
一昨日の「さようなら原発全国大集会」で、スピーチはなかったが盛大な拍手で紹介された男性がいた。
大沼勇治さんである。
大沼さんは福島第一原発が立地する双葉町で育った。
小学6年生のとき、学校の宿題で「原子力明るい未来のエネルギー」という標語をつくり、この作品が町の標語コンクールの優秀賞を受賞。
商店街入口のアーチを飾ることになった。
テレビなどでご覧になられた方も多いだろう。

そのあたりの経緯、そして大沼さんの3.11後の生き方について、9月12日発売週刊金曜日の鎌田慧さんのルポが詳しい。
集会で手にしている「原子力破壊未来のエネルギー」は、3.11で誇らしさが悔しさに急転した思い、さらに小学生を宣伝に使ったものへの怒りの表明でもあるという。
双葉町は帰宅困難区域に指定され、年間被ばく線量はおよそ50ミリシーベルト。
大沼さんの自宅は原発から約4キロ。
帰れる日はおそらくこない。
いまや「未来のエネルギーとしての原子力」、「地域の未来を託す原子力」の破たんの象徴ともなった無人の双葉町商店街に掲げられた標語。
裏切られたという思い、そしてかつて自分がつくった標語に対峙するこだわりをもって、3.11後、大沼さんは茨城県古河市内で太陽光発電の事業を展開する経営者となった。
たくましい方である。
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