遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

一〇日ぶりにお風呂に入った

2015-04-04 17:29:53 | ただの記事

ようやく許可が出たからね

下半身 シャワーはいいというのが数日前から出てたが

白状すると 下半身浴はしちゃった

何しろ 私の身体は痛くて

温めると やっと動けるという代物

湯船に入っちゃいけません

って 万が一のしぶきでしょ?

保護メガネして

温まるのやっちゃったけど

今日は 洗うのも出来て さっぱりした

叔母さんのなにゃらの会費納入があるので

郵便局に出掛けたが

途中で 友達から電話が来て 送った郵便物が届かないというので

一回帰宅

郵便物作ってもう一回送ることにした

だいたいド田舎のここは

郵便回収の回数も少ない

休日は収集に来るのか?と疑い

もう一回郵便局へ


そしたらさ

なんじゃあ!!??

今度は私の同窓会費納入用紙が届いた


たかが車で5分くらいのところだが

日に三回も往復する気にならないので

今日はもうやめた

そうするとさ

忘れるんだよ すぐやらないと・・・・

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叔父さんが亡くなった

2015-04-04 07:10:15 | ただの記事

この間 従妹の中で一番年下の人と

電話やメールのやり取りがあって

あっという間の出来事

彼女のお父さんがなくなってしまった

その人は群馬出身のかたで

叔母さんが私から見れば血縁にあたる


絵を描くのが好きで(よく覚えてないけれど

本業は理科系工学系っぽい人だった気がするけど)

絵を習って 私の水彩連盟みたいに

そういうおけいこをしている人の多い団体に出品して

多分会員とかにもなってた


私をそんなやあんなで 親しく思い かわいいと思ってるよ

というメッセージを発してくれる叔父さんだったひとだ


私の母たちは 12人兄弟 子供の時にお母さんが亡くなって

お父さんが病に倒れ

小さかった子たちは皆バラバラに親族のもとで育ったが

その亡くなったおじさんの奥さんである人だけ(この人が末っ子

当時は赤ちゃん)

深川にいた 子供のない夫婦の養女になって育ったのだ


だいたい養女をもらったお父さんというのは

娘になった子を溺愛するんじゃないか?

(私がそうされた)

それでそのおばさんのお父さんになった人は

母たちの親族とその後一切関係を持たないように

養女とばれないように 育ててきた

(これも私の父 そっくり)


でも ほれ 場所は深川

戦争当時 空襲で大変だったところだ


そこでおばさんは初めて お前は一人っ子ではない

兄姉がある

もしもの時は探して頼りなさいと 隅田川のほとりで

お母さんに打ち明けられたそうだ

そうして

そのおばさんが実の兄弟を探し当てたのが

それから7年後くらいよ

私が小学校4年生の時だ

この人も叔母さんよ と教えられたけれど

叔母さんにしちゃ 若い

だから ずっと お姉さんと呼んできた

だから 相棒の叔父さんだって

お兄さんと呼んでいたのだ

お兄さんが享年85歳  電話を掛けてきた従妹が53歳

私が71歳だから 年は叔母叔父のほうが近いのだもの


さて 私は 手術やら何やらで

お別れの儀式に行かれない

(そこは千葉なのだが 千葉でもちょっと遠いのだ)

よしこちゃんと連絡を取って よしこちゃんにいろいろお願いをした


私には兄弟がないので

こう考えると よしこちゃんが頼りになる

ありがたい従妹だ


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