じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

パソコンを破壊した!!!

2014-08-15 21:23:23 | 日記的雑談
いや、iMacの旧いのを壊しました・・・壊れた、じゃなくて、壊しましたです。
まっ、破壊した訳です・・・ネジ回しとラジオペンチと、トンカチでぶっ叩いて壊しました。

いや、いきり立って発狂した訳ではありませぬ・・・意図してやった事であります。

なにっ? 前置きが長いですか? ソーですね、大した事でもないのに持ったいつけてもアレですね。

ナント申しましょうか、2年も通電せずに置いてあるキノコ型の半球形の本体の上に液晶画面が乗っかってる型知的にはひと世代前・・・中身的には三~四世代前ですか? 邪魔になったんで捨てる事にした訳です。

いや、ヤフオクで売るったって1000円とか2000円で梱包に苦労して、その前に初期化とか面倒なんで捨てる事にした訳です・・・アレです、感動品ですけど。

で、捨てたら拾われるかも知れないんで、メモリー抜いてハードディスク外して、液晶は誰が見ても壊れてますってわかるように破壊してやった訳です。

うん・・・可哀想かな、とも思ったんですが、しかし、老体だから引導渡してやる方が良いし・・・お前も日本の新たな金鉱脈の一部となるなりして新しく出直せ、と。

で、空いたスペースには新しい新品のブリンターを置いた訳です。
いや、今あるプリンターはOS10.4で動くように旧いのを使っている訳なんですが、OS10.4だと色々不都合が多過ぎるんでメールやらその他の受信にはOS10.7が入ったMacブックを使っている訳なんであります。

で、いろんな物がMacブックに飛んで来るんですが、プリントアウトが必要なものは一工夫しないとダメなんで面倒になり、とうとう税込み9900円くらいでエプソンの新品の安物の高級プリンターを買い求めた訳であります。

で、いや、驚きましたねぇ~・・・今時のプリンターはドライバーとか端からダウンロードする事になっているんですね。
付属のCDには取り説と無線で飛ばしてプリントする設定のやり方なんかしかない訳です。

で、時代だなぁ~、と溜息をついたのは、以前はプリンターを買うとお得な付属のソフトが沢山付いて来たもんですが、今回はゼロであります・・・何も無しです。

その昔し、一番凄かった時代だと、カラリオを一台買うと、フォトショップの機能限定版ですが付いてきたし、読んでここ、や、カレンダー作成ソフト、年賀状ソフトに、と、てんこ盛りでしたがねぇ。

で、驚いたのはプリンターとパソコンが家の中のWiFiで繋がっちまうんですね。
梱包の中にUSBケーブルは入っていませんって書いてあったんですが、まっ、もうそう言う物は皆して何本も持っているからと言う事だろうな、ナンて思ったら、接続が無線だと言うんですもん・・・驚きましたね。

それとともに警戒しました・・・そう言う便利な物は大概、最高の環境でだけ塩梅良く動く
物で、我が家のオラの部屋のようにまるで野良ワイワイ状態では危ういんじゃないか、と。

で、結論から申し述べれば、余程の面倒くさがり屋か、この手の事にアレルギー的な拒否反応を示す人でもない限りはモノの五分で終わるお手軽設定となっている訳であります。

で、設定を自動でやるように画面が出ていたんですが、私のWiFiのアレが安物だからなのか認識しなくて、結局一度USBで接続して認識させ事無きをえた訳であります。

その昔は有線で繋ぐのだってポートがドーのコーのって聞いてきたりして厄介な事も多々有った訳ですが・・・時代ですねぇ。

で、そのプリンターで印刷したかったのは・・・貧乏を極めちまって行き詰まり、いよいよ偽札でも刷ってやろうか、とか言う事では無く、気まぐれで取ってみたカンボジアのe Visaなんですが、これが使う予定も無いのにオンラインのビザ申請と言うのを試したくてやっちまったらビザが来た訳であります。

