飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

飯山さんが吠えている! 蓋し、正論だ!!-拡散-

2011-01-05 14:24:37 | 飯山一郎

飯山さんが菅直人を人だと吠えた!!
蓋(けだ)し、至言である。
パペット(繰り人形)を通り越して、人になった!!
現在、日本は史上最悪の宰相を戴いている・・・・。
戴いているのではない、簒奪されているのだ!!


 2010・6・2クーデターにより、日本の宰相は、菅直人という史上最悪の人物により簒奪された。そして、2010・9・14民主党代表不正選挙により、それは継続された。

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<こういう上目遣いに、ろくな奴がいない!>


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<何で、ボクに構うの?-至言->


 状況証拠は、ゴマンとある。認めるか認めないかの問題に過ぎない。


 その結果、それこそ『不条理』は、この簒奪政権によってもたらされている。そして、その不条理年頭会見は簒奪宰相アッケラカン(菅)によって、高らかにその醜さを天下に露呈した。それを飯山さんは怒っているのだ。当然だ。その醜さの悪臭は芬々たるものだ。


 それは分かる人には分かる。


 それをマスゴミの脳天気は、まことしやかに報道しているが、まことしやかのは脳天気だからではない。飯山さんの言う『トカゲ』の走狗だからである。トカゲというのは、日本を植民支配し続けようとしている、米国のCIAとそれを使役する国際金融資本グループである。


 リチャードさん流に云えば、『ユダ金』グループである。別名、『世ゴロ協』である。既にアメリカに寄生し、密を吸い尽くした悪徳グループである。


 アッケラカン(菅)は、その最たるパペット(繰り人形)である。トカゲの尻尾だと飯山さん云う。それはそうだが、これまでもパペットは日本政界にも多くいた。しかし、五分の魂はあった。しかし、菅にはそれがない。だから、人だというのである。言い得て、妙、至言だと云うのだ。


 こういうコメントがあった。


あけましておめでとうございます。今年も毎日欠かさず貴ブログの内容をチェックさせて頂きます。ご教示の程、宜しくお願い致します。さて、菅 氏の本性が出た発言に対して飯山氏のコメントが痛快ですね。ネットを通じてもっともっと拡散できればと思います。それにしても北陸福井において1月3日は 快晴の中、昼過ぎからのケムはすごかったです。最後に、今年一年もどうぞ御身体をご自愛下さい。

<返事>
moss 様
あけましておめでとうございます。

 そうですね。最悪の宰相を、今、日本は戴いているわけで、戴いていると云うよりも、簒奪されているわけです。飯山さんでなくとも、想いは一緒ですね。拡散しましょう。

本年もよろしくお願いします。

飄平


 速攻、拡散する。そのままズバリを拡散する。詳しい説明は、必要ない。至言だからである。しかし、46ポイントの文字は、拡散にも一工夫がいるのが、苦労である。しかし、その苦労を厭っては居られない。


菅直人は、本日、
今年は、政治とカネの問題に決着をつける!
と述べた後、次のような発言もした。
強制起訴された場合、小沢氏は自発的に国会議員を辞職すべきだ。

一緒に政権交代をなしとげた、無実の (真っ白な) 同志に対して、
「そこまで言ったら人間じゃねーだろ!!」
という、到底聞き捨てならない、絶対に許せない、人の発言だ。

菅直人。コイツは日本人ではない! 人間でもない!
強いて言えば、狂犬だ!


菅直人、




コイツは狂っている!

 


菅直人。この狂犬をせよ!
私は、やむにやまれぬ暗殺の思念 を支持する。




菅直人、





コイツを殺せ!

 

【転載終了】


不思議な少年!! その93

2011-01-05 13:41:34 | 物語

イエス子供を火中から救い出し、聖言(みことば)で火を消す!! 


 聖言(みことば)で、火を消す等と言うことがあるだろうか?と考えるのが普通であろう。しかし、あり得る話だと考えることも、自由である。

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記事に無関係>  


 投稿者などは、何でもあり得るという立場であるから、不思議とは想わない。細かく詮索つもりもない。人間は最終的には何でも出来る存在であると自然に考えている。


 問題は、聖意(みこころ)に叶うか否かが問題なのである。その真逆もあろうが、それは頂けない。しかし、それもあり得ることだと考えている。人は、神にも鬼にもなれる存在である。それだけの自由に委ねられている。


 だからと言って、その自由を無制限に吹聴するつもりはない。それは自業は自得であるからである。そのための良心がある。良心を台無しすることは、人間を止めることに通ずる。人間を人間たらしめることは何か? それを常に思考することが重要だ。


