英語の語源は日本語である」という奇天烈な学説を唱える素人学者の学術論文の序文、という体裁をとっている。
もちろんパロディなのだが、学者が自説の根拠としてあげている日本語と英語の共通性を見てみよう。
日本語から英語にどう変化したかを示している。

名前(namae)→name(名前) namaeからaをひとつ取ればname
坊や(boya)→boy(少年)
犬寝る(kenneru)→kennel(犬小屋) 
汁(ジュー ju)→juice(ジュース)
負う(ou)→owe(負う、借りがある)
斬る(kiru)→kill(殺す)
場取る(batoru)→battle(戦い) 日本の戦いは、相手の場(領地)を取ることだった。
掘る(horu)→hole(穴)
述べる(noberu)→novel(小説)
疾苦(sikku)→sick(病気)
だるい(darui)→dull(鈍い、活気がない)
たぐる(taguru)→tug(引き寄せる)
凍る(koru)→cold(冷たい)

このような共通性は、英語以外の言語と日本語との間にもあるかも知れない。
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坂本龍馬の足跡(3)

2010-07-18 | 史跡
龍馬夫婦は、塩浸温泉から栄之尾温泉へ行き、その後、高千穂峰登山をしました。
今回、高千穂峰へは登らなかったので、以前撮った写真をUPします。


新燃岳から見た高千穂峰(1574m)。右手前は中岳。
龍馬は、この登山の様子を、姉の乙女に絵入りの手紙で書き送っています。
頂上では、天の逆鉾を引き抜くといういたずらをしました。


龍馬夫婦は、霧島神宮にお参りしました。
これは大鳥居。


ここでも、夫婦の看板が迎えてくれます。


霧島神宮。
創建は6世紀で、以前は高千穂川原にありましたが、1484年この地に移り、現在の社殿は1715年に再建されたものです。


近景。


極彩色の彫刻。


岩永三五郎作の手水鉢の龍。


君が代に歌われている「さざれ石」。
石灰質角礫岩で、石灰岩の小石が集結して大きな石になったものです。
岐阜県の産です。


夫婦は、天保山の甲突川河口から桜島丸に乗って長崎へ向かいました。
これは河口付近にある龍馬とお龍の像。


二人が見つめる先には、桜島があります。


天保山砲台跡。
薩英戦争のとき、ここから砲弾が発射されました。
龍馬夫婦が鹿児島を訪れたのは1866年、薩英戦争はその3年前です。
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坂本龍馬の足跡(2)

2010-07-16 | 史跡
龍馬夫婦は、日当山温泉から霧島市牧園町の塩浸温泉へ行き、ここで11泊して傷の養生をしました。


塩浸温泉。
国道223号の脇にあります。川は天降川。
右の芝生の向こうに龍馬夫婦の像があります。


坂本龍馬お龍新婚湯治碑。


下流を望む。
温泉施設があり、最近リニューアルされました。
河岸に露天風呂が見えます。


夫婦は塩浸温泉に滞在中、近くの犬飼滝に行っています。
これは県道の脇にある滝見台。
龍馬夫婦の看板が迎えてくれます。


滝見台から見た犬飼滝。
川は、天降川の支流の中津川です。

滝つぼに行ってみました。
和気湯まで車で行き、そこから歩いて10分です。

川岸にある露天風呂の和気湯。
この後、男性が素裸で風呂に入っていました。
すぐ脇を滝見の人が通るのに、壁もありません。


和気清麻呂腰掛石。


滝つぼの少し下流から見た犬飼滝(高さ36m)。
龍馬は、この滝を見たことを姉の乙女に書き送っています。


滝つぼの滝見台から見たもの。
梅雨の時期で水量が多く、水しぶきがかかって、かすんだ写真になりました。


近くにある和気神社。和気清麻呂を祭る神社です。
龍馬が訪れたときは神社はなく、和気清麻呂の史跡があるだけでした。


狛犬の代わりに猪です。
和気清麻呂が大隅に流される途中、宇佐八幡宮に参拝し、猪が守ってくれたという伝説があります。
神社には、白猪が2頭飼われています。
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坂本龍馬の足跡(1)

2010-07-14 | 史跡
坂本龍馬と妻のお龍は、西郷さんらの勧めで鹿児島を訪れて、寺田屋事件で受けた傷を癒すため霧島の温泉へ行きましたが、これが日本最初の新婚旅行だといわれています。
鹿児島の、龍馬の足跡を3回に分けて紹介します。


鹿児島から舟に乗って、隼人町の浜の市港(今の隼人港)に上陸しました。


浜の市港の入口(錦江湾側)を望む。
橋は高速道路の橋で、その向こうの島は、隼人三島のひとつ辺田小島。


港にある恵比寿神社。
御神体は1730年に建立されたものですが、隼人港の完成を記念してここに移されました。


港の近くにある、坂本龍馬上陸の地の案内板。


龍馬夫婦は、霧島に向かう途中、日当山温泉に泊まりました。
これは、侏儒どん温泉。


西郷さん愛用の宿。


侏儒どんの像。
日当山侏儒どんは、島津家第18代家久公、第19代光久公に仕えた人で、御鷹師から日当山地頭職(今の村長)を勤めました。
風流こっけいな頓知話で藩主の寵愛を受け、その頓知話は今も語り継がれています。


侏儒どん橋。


龍馬の渡し。
龍馬夫婦は、ここで天降川を渡り、霧島へ向かいました。
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