まっ、折角だからプリントアウトしようと言うんで買ってみた訳なんですが、コピーも出来て全面給紙、六色インクのプリンターが税込み・運賃込みで9900円ですからねぇ・・・時代ですねぇ。

コメント (1)
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終戦記念日だって、さっ

2014-08-15 09:16:34 | 日記的雑談
終戦記念日と言う言葉はインチキと言うか潔く無いので嫌いです。
敗戦記念日でしょ!!! 大東亜戦争の敗戦を認め、戦前と戦後をキッチリと検証し、何故戦争に至ったのか? 避ける道は無かったのか? 避けていたら、その後の日本はどうなっていたのか? そんな事を宣ってくれる人は居ないんで、シロートながら、戦前の日本史・・・これが意外と無いもんで、皆して知らない事が多過ぎるし、だから真っ当な判断なんて普通は出来無い訳ですが・・・まっ、そんな事を思いつつ、終戦記念日を迎えている訳です。

私は終戦記念日と言うと小学校の、たぶん4年生であったと思うんですが、夏休みの登校日で学校に行き、その日はとても暑い日で炎天下、校長先生の演説を聴いたのを思い出す訳です。
いや、演説の内容は1ミリも覚えては居ません。
ただ、この日が終戦記念日で、日本が戦争に負けた日であると言う事はあの日以来忘れられないものになっていると言う事で、そんな類いの話しが為されていたんだろうと推測するのでありますが・・・。

戦争反対・・・当たり前だろう? じゃ、反対です!!!と、宣っていれば攻めようとしている国は、アッそう、と、手を出さずに居てくれるのか?
そんなバカな話しは世界中どこにも無い訳でして、某かの、軍備以外の他の何かも含めて、利害の釣り合いが取れていないと攻め込まれちまう訳です。

世界は利害の釣り合いで保っている・・・それが崩れると戦争です。

日本人は戦争と言うと自分らの国の経験から大東亜戦争のような大規模なものを思い浮かべがちだけれども、アレは、他所の国では第二次世界大戦と言う事で、世界が戦争した大戦争であった訳です。

そんな規模じゃない戦争は、民族紛争だの、宗教紛争だの、歴史的紛争だの・・・理由を付けて矮小化して紛争と言いますが、戦って争うのは須らく戦争であります。

で、ホントは戦争は無くならない、と、思っているんで、その理由を述べなくちゃ成らないんですけど、面倒なんで簡単に端折って言うと、国民の感情は国家の利害とは無関係である・・・もっと小さな戦争では、民族の利害の対立だと、紛争の主体と国民や部族や住民が一体化しているのも多いですが、大概のそこそこの国がやる戦争は、国民はやりたく無くても国がやっちまうと言う事でありまして、その理由は一般平民的国民には伺い知る事などできないものでありましょう。

でも、地域的な小さな戦争もホントの理由は根深くて、今述べたような数行で済むはずも無いんでありますが・・・まっ、適当な感じの一般論であります。

ああ、そうだ忘れていた・・・私は、大東亜戦争を検証して平和裏に国が運営されれば良いなと言うのはあんまし思っていなくて、もしも、まかり間違ってまたやるような事が有ったら、今度こそは勝ちたいよな、と、思っている訳です。
敗戦国で占領されたままの日本の現状を鑑みると、これからの脱却は、やっぱし、もう一回やって勝つしか手は無いんだろうな、と、しみじみ思っている訳です。
で、もしも、何かの経緯でまたやる事になった場合は、是非とも勝ち馬に乗るべきなんで、追い込まれて叩かれる役にまわり、戦争責任の大半を背負わされると言う愚はナニがナンでも避けたいと。

序でに言えば・・・その勝ち馬に乗ろうと言う時に、乗るべき馬を持たない国では戦場に馳せ参じる事も適わず、蚊帳の外・・・また収奪され続ける側に甘んじると思う訳です。

飼い犬の平和・・・ご主人様のご機嫌でどうにでもされちまう日本国と日本国民・・・家畜のように柵の中で肥育され、そこそこ育つと喰われちまう日本国民と日本国・・・喰われているのは「富」でありまして人間が喰われている訳ではありませんけど。

まっ、思い付きで書きますから話しは逸脱しっ放しですが・・・武士道だの葉隠れだの、日本人の精神だのと言うんであれば、蹂躙され、辱めを受けたままおめおめと生き存えるなんてのはあり得ない訳です・・・でも、日本人の大多数の先祖は武士じゃない、水呑百姓や労働者ですからそんな気持ちにはなら無いでしょ?

