飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

竹原革命の意味するもの-日本の縮図、日本の革命-③

2011-01-22 11:05:06 | ブログ

公務員という現代の「身分制度」、
これが官僚制度の本質だ!!
国家の官僚も、地方の役場職員も、
本質は変わらない!!


 「身分制度」であるから、世襲もあるだろう。驚くべき事に全公務員の40%近くは、試験に依らずコネで採用されているという。その相場は、大体、300万円だと囁かれている。

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 友人にかつて、地方市議会議員であった者がいる。 有権者の依頼の一つは、役所への就職依頼がある。彼はその報酬を求めなかったと云うが、必ず、来る。彼の場合、3期半ばで辞職したが、3期全うすれば、議員年金の資格が得られる。安泰となるはずであった。


 質問は、殆ど、ヤラセであるらしい。持ち回りがあって、大体、その回答も予定のされている。政策、事業の実行には、必ず、踏まえねばならない行事だからである。その質問趣意書も、職員に協力を求めなければならない時がある。


 一事が万事であろう。竹原氏の云うことは、決して、阿久根市特有の実態ではないのである。


 よく、55年体制という言葉ある。これは国政の話であるが、保守革新壮絶な戦いは、表の話で、裏ではつるんでいるのである。話し合いが付いている。しかし、国会の場では、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が彷彿するが、落としどころは決まっているのである。


 実は、もたれ合い体制を、55年体制とも云われるのだ。


 地方では、それが今だに続いている。これまでは良かった。いずれにしても右肩上がりの時代の遺物であって、もたれ合いは官民互いに分け前にあずかることが出来た。


 しかし、時代は停滞した。公務員は身分を保全し、民間は塗炭の苦衷に在る。そこに、革命は、公益事業である理由がある。


 市長選には破れたが、リコール差3000票は、選挙では僅か800余票で、僅差であった。これが物語るものは何か? そして、この事業は一人竹原氏個人事業ではない。住民至上主義(=主権者国民主義)は、今、勃興しようとしている。


 革命事業は、住民一人ひとり、国民一人ひとりの目覚めがなければ、達成されない。市長選では竹原氏は退場したが、この事業からは決して退場することはないであろう。それは目覚めた人間誰にも云えることである。


竹原信一候補、三度目の阿久根市長を目指す戦場から⑤6日目街頭演説
http://www.youtube.com/watch?v=B-4ZIPhtWWI


竹原信一候補、三度目の阿久根市長を目指す戦場から⑥最終街頭演説
http://www.youtube.com/watch?v=qxgzCrYbN14


<終わり>