それは、ご先祖様の壮大なゴミ捨て場を訪ねる旅であった!!!
いや、ゴミ捨て場を訪ねたのは行き掛けの駄賃って事なんですが、それも怪しくて、実は帰り道で寄ったので行きがけでも無いのであります。
なんとなれば、行きは道中ほぼ雨でしてカッパを着て雨に叩かれながら観光名所を回るほどの根性は無いのであります。
なので目的地の岩手県宮古市姉ヶ崎オートキャンプ場まで休足一回で走り続けたのであります。
まず、朝起きてからの空模様は、自分の観天望気からも回復の兆し、と読んだわけであります。
さらに、プロの天気予想師も本日は曇りのち晴れ、宣ったわけですから間違いない、と思いキャンプの準備を始めたわけであります。
いや、キャンプの準備というとアレなんですが車中泊の道具の一部をバイクに積み替え、それにテントを足せば準備は完了なのであります。
いや、Youは何しに宮古市へと問われますれば、私ゃキャンプがしたいのです、と答えるわけですが、テントを張ってあの狭い空間に抱かれたいのであります。
と、言うことでただテントを張って寝るのが目的のツーリングだったので他に書くことも無いわけですが、絶大なご要望にお答えして先を続けたいと思います・・・いや、やめろと言われても続けますから!!!
で、何故に宮古市のキャンプ場なのかと言うと、そこそこの距離を走りたいのであまり近くはダメですし、遠くてもお金のかかる高速は嫌、となると無料区間が延々と続く三陸自動車道方面しか無いのであります。
で、青森県は八戸市の種差海岸にも良いキャンプ場があるんですが調べて見たらコロナの戒厳令が出て閉鎖されているらしく、なし崩し的に姉ヶ崎になったのであります。
さて、9時半過ぎ、準備が整い家を出ようと思ったら雨がポツポツ来たではありませんか。
気持ちは揺らぎ、止めようかなぁ・・・と、思いつつも、団地の下は晴れていたりしてと意味不明な期待に押されカッパを着て走り出した次第であります。
で、全行程は260キロ、北に行くほど天気は良いはずと期待していたんですが行けども行けども鉛色の空が私の心に重くのしかかるのでありました。
あれです、高速の無料区間は我が家から1時間ほど走った田舎からでしてそこまでは車の跳ね上げる泥水を被りながら一般道を走ったわけであります。
なんと申しましょうか、もはやこれは難行か苦行でしかなく、私は心頭滅却しつつ、どこからとも無く染み込む雨と寒さに耐えていたのでありました。
いや、長袖の厚手のトレーナーに冬用の裏ボアのジーパンを着用していたんですがカッパを羽織っただけでは寒さに耐えられず宮城県の三滝堂インターに併設される道の駅に滑り込んだ次第であります。
取り敢えず温まりたかったので少し早い昼飯をと思い食堂に入り券売機の前に立った自分は、熱い味噌ラーメンのボタンを押したはずなのに何故かとんかつ定食の食券を手にし呆然としたのでありますが、まっ、いいでしょう。
で、ここで裏フリースのジャンバーを着込み靴下を乾いたものに替え、完全防水の靴カバーを装備し、気持ちを奮いたたせて出発したのであります。
あれです、足元が暖かいってのは救われますね。
ここまでバイクを止めて身支度を整えられる場所が無かったので走って来たんですけれども、家で着込んでくればは後悔先に立たずでありました。
さて、ここから一気に180キロを走るわけですがこの先もずーっと雨模様でして晴れ間と思しきものが見えたのはキャンプ場まであと20キロのところでありました。
しかし、テント場が濡れているのは良く無いんですが設営の時に降っていないのはラッキーであります。
キャンプ場の受付は姉ヶ崎にある国民休暇村のフロントって事なのでまずはそちらに行って受付であります。
料金はキャンプ場が1370円でお風呂利用が460円の1830円であります。
これからテントを張ります
奥の方に見えるテントは常設のレンタルでしてバーベキューテントと就寝用テントがセットで貸し出されておりました。
しかし借りている客は無く奥の方に三沢の米軍基地からやって来たUSA家族がもーもーと煙を上げてBBQをやっていました。
あれです、私のテントは軽量極小の一人用テントでして幅100センチ縦205センチ高さ100センチとほぼシングルベットのスペースであります。
我が相棒は既に15年を経過し、使用回数も100回を優に超えた古い物なんですが未だに傷んだ箇所も無くフライシートを併用するとかなりの豪雨でも平気であります。
そして、テントだけなら5分と掛からずに張り終えますし撤収も簡単なのであります。
テントの上にタープを張って見ました
いや、実を言うと今時のキャンパーの真似をしたくてタープを買い込んであったのです。
とは申しましても私が買うものですからアマゾンで見つけた最低価格のもので、確か一式で3000円もしない激安ものであります。
これで雨が降ってもテント内で調理しなくて済むわけですが、見た目的にはまた一段と貧乏臭くなったと悦に入っております、なんちゃって。
まっ、結局雨は降らなかったので青空天井でも良かったんですが次と言う事もあるんで良しとしましす。
そんなわけでテントを張り終えたら国民休暇村の本体まで歩いて五分ほど、風呂を使いに行きましたが、宿泊客も少ない様子で風呂は自分一人!!!
