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遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

古い写真

2020-08-14 18:29:29 | 日記

もっと古い写真が出てきた

酔っぱらいオヤジ

これ年頃は怪獣と同じくらい

その年で

あの戦争で 理不尽な渦の中を過ごして生き延びてきたのだな

そうして 戦争で父親を失った私の父になったわけだ

この車は会社の車

運転手だ

背後の家が上司の家だな

(私がカエル踏んじゃった家)

今怪獣の家に行くと 寝かせてもらってる部屋のある所は

昔は土間で

こういう会社の車が 収まっていた

その車で 私は あちこち連れて行ってもらった

奥多摩や 江の島

奥多摩の小河内ダムは

それができる間何回も連れて行ってもらって

出来ていく様を見た

ベンツなんかに乗っていったのよ

上の写真は フォードかな?

当時は外車が多かった

おやじさんは運転名人だったから

ドジな私は免許を取ってはいかんと言われてたが

田舎に来ることになって おばさんに免許取得を命じられた

反抗したら

田舎は車がなきゃ暮らせねえ!取れ!

とご命令だった

でもそろそろ認知症のテスト 視力テストで

免許更新難しいかも

そうしたら どうしたらいいんだ?

 

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横網町公園

2020-08-14 16:24:04 | 日記

バタヤって 気軽に使ってたがその由来

気になって色々調べ始めた

私は 深川 住吉の生まれだが

それは戦争中 そこに母と二人で

多分間借り生活

そばにお産婆さんがいて

私を孕んだせいで病気になった母は寝たきり

お産婆さんが面倒見てくれて

生まれた私も見てくれたそうだ

その母は 両国で育った

あの関東大震災のときのデマゴギーの渦の時は

赤ん坊だったはずだが

なんかが植え付けられてて

母は 朝鮮の方への偏見が多かった

私がデモなんかに行くと

ノリコ アカだけはだめよ

親戚中に迷惑がかかる

とよく言ってたが あの渦に 

あの界隈の人たちも巻き込まれたのだろう

くらいしか知識はなかった

然し 調べるほどに 根が深い

横網町の公園には慰霊堂があって

そこのイベント情報見たら

慰霊祭に 小池百合子 の追悼文ささげた とあった

??? 追悼文 送らないって 問題になってるのに?

と思ったが

それは 大空襲の慰霊祭だった

 

 

韓国ドラマおばさんだからか

ともかく

韓国のいろいろなことは

自分の国のことを理解するにも役立つと思うことが多いけど

異常な敵視 蔑視ってすごく危険だ

と思う

中国のあれこれも 私は何だよと思うことも多いけど

でも

この近くで絡み合って互いに

歴史を作ってきた国家間を引き裂こうという 

気配が怖い

それを なんで この太平洋を渡ってきた軍事力に頼って

いるのか

改憲して再軍備しようとしてるのか

それらすべて なんかあれに結びついていく

 

なんか人類滅亡の予感だよ

 

あああ 超!暑いし

これって

神様が罰を食らわせてるのかよ!

 

大事なのは かわいい 小さい者たちだろうが!

糞!もとい ウンチ!💩(ハハハこれも絵文字あった)

 

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やあ ちびたち おじちゃまの絵見に行ったのね

2020-08-14 13:38:04 |  孫孫

やあいいな ちびたちおじちゃまの絵見に行ったのね

怪獣おじちゃまにも会えたかな

 

 

 

コメント (2)
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今度は小学校時代

2020-08-14 11:33:23 | 日記

小学校時代の写真なんか

あまりない

カメラなんか 

どこの家のもあるというものではなかったしな

私の住んでた町は 町名を聞くと

お屋敷町風に思われるが

町の北外れは 貧民街だ

わが家は北外れ

最初に小学校に行くときおててつないで行った子の家は

バタヤみたいな家に住んでた

って

若い人はバタヤ 知らないだろう

この川の右河岸にもかつてはバタヤがあったらしい

廃品回収業などをして公有地を不法占拠して

暮らしてたような人達だ

家の近くには廃品回収業の元締めの家があって

そこは お金持ちだった

 

この辺のことは 歴史をあさるといろいろ出てくる

 

私の最初の小学校の友達の家の後は

今は公民館になってる

やっぱり 戦後 そこを不法占拠して住んでたのかもしれない

 

小学校の高学年時の担任の先生の配慮で

私をターゲットにした批判会みたいな学活があったことは前に書いたこともあるが

先生が ものの見方を 立場を変えて考えられるように仕組んでくださったのだが

 

その 最初のおててつないで小学校に通った子からも

コテンパンに批判されちゃって

初めて その子の立場に立って物を見ることを

教えられた

でも まだまだ小学生のころは能天気で

この社会のありようなんて

大して わかっちゃいなかった

これが小学校時代の出てきた写真

向かって左端が私

今私は大きい方じゃないが

小学生くらいまでは 背は高い方だった

思い出せば 真ん中の子の家は豪邸だったな

その隣の子は 私立大学に行った

私なんて

私立なんて 受験料もないよ

 

この小学校は 私立の中学校に行く子が

結構多かった

麻布中学付属小学校 って 笑って親たちが言ってた

りした

私のクラスには麻布に行った子はいない

慶応に行った子が数人いた

 

でも今思えば 友達のことをいろいろ思い出しても

社会のありようの歴史

この割れ切った世界の成り立ち

いろいろ

知らなかったことが多い

 

 

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階層化社会

2020-08-14 04:42:00 | 日記

ネット上に出てきた

高校3年生の文章を読んだ

世代が変わるとずいぶんいろいろ変わるなあ

とも思い

根の深いところは 同じ原理だなあとも思い

今新たに相対性理論の発展が来るかいな

と思った

アインシュタインが

1879年3月14日 - 1955年4月18日

マルクスが

1818年5月5日 - 1883年3月14日

ヘーゲルが

1770年8月27日 - 1831年11月14日

資本主義社会のここまでの歴史が

もしかして

質的転換期に来てるかなあ

などと空想してしまう

 

それは 親と私の考え方の違いに

ふうん!?と思ったことと似ている

 

これからの若い人たちがどういう風に社会を作っていくだろうか

 

この文章の題は

この割れ切った世界の片隅で というものだけど

割れ切ったさまは 見る場所 視点で

ずいぶん違う

 

年齢でも この著者と私は57歳違うものな

でも

共通するものも多い

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