この間 従妹の中で一番年下の人と
電話やメールのやり取りがあって
あっという間の出来事
彼女のお父さんがなくなってしまった
その人は群馬出身のかたで
叔母さんが私から見れば血縁にあたる
絵を描くのが好きで(よく覚えてないけれど
本業は理科系工学系っぽい人だった気がするけど)
絵を習って 私の水彩連盟みたいに
そういうおけいこをしている人の多い団体に出品して
多分会員とかにもなってた
私をそんなやあんなで 親しく思い かわいいと思ってるよ
というメッセージを発してくれる叔父さんだったひとだ
私の母たちは 12人兄弟 子供の時にお母さんが亡くなって
お父さんが病に倒れ
小さかった子たちは皆バラバラに親族のもとで育ったが
その亡くなったおじさんの奥さんである人だけ(この人が末っ子
当時は赤ちゃん)
深川にいた 子供のない夫婦の養女になって育ったのだ
だいたい養女をもらったお父さんというのは
娘になった子を溺愛するんじゃないか?
(私がそうされた)
それでそのおばさんのお父さんになった人は
母たちの親族とその後一切関係を持たないように
養女とばれないように 育ててきた
(これも私の父 そっくり)
でも ほれ 場所は深川
戦争当時 空襲で大変だったところだ
そこでおばさんは初めて お前は一人っ子ではない
兄姉がある
もしもの時は探して頼りなさいと 隅田川のほとりで
お母さんに打ち明けられたそうだ
そうして
そのおばさんが実の兄弟を探し当てたのが
それから7年後くらいよ
私が小学校4年生の時だ
この人も叔母さんよ と教えられたけれど
叔母さんにしちゃ 若い
だから ずっと お姉さんと呼んできた
だから 相棒の叔父さんだって
お兄さんと呼んでいたのだ
お兄さんが享年85歳 電話を掛けてきた従妹が53歳
私が71歳だから 年は叔母叔父のほうが近いのだもの
さて 私は 手術やら何やらで
お別れの儀式に行かれない
(そこは千葉なのだが 千葉でもちょっと遠いのだ)
よしこちゃんと連絡を取って よしこちゃんにいろいろお願いをした
私には兄弟がないので
こう考えると よしこちゃんが頼りになる
ありがたい従妹だ