飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

日馬富士騒動の裏に隠された相撲協会の闇!

2017-11-28 15:31:49 | 日本

世が乱れると相撲が乱れる・・・
相撲は国技である前に神事である
何が何やら皆目藪の中だったが・・・
少し見えて来た!

 

相撲協会が必死になって隠そうとする闇は、

やっぱり、

ガチンコ相撲であったのか?

そうでなければ、

貴乃花親方の動静が批判される理由がない。

 

司直に委ねられたのである。

なら、

その結果を粛然と見守る方が先決である。

その前の協会独自調査は妨げないが、

優先される理由にはならない。

相撲協会はそれに固執している模様であるが、

貴乃花親方は頑として応じない。

だからといって、

非難される理由にはならない。

 

暴力事件は歴然としているのであるから、

その解明が優先されるのは至極当然である。

証言が藪の中にあるのは、

それぞれの思惑があるからであり、

思惑がある処に私欲が垣間見られる。

それが闇である。

 

何とか事なきを願うのは人情である。

白鵬関にもそれが見られる。

それは人情であるが、

勝敗に拘る横綱にそれ以上のものが見受けられない。

白鵬関はそれを露呈した。

勝敗もさることながら、

それを越えたところに美学がある。

真善美の美学である。

 

神事というのは、

真善美に貫かれていなければ、

意味を為さないだろう。

これはモンゴル人には無理な相談だろうか?

一応、

白鵬関のファンとして一抹の不安を感じた。

【大相撲】白鵬、立ち合い成立後に「待った」を主張 土俵下で1分間棒立ち

 

神事と言えども、

興業であるから人間臭さは致し方はないが、

あまりにもそれに傾いているのが

相撲協会にあるのではないか?

というのが実感である。

八百長が蔓延り、

利害得失が優先されるとしたら、

興業であることで容認される話ではない。

神事であるなら、

赤心が求められよう。

 

それがあるから大相撲が限りなく魅力を放つ。

魅力だけでなく、

生きる指針になる。

指針を失えば只の興業に堕する。

品格が問われるのはそういう事情である。

任侠道に仁義が廃れて、

只の暴力団・マフィアになるごとくである。

相撲道が神事であり、

単なるスポーツマン精神と異にするのは、

一つの人生の指針である道を示すからである。

【武田邦彦】日馬富士騒動の裏に隠された「奴らの本当の狙い!」おかしいと思いませんか?

 

武田先生の観たては的を得ている。

粛々と非を正し、

利害得失で蠢く相撲協会の闇を

封殺する必要がある。

処分するべきは断固処断すべきで、

身贔屓な結論に日本人は容認しないだろう。

 

つまり、

真実解明は司直に任せ、

その結果をもって処断する。

これ以外に途はない。

モンゴル人に依る親睦会は自由だが、

その序列に依る制裁は厳しく戒めなければならない。

制裁があるということは、

忖度も存在する。

当然、

八百長の温存にもなるだろう・・・。

至極当然の憂いでもある。