じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

野良写真(田圃)

2014-08-19 20:29:24 | 写真

8月某日 野良を歩くには暑い日だった



俺 こいつ 大嫌い ハリガネムシが苦手!!!


すくすくと 稔ってました


炎天下の石の上 殿様は何を想っていたのか?


嗚呼 殿様はハグロトンボが御所望なのか?


意味の無い逆光 でもこう言うのが好きです


ネジリンボウ ひねくれてる訳じゃない、ってか?


お前は クズだ!! ええ、私は葛の花です、ってか?


ホウズキ相手に無意味な逆光 こう言うの好きなんです


つまらん 逆光に向けられないなんて つまらん


ツバメが落ちてると思って近寄ったら 皆して飛んで逃げた


無意味な 虫と花


無意味な虫と花 無視でいいです


ただの ベニシジミ ナンでアサリは居ないんだ?


隠れるのが下手な ショウリョウバッタ


誰も見てない時には踊っていそうに見えた ひまわり


ススキ は 撮らないわけにはいかない


本日の一番好きな写真 「晩夏」ベタ過ぎか?


私のタイプでは無い花です か弱そうで

ただ今宮城県美術館にゴッホのひまわりが来ているんだが、未だ見に行っていない。
大人1200円ですと・・・いや、ナンボ無職でも1200円くらいはだせるんだが、未だ夏休みなんでガキが多いんじゃないかと思って控えている。

でも、今月一杯と言うから見に行って来なくちゃ・・・やっぱしホンモノは見とくべきだと思うんですよね・・・そして、見た上で正々堂々と勝負する!!!

まっ、相手にされていなくても、気持ちだけは・・・いや、ひまわりを撮ろうとしただけでゴッホが浮かんじまうと言う事は、話しにナン無いよなぁ・・・。

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歴史を見た!!!

2014-08-19 16:36:38 | 日記的雑談
まっ、歴史だなんて大層なもんじゃありませんが、しかし、未だ日本国民がチョンマゲ結っていた頃のナニがこの団地の下にはゴロゴロしている訳であります。

いや、奈良とかアッチの方の、蘇我馬子がトーしたコーしたの古墳や墳墓の話しとはスケールが違い過ぎるしアレなんですが、妙に今に近い分だけリアルな想像ができちまうと言いますか、石仏など見ても感慨深いと言いますか、味わい深いと申しますか・・・まっ、そう言うモノが団地の下に沢山在ると言う事です。



文と言う文字が見えるんですが、文化じゃ無くてやっぱし文久だろうと思う訳です。
文久だとすれば江戸の末期頃・・・1861年から1864年の間に建てられた墓碑でありますね。
しかも、今でも花竹が立てて在ると言う事は、誰かが供養していると言う事で、無縁さんでは無い訳です。
昔の村の墓地だったんでありましょうか?
この他にもあと50体ほどの墓石がありますが、夏草ボウボウで入る気にはなりませんでした。



これは、先の墓石の少し下に建てられている石碑なんでありますが、読める文字の中に「飢」と「渇」が見えると思いますが・・・如何ですか?

で、年号を読もうとしたんですが、「化」が見えるんで、ああ、「文化」だろうな、と、思った訳であります。

しかし、写真を撮って良く見たら、「飢」の文字の上に「天保」が見える訳です。
と、言う事は・・・これは「天保の大飢饉」のあとの石碑であると言う事とだと・・・天保では文化の随分後な訳でして、辻褄が合い難いな、と思う訳です。

で、しっかり読める「化」の文字の上が、どーも「文化」の文とは違うようだし・・・うん、ここら辺の石碑の類いは文久が多いからそう言う事だと解釈すると辻褄が合うな・・・そう言う事でこれはやっぱし江戸の末期、文久の頃の物で在ると言う事で宜しいな、と、納得した訳であります。

いや、ホントの事を言うと、この先の宇奈根神社には文化の年号の石碑も多い訳でして、ナンとも言い難いんですが・・・まっ、散歩の序でに撮った写真でそこまで悩むのもナニなんで止めときます。

いや、天保の大飢饉は東北や北陸、特に出羽の国が酷かったらしいです。
稲刈りの頃に雪が降ったと、出羽の国では語り継がれているとか。

まっ、ずーっと昔からの田舎と言うのはこんなもんであります。
田圃の脇に江戸時代の一里塚とか、平気でありますけど、市の教育委員会とかが見つけて騒がない限りは、誰も見向きもしない訳です。

でも、ここの田圃は狭い盆地に開かれているんで大規模な圃場整備は為され難い場所で、だから結構レアな物が残っているんですが、田圃を対規模に改修した所には、ど田舎と言えどもこう言うのは無くなっちまっているようであります。