 それにしても、この章は好きな章の一つだ。誰でも真人間に成れるという希望がある。


 良心にはその根底に愛がある。愛はエネルギーである。その方向性が、時には憎しみになり、嫉妬になり、自暴自棄にするが、元は愛である。愛がないと言うことは、無い。愛が無いと云うことは、全てがないと言うことである。


 憎しみは愛の不在と云うが、それはウソであろう。愛故に憎しみが存在する。愛のエネルギーのベクトルの違いに他ならない。換言すれば、はき違えである。もっと云えば、利己愛であって、本来の姿ではない。愛は外に向かってこそ愛であろう。何故なら、愛は内から奔流するものであるから、それが行き場を失うと、自らを焼き尽くす。


 利己愛は、憎しみ、嫉妬、自暴自棄となって自らを焼き尽くす。とにもかくにも、愛なくして人は片時も生きられない。


  キリスト者ラザエの家で開宴中、町に火事が起る。イエス子供を火中から救い出し、聖言(みことば)で火を消す。酔っぱらいを救って実際的教訓を示す。



 さて、ラザロは祝宴を張り、イエスと十二弟子はそのベタニヤの家に行った。そしてラザロとその姉妹はイエスと十二弟子のために食事を用意し、またルツとアシャーもエリコから来た。これはアシャーがもうキリストに対して敵意を抱かなかったからである。


 客人たちが食卓についている時しも、見よ、村に火事だという叫び声が起った。人々は町に駆けつけた。見れば多くの隣人の家が燃えている。


 2階の部屋に一人の幼児(おさなご)が熟睡中であったが、誰も日の中を通ることは出来ない。母親は心配で狂わんばかり、子供を助けてくれと叫ぶばかり。


 その時イエスは火の霊が青くなって震え出すような大声拳、はりあげて言った、「だまれ、だまれ、静かにせよ。」


 それから彼は煙と焔(ほのお)の中を歩み、落ちかかって居る階段を昇り、一瞬にして再び姿を現わし、その両腕に子供を抱いていたが、火のあとが彼にも着物にも子供にもついていなかった。


 それからイエスは手を挙げて火の霊を叱りつけ、恐ろしい仕事を中止して静まれと言った。すると海上の大浪が一度に火焔を襲ったように火は消えた。あれ狂った火がやんだから、人々は火を鎮めることの出来る人を見ようと狂い出した。イエスは言った、


 「人は火のために出来たのでなく、火が人のために出来たものである。人が正気づいて神の子なることを知り、自分に神のすべての力がやどることを知れば、その人は大智者であって、すべての自然力はその声を聞いて喜んで従う。

 二頭の頑丈な驢馬(ろば)が人間の意志をしばりつけている。それは恐怖と不信である。これを捕えて投げ捨てれば、人の意志は無限に強くなる。そうすれば人間は言うだけで万事意の如くになる。」


 それから客人たちは戻って来て席についた。ひとりの小さな子がイエスのそばに立っていた。


 この女の子はイエスの腕に手をかけて言った、「どうぞ、イエス先生、お聞き下さい、父は大酒飲みです。お母さんは朝から晩まで働き、お金を 持って帰ると、父はこれをひったくって、すっかり酒代(さかしろ)にします。それで母も子供たちもひとばんじゅうおなかがへってひもじいのです。

 どうぞ、イエス先生、わたしと一緒に来て父の心に触れて下さい。酒を飲まない時は至って善良で親切ですの。お父さんを別人にするのはお酒です。」


 そこでイエスは子洪と共に出かけ、その荒れ果てた家に行った。彼は母と子供たちに親切に話しかけた。それから藁布団(わらぶとん)の中にやすんでいる酒のみを見つけた。


 彼はその手をとって言った、「わが友よ、われらの父神の姿に造られた人よ、起きてわたしと一緒に来ないか。あんたの隣人たちは大変こまって居る。恐ろしい火事で何もかもなくしてしまった。みんなは再び家を建てなければならない。そしてあんたとわたしは先きに立って働かなければならない。」


 するとその男は立ち上がった。二人は手に手をとって火事のあとを見た。


 二人は母親たちや子供らが街頭で叫んでいるのを聞き、その惨状を見た。


 そしてイエスは言った、「友よ、ここにわれらのなすべき仕事がある。助ける手段を講じてほしい。屹度ベタニヤの人々はあんたに材料を供して手伝ってくれるだろう。」


 長いことこの男の心にくすぶっていた希望の閃光(ひらめき)があおられて燃え出した。彼はぼろの着物をぬぎ捨てて、真人間となったのだ。それから彼は手伝いを求めた。これは自分のためでなく、家なき人々のためであった。みんなは手伝って、破れた家が再び建てなおされた。