時々思う訳です・・・日本人の心、とか、日本人の本質とか考えた時に、侍日本とか、武士の心とか・・・そう言うの、ホントは日本人には無いんだと思います。
農耕民族と言うのは、特に水を大量に必要とする水稲で喰うようになってからは、水争いを戦いで決めていては終わりが無いと言う事で、とても陰湿なんだけれども外見的にはまとまっている「和」の文化に行く訳です。
なので、日本人は争いは基本的に好きじゃない・・・と,言うよりも苦手ですかね?

で、「和」の文化と言うのは、一方では、個人の主体性は薄いと言いますか、主張しない文化と言いますか、したら乱れるんで右ならえの文化になって行くンじゃないかと思う訳です。
その感覚って、今も未だ厳然として残ってますよね・・・取り敢えず丸く治めるのが美徳みたいな・・・それって、我慢とも言うけれども、和を崩して輪から弾き出されるのが怖いからホントは納得してないのに呑込む、って事じゃないかと思う訳です。

自分で決められない・・・自分の意見は成る可く言わない・・・議論しない・・・議論の内容よりも言い合う事に嫌悪を感じさえする。

こんな感じの日本国民が平均的日本人じゃないかと思う訳ですが、アジア人でも稲作の国では日本人と似たような感覚がありますんで、やっぱし、農耕民族って言う言い方は好きじゃないんですけど、それ、当たりなんだろうなぁ~と,思います。

で、しょっ中戦争やら紛争をしている国の人、一般庶民と言うか、出稼ぎに来る位だから貧乏人ですね・・・アジア人でもそう言う国の人は全然違う・・・主張するし、正かどうかよりも、取り敢えず言ってみる・・・意見が通るかどうかよりも言わないと気が済まない・・・しかし、言ったと言う事実は残しておく・・・その心は、自分はこう思うがお前がどう思うかは別問題だ、と、言う感じかと思う訳です。

我慢すると言うのは、大なり小なり相手に対して引く事であります。
世界には、引いてくれる相手にはとことん突っ込むと言う考えの人や国が多いと思う訳です。
戦わなくてもそこそこ喰えた・・・資本主義と言いますか、貨幣経済に毒される前は豊かだった東南アジアの国々の人が穏やかな傾向にあるのは、争って奪い合うよりも協力し合って農業や漁業をやった方が得策だったからだろうと思う訳です。

今は、屁理屈を宣って昔は良かったと言っても社会は資本主義であります・・・まっ、その定義もアレですが。
で、ドルの崩壊だの、アメリカのデフォルトも、言われ続けて幾星霜・・・中国崩壊も然り
・・・世界はと言いますか、金持った国はそんなに馬鹿じゃないから、ババ抜き的資本主義のカードのやり取りで争う事は有っても、大国同士で弾の撃ち合いは無いと思う訳です。

と、言う事で・・・釣り合いが崩れると、付け込まれるんじゃないかと思うんで、他所の国が軍備に金を使う時には、その理由が何か有るはずなんであります。
そして、でも、大国同士は弾は打ち合わないと言う事だと、その軍備の意味はナンなのか?

恐らく、軍拡の意味って、戦争の現場よりも、コンピューターの中の銭勘定の方が趨勢に影響蟻と思う訳ですが・・・思い付きを並べてみましたが・・・ええ、そうでしょうとも、意味不明支離滅裂・・・駄法螺の羅列でゴメンなさい。

コメント (2)
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