北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

知らなんだぁ(・・;) 皇居内堀の内側

2015-11-07 | 雑感
午前中は昨日に続き日教組の教育政策意見交換会。
今日は労働安全衛生や主権者教育、学校統廃合といった課題について、文科省などの動き、全国各地での取り組みなどについて質疑や意見交換を通じて理解を深める。

会場が千代田区の竹橋あたりで東京駅まで遠くはなく、天気もまあまあなので、終了後、内堀通りを歩くことにする。



土曜日ということもありジョギングで汗を流すランナーの姿が途切れることがない。
歩道には全国の都道府県の花が描いてあったり、それなりに楽しめる。



道路脇にこんな看板。
8年前、江戸城築城から550年を迎えたことを記念して建てられたもの。
そう、江戸城を築城したのは太田道灌で室町時代の1457年のこと。
家康が江戸幕府を開く146年も前のこと。知らなんだぁ(^^;



その近くには平川門に通じる橋。
金、月以外は中に入れるそうだ。知らなんだぁ(^^;
そもそも皇居には中学の修学旅行以来、近寄ったこともないし、近寄りたいと思ったこともないし、まして内堀の内側に入れるなんて全く考えても見なかった。
皇居東御苑、ようするに旧江戸城跡地の公園だ。



平川門。
大奥女中たちが出入する場所でもあるけど、罪人や遺体もここから