北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

原発推進者の無念

2011-12-03 | 脱原発
 11月18日の北陸中日新聞でも紹介されていたが、原発推進組織である日本原子力産業協会の参事、北村俊朗さん(67歳)が、福島第一原発の原発震災で被災者となり、避難所や借り上げ住宅で過ごす日々の中で書いた「原発推進者の無念 ~避難所生活で考え直したこと」(平凡社新書)を読んだ。

 北村さんは、福島第一原発と第二原発の中間あたり、富岡町で奥さんと猫5匹と住み、被災した。
 翌12日の「福島第一原発で緊急事態」の放送で隣の川内村へ避難。体育館の駐車場で一夜を明かし、さらに郡山市の大規模展示場ビッグパレットで約1か月半を過ごす。

 原子力産業協会のなかにあっては、業界の体質を辛口に批判していたそうだが、もちろん住民には原発の安全性を説き、防災体制についても何ら疑問を感じずに、職務をこなしてきた。

 前半は、避難所生活がかなり具体的に記されている。避難直後の暮らし、そしてしばらくするとやや避難所生活に慣れ始め、生活に落ち着きを取り戻す。ところが避難暮らしが長期化するなかで様々な問題が次々と派生してくる。その経過が、当事者でないとわからない視点、感覚で綴られている。

 その中で感じた原子力防災計画の限界。「避難民を安全圏に逃がすのは無理。いくら津波の防護などの防災対策ややストレステストをやっても、避難問題を解決できないのではダメだ」と言い切る。

 新たな原子力体制の構築にも疑問を投げかける。
 新たな審査にあたるスタッフについて「現在の原子力安全・保安院で従事している人が肩書と服を替えて出てくるようではだめだ」と来春発足予定の原子力安全庁にも釘をさす。

 さらに、「技術屋であろうが事務屋であろうが、原子力で飯を食ったことのある者は、今までのことを振り返り、実際どうだったのか、そしてこれから事故が起きないように何をなすべきかについて、ひとことあって然るべきと考える」と呼びかけるが、声を上げる人が多くないと嘆く。

 原子力ムラの体質はかつての軍部と似ていると事故後に気づく。
 まさに無念である。


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