アレです・・・石碑の説明は私のインチキ講釈ですからね、真に受けないようにね。

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油めしの思い出

2014-08-19 15:01:26 | 日記的雑談
いや、「油飯」ですかね? 正しく漢字で書けば。

まっ、本日の昼飯は「油飯」であっりました、と、言えばそれだけの事なんですが、しかし、思い付きで作った油飯でありましたが、作りながら、喰いながら、いろんな事を思い出した訳であります。

あれは今から50年程も前、私が生まれ、幼少期を過ごした栃木の田舎の婆様の家での事であります。

婆様は当時既にほとんど目が見えない人でありまして、竃の火を扱う時など、見ているコッチが熱くなるような所作なんであります。

いや、当時の田舎の家の炊事は竃が当たり前でして、飯を炊く、とか、鍋を掛けるなんて時には、まず、竃に火を起こさなくちゃ成らない訳であります。

で、婆様は目がちゃんと見えないもんですから、手探りで火が燃えている薪なんかをむんずと掴んでは、小声でアッチぃ、とか言う訳です。

で、心配して、婆ちゃん火傷しねぇんかぃ? とか言うと、手の皮なんざちっとくれ焼けたってくらねょ・・・と,言う訳で、平気だと言うのでありました。

不思議なんですが、燃えてる薪が見えない人なのに家のまわりの道を平気で歩く訳です。
少し曲がった腰を屈めて、躓かないように足を高く上げる感じで、まるで行進でもするように腿を上げて歩くんであります。
そうして、近所に豆腐や卵を買いに行くんであります。

で、朝早くからクワガタ採りに出掛けて家に帰ると、朝飯と昼飯兼用で飯を食う訳なんですが、普通に行くと、ナスとキュウリの漬け物か、カンピョウの煮物でおまんまを喰う訳であります。

しかし、婆ちゃんに取っては夏休みだけ現れる可愛い孫でありますから、何か美味くて元気の出る物を喰わせたいと思うのか、時たま油飯を作ってくれる訳であります。

それは、竃にでっかい中華鍋を掛け、タマネギと魚肉ソーセージと飯を入れて油で炒め、醤油をぶっかけるだけの簡単な焼き飯でありました。

婆ちゃんは明治の人でして食堂で飯を喰うなどの外食はした事が無かったと思うんですが、なんかの拍子に宇都宮あたりで炒飯など喰った事があって、それがハイカラな食い物であると信じて似たような物を工夫したのかもしれません。

いや、そんな事を思い出して油飯を喰いたくなり作った訳では無いのであります。
裏庭の神社に写真撮りがてらにカブト虫でも居ないかな~と、出掛けて家に戻り、さて昼飯は?と、考えつつ材料を見れば・・・タマネギと魚肉ソーセージが目に入った訳であります。

で、いつもの私の焼き飯であれば味付けはカレー粉で、オヤジ風ドライカレーになっちまう訳なんですが、本日は何故か醤油味が喰いたくなり、気が付いたら油飯を作って喰っていた訳であります。

いや、栃木の婆ちゃんの油飯と決定的に違うのは、我が家には味の素が無いので婆ちゃんの油飯の再現は不可能なんであります。


カナブン大集合


♂ ♀ ペアだった


真っ昼間に珍しいです

油飯を喰っては虫採りに明け暮れた夏休み・・・カブト虫なんて採る人は居ない田舎でありました。
だって、クヌギの木で樹液が出ていれば、カナブンと同じ位カブト虫は居たんですもん。
採るのはクワガタの♂だけであります。

で、本日・・・こんな時間に居るはずも無いよなと思いつつも、散歩がてらに神社の裏山に行ってみると・・・虫取りの目でそこの森を見た事が無かったんで気付きませんでしたが、雑木林のほとんどがミズナラでありました。

ミズナラとクヌギは外見は似てますがどう言う訳か少し樹液が出いても虫達は来ない訳であります。

で、ジックリと見て回ってクヌギを見つけたら、一発でカナブンの群れとカブト虫のペアに遭遇でありました。

私しゃ年甲斐も無く嬉しくなって、よぉ~し、採って帰ろう、と思いましたが・・・いや、まてよぉ~・・・あそこに一緒に入れたら喧嘩するに決まっているよな。
どっちが勝ってもどっちかは死ぬ事に成るんだよなぁ~・・・やっぱし止めよう・・・自然に置いとけば卵を産んで繁殖するしな、と言う事で・・・俺も大人になったなぁ~・・・まっ、来年還暦だし。

と、言う事で、今日はナンだかとっても夏休みな一日であったなと。

油飯の思いで、でありました。


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