のんびりと温まり生き返った次第であります。
で、その後は一杯やりながら軽い晩飯を食べさっさと就寝したわけですが、久しぶりに目を閉じるのと同時に寝入ったようであります。
ホットドッグ・味噌汁・コーヒーの朝食
で、5時頃に起きまして一杯目のコーヒーを飲みつつ朝日を浴びてのんびりしました。
その後キャンプ場の辺りを散策し、パンフレットにあった海の見える場所を探したんですが結構遠く藪の小道なので諦め朝食にした次第であります。
さて、来たからには帰らなくてはならないわけですが、本日は天気も悪くなさそうなので少しくらいは観光しようか、と言う気になって調べると、帰り道に国指定史跡の縄文貝塚が見つかったわけであります。
しかも大船渡市に集中して三箇所も!!!
これは行くしか無いな、でキャンプ場を引き払い無料の三陸自動車道で大船渡市を目指した次第であります。
大洞貝塚 縄文末期〜弥生時代の貝塚
大洞貝塚は小高い丘の上にありました。
そこは、そこはかとない縄文の香りが漂う・・・なぁ〜んて情緒のある場所では無く、私の見立てでは牧草地か、と言う雰囲気でありました。
また、ここが貴重な貝塚であることを感じさせるものは立て看板一つでしてこれが無かったら唯の原っぱであります。
蛸の浦貝塚
さて、次なる目的地は蛸の浦貝塚であります。
ほぼ海岸沿いを行くわけですが未だに津波の復興工事をやっていましてスマホナビが示す道では行けないのであります。
が、まっ、勘を頼りに進みますとこんもりとした高台に貝塚はあったのでした。
が、そこはゴルフの打ちっ放しか、それとも、やっぱしここは牧草地か、と言う佇まいでして、それと示す看板が無かったら分からない雰囲気なのであります。
そーか、そーだよな、貝塚ってのは言ってみれば遠いご先祖様たちのゴミ捨て場だからな、そんな大したもんでは無いよな、と妙に納得した次第であります。
それにしても弥生時代の日本の人口はたったの60万人とすると、蛸の浦に住んでいた人の数もそれほど多くは無いと思うのであります。
なのに貝の出てくる地層の厚さが2メートルもあるってのが驚きでありまして、縄文人や弥生人はどんだけ貝が好きなんだよと思うとともに、それだけ長い年月の定住生活だったのかと、感慨深いものがあるわけです。
下船貝塚
そして最後は下船貝塚でありました。
まっ、何も言いますまい・・・やはり看板だけの草っ原でありましたが、収穫といえば、縄文人は高台が好きという私の仮説をしっかりと裏付けてくれたことでありましょうか。
いや、それを常識だと笑い飛ばすのはダメでありますよ。
私は只今鋭意自分流の縄文と弥生を組み立てているんですから、なんちゃって。
で、縄文海進云々は日本では大声で叫ばれていますが、同時期、世界的には全く影響を受けていない国が多く在ることから、あれは気候変動では無く地殻変動でしょ、と言われているそうですが、まっ、いいでしょう。
あれです、これら三つの貝塚からはかなりの出土品があってそれらは大船渡市の博物館で見られるわけであります。
しかし、本日はコロナの戒厳令を受けて臨時休館・・・嗚呼なんてこったい、と思いつつも、また来る楽しみが残ったのはラッキーか、と。
いや、大洞貝塚はこの筋の研究者には夙に有名だそうで大洞縄文人が20体も出ているんですね。
そして、自分が教科書で見た鹿の骨の釣り針や矢じりやモリなども展示されているそうなので是非行かなくてはと思っている所であります。
と、言うことで、大船渡を出る頃には気温も22〜23度まで上がりカッパを着なくても走れツーリング気分が盛り上がったわけであります。
が、ここから家までは無料の三陸自動車道経由で1時間半。
昼飯休憩を入れても2時間でして名残惜しいと思いつつもツーリングは無事終了でありました。
走行距離 538キロ
ガソリン 17リットル
燃費 31.6キロ
高速代 0円
キャンプ場 1830円
食事代等 3900円
あー楽しかった、と