 それから、その男は自分のみすぼらしい家を見て、心の奥底まで動かされた。


 人間としての自尊心が一杯になった。彼はlこの古巣を家庭らしくしよう」と言って、これまでなかったほどよく働いた。みんなも手伝ってやった。


 かくて間もなく不潔であったあばら家はひとかどの家庭らしくなり、愛の花が家の中に匂った。母と小さな子供たちは喜びに満ちた。その後父は二度と酒を飲まなくなった。


 これでひとりの人間が救われた。それから後、誰も怠慢とか酔態と言う言葉を口にする者なく、誰も無理に改心せよと言う者もなくなった。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            

第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 

 
 第九十二章 キリスト者ラザエの家で開宴中、町に火事が起る。イエス子供を火中から救い出し、聖言(みことば)で火を消す。酔っぱらいを救って実際的教訓を示す。


1)さて、ラザロは祝宴を張り、イエスと十二弟子はそのベタニヤの家に行った。

2)そしてラザロとその姉妹はイエスと十二弟子のために食事を用意し、またルツとアシャーもエリコから来た。これはアシャーがもうキリストに対して敵意を抱かなかったからである。

3)客人たちが食卓についている時しも、見よ、村に火事だという叫び声が起った。人々は町に駆けつけた。見れば多くの隣人の家が燃えている

4)2階の部屋に一人の幼児(おさなご)が熟睡中であったが、誰も日の中を通ることは出来ない。母親は心配で狂わんばかり、子供を助けてくれと叫ぶばかり。

5)その時イエスは火の霊が青くなって震え出すような大声拳、はりあげて言った、「だまれ、だまれ、静かにせよ。」

6)それから彼は煙と焔(ほのお)の中を歩み、落ちかかって居る階段を昇り、一瞬にして再び姿を現わし、その両腕に子供を抱いていたが、火のあとが彼にも着物にも子供にもついていなかった。

7)それからイエスは手を挙げて火の霊を叱りつけ、恐ろしい仕事を中止して静まれと言った。

8)すると海上の大浪が一度に火焔を襲ったように火は消えた。

9)あれ狂った火がやんだから、人々は火を鎮めることの出来る人を見ようと狂い出した。イエスは言った、

10)「人は火のために出来たのでなく、火が人のために出来たものである。

11)人が正気づいて神の子なることを知り、自分に神のすべての力がやどることを知れば、その人は大智者であって、すべての自然力はその声を聞いて喜んで従う。

12)二頭の頑丈な驢馬(ろば)が人間の意志をしばりつけている。それは恐怖と不信である。これを捕えて投げ捨てれば、人の意志は無限に強くなる。そうすれば人間は言うだけで万事意の如くになる。」

13)それから客人たちは戻って来て席についた。ひとりの小さな子がイエスのそばに立っていた。

14)この女の子はイエスの腕に手をかけて言った、「どうぞ、イエス先生、お聞き下さい、父は大酒飲みです。お母さんは朝から晩まで働き、お金を持って帰ると、父はこれをひったくって、すっかり酒代(さかしろ)にします。それで母も子供たちもひとばんじゅうおなかがへってひもじいのです。

15)どうぞ、イエス先生、わたしと一緒に来て父の心に触れて下さい。酒を飲まない時は至って善良で親切ですの。お父さんを別人にするのはお酒です。」

16)そこでイエスは子洪と共に出かけ、その荒れ果てた家に行った。彼は母と子供たちに親切に話しかけた。それから藁布団(わらぶとん)の中にやすんでいる酒のみを見つけた。

17)彼はその手をとって言った、「わが友よ、われらの父神の姿に造られた人よ、起きてわたしと一緒に来ないか。

18)あんたの隣人たちは大変こまって居る。恐ろしい火事で何もかもなくしてしまった。みんなは再び家を建てなければならない。そしてあんたとわたしは先きに立って働かなければならない。」

