原水禁福島大会フィールドワークの報告の続き。
この3月31日に避難指示が解除された川俣町山木屋地区での7月1日時点の帰還者の179人。避難前は1,252人板地区なので帰還率は15.7%。
その大半は高齢者。
町の中心部まで出るには車があっても30分近くかかる。
そこで町は帰還した住民の買い物や飲食、交流の場として復興拠点商業施設「とんやの郷」を建設し、この7月オープンした。
総工費は6億8千万円。
施設の中には行政サービスコーナーもあり、住民票の発行などもおこなう。
道の駅的な機能も期待され、まさに復興拠点として役割を期待されている。
もっとも当面、商業施設の採算がとれるとは思えず、1年前にテナントを公募したが決まらず、今年5月にようやく業務委託先が決まったそうだ。
診療所やJAは再開され、郵便局も近く再開されるとのこと。
学校も来年4月、小中一貫校として再開の予定である。
ちなみに山木屋小は現在、川俣南小内にあり、10人の児童が通っている。震災前は70人いたので町内に残ったのは14.3%ということになる。
山木屋中は川俣中の中にあり、20人の生徒が通う。こちらは69%が残っている。
この中の何人が再開される山木屋小中学校に戻るかは現時点では未定。
学校敷地の7月29日の空間放射線量は0.15μSv。
能登の約3倍の数値だ。
ここは道の駅。
前回紹介した学校や運動公園以外にも「復興施設」があちこちに作られている。
その一方で、川俣町、飯館村など避難指示が解除された地域の至る所で除染廃棄物が積まれてる。
川俣町内の仮置き場は65箇所(うち山木屋地区に43箇所)。
あっちもこっちも仮置き場という状態だ。
仮置き場を視察。
飯館村役場の窓口ではこんな線量マップが置いてある。
確かに時間の経過と除染の効果で線量は下がってはいる。
しかし、測定は道路だけ。
自動車による自動測定だ。
歩行調査で宅地や農地まで測定したマップもある。それでも地域の一部、生活空間の一部でしかない。
冒頭紹介した「とんやの郷」には食品の放射能検査を無料で行うコーナーもある。
やはり山菜やキノコ類の数値は高いそうだ。
除染が進んだとはいえ、除染は道路と住宅の周囲20mの範囲。
裏山は除染しないだけでなく測定すらされていない。
少々放射線量が高くても、それでも住み慣れた地域に帰りたいという人がいるのはわかる。
だけどかつて見慣れたきれいな田園風景はない。
生活の場である裏山に入って山菜を採っても食べられない。
近所の人も大半は帰って来ない。
息子や孫は帰って来ない。
強制帰還政策の一方で、震災から6年5カ月が経とうとしている被災地の現実は、復興施設を次々建てようと、帰還者を受け入れる環境には程遠い。
この3月31日に避難指示が解除された川俣町山木屋地区での7月1日時点の帰還者の179人。避難前は1,252人板地区なので帰還率は15.7%。
その大半は高齢者。
町の中心部まで出るには車があっても30分近くかかる。
そこで町は帰還した住民の買い物や飲食、交流の場として復興拠点商業施設「とんやの郷」を建設し、この7月オープンした。
総工費は6億8千万円。
施設の中には行政サービスコーナーもあり、住民票の発行などもおこなう。
道の駅的な機能も期待され、まさに復興拠点として役割を期待されている。
もっとも当面、商業施設の採算がとれるとは思えず、1年前にテナントを公募したが決まらず、今年5月にようやく業務委託先が決まったそうだ。
診療所やJAは再開され、郵便局も近く再開されるとのこと。
学校も来年4月、小中一貫校として再開の予定である。
ちなみに山木屋小は現在、川俣南小内にあり、10人の児童が通っている。震災前は70人いたので町内に残ったのは14.3%ということになる。
山木屋中は川俣中の中にあり、20人の生徒が通う。こちらは69%が残っている。
この中の何人が再開される山木屋小中学校に戻るかは現時点では未定。
学校敷地の7月29日の空間放射線量は0.15μSv。
能登の約3倍の数値だ。
ここは道の駅。
前回紹介した学校や運動公園以外にも「復興施設」があちこちに作られている。
その一方で、川俣町、飯館村など避難指示が解除された地域の至る所で除染廃棄物が積まれてる。
川俣町内の仮置き場は65箇所(うち山木屋地区に43箇所)。
あっちもこっちも仮置き場という状態だ。
仮置き場を視察。
飯館村役場の窓口ではこんな線量マップが置いてある。
確かに時間の経過と除染の効果で線量は下がってはいる。
しかし、測定は道路だけ。
自動車による自動測定だ。
歩行調査で宅地や農地まで測定したマップもある。それでも地域の一部、生活空間の一部でしかない。
冒頭紹介した「とんやの郷」には食品の放射能検査を無料で行うコーナーもある。
やはり山菜やキノコ類の数値は高いそうだ。
除染が進んだとはいえ、除染は道路と住宅の周囲20mの範囲。
裏山は除染しないだけでなく測定すらされていない。
少々放射線量が高くても、それでも住み慣れた地域に帰りたいという人がいるのはわかる。
だけどかつて見慣れたきれいな田園風景はない。
生活の場である裏山に入って山菜を採っても食べられない。
近所の人も大半は帰って来ない。
息子や孫は帰って来ない。
強制帰還政策の一方で、震災から6年5カ月が経とうとしている被災地の現実は、復興施設を次々建てようと、帰還者を受け入れる環境には程遠い。
男子しか想像できないのは、家父長(今やスマホで変換不能だった)制に囚われているのでは?娘は「嫁いで他家のもの…」という認識か。
本題からは反れるが、認識が昭和期で止まっていると感じた。