19)するとその男は立ち上がった。二人は手に手をとって火事のあとを見た。

20)二人は母親たちや子供らが街頭で叫んでいるのを聞き、その惨状を見た。

21)そしてイエスは言った、「友よ、ここにわれらのなすべき仕事がある。助ける手段を講じてほしい。屹度ベタニヤの人々はあんたに材料を供して手伝ってくれるだろう。」

22)長いことこの男の心にくすぶっていた希望の閃光(ひらめき)があおられて燃え出した。彼はぼろの着物をぬぎ捨てて、真人間となったのだ。

23)それから彼は手伝いを求めた。これは自分のためでなく、家なき人々のためであった。みんなは手伝って、破れた家が再び建てなおされた。

24)それから、その男は自分のみすぼらしい家を見て、心の奥底まで動かされた。

25)人間としての自尊心が一杯になった。彼はlこの古巣を家庭らしくしよう」と言って、これまでなかったほどよく働いた。みんなも手伝ってやった。

26)かくて間もなく不潔であったあばら家はひとかどの家庭らしくなり、愛の花が家の中に匂った。

27)母と小さな子供たちは喜びに満ちた。その後父は二度と酒を飲まなくなった。

28)これでひとりの人間が救われた。それから後、誰も怠慢とか酔態と言う言葉を口にする者なく、誰も無理に改心せよと言う者もなくなった。


【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 92

The Christines at a feast in Lazarus' home. A fire rages in the town.
Jesus rescues a child from the flames and stays the fire by the Word.
He gives a practical lesson on how to redeem a drunken man.

NOW, Lazarus was at the feast and Jesus and the twelve went with him to his home in Bethany.
2) And Lazarus and his sisters made a feast for Jesus and the twelve; and Ruth and Asher came from Jericho; for Asher was no longer hostile to the Christ.
3) And while the guests sat at the board behold a cry,
The village is a-fire!
and all rushed out into the streets, and, lo, the homes of many neighbors were in flames.
4) And in an upper room an infant lay asleep, and none could pass the flames to save. The mother, wild with grief, was calling on the men to save her child.
5) Then, with a voice that made the spirits of the fire pale and tremble, Jesus said,
Peace, peace, be still!
6) And then he walked through smoke and flame, climbed up the falling stair, and in a moment came again, and in his arms he brought the child. and not a trace of fire was on himself, his raiment, or the child.
7) Then Jesus raised his hand, rebuked the spirits of the fire, commanding them to cease their awful work, and be at rest.
8) And then, as though the waters of the sea were all at once poured on the flames, the fire ceased to burn.
9) And when the fury of the fire was spent the multitudes were wild to see the man who could control the fire, and Jesus said,
10) Man was not made for fire, but fire was made for man.
11) When man comes to himself and comprehends the fact that he is son of God, and knows that in himself lie all the powers of God, he is a master mind and all the elements will hear his voice and gladly do his will.
12) Two sturdy asses bind the will of man; their names are Fear and Unbelief. When these are caught and turned aside, the will of man will know no bounds; then man has but to speak and it is done.
13) And then the guests returned and sat about the board. A little child came in and stood by Jesus' side.
14) She laid her hand on Jesus' arm and said,
Please, Master Jesus, hear! my father is a drunken man; my mother toils from morn till night and when she brings her wages home my father snatches them away and squanders every cent for drink, and mother and us little ones are hungry all the night.
15) Please, Master Jesus, come with me and touch my father's heart. He is so good and kind when he is just himself; I know it is the wine that makes another man of him.
16) And Jesus went out with the child; he found the wretched home; he spoke in kindness to the mother and the little ones, and then upon a bed of straw he found the drunken man.
17) He took him by the hand and raised him up and said,
My brother, man, made in the image of our Father-God, will you arise and come with me?
18) Your neighbors are in sore distress; they have lost all they had in this fierce fire, and men must build their homes again and you and I must lead the way.
19) And then the man arose; the two went arm in arm to view the wrecks.
20) They heard the mothers and the children crying in the streets; they saw their wretchedness.
21) And Jesus said,
My friend, here is work for you to do. Just lead the way in helpfulness; I'm sure the men of Bethany will furnish you the means and help.
22) The spark of hope that so long had been smoldering in the man was fanned into a flame. He threw his ragged coat aside; he was himself again.
23) And then he called for help; not for himself, but for the homeless ones; and everybody helped. The ruined homes were built again.
24) And then he saw his own poor den; his heart was stirred into its depths.
25) The pride of manhood filled his soul; he said,
This wretched den shall be a home.
He worked as he had never wrought before, and everybody helped.
26) And in a little while the den became a home indeed; the flowers of love bloomed everywhere.
27) The mother and the little ones were filled with joy; the father never drank again.
28) A man was saved, and no one ever said a word about neglect or drunkenness, nor urged him to reform.

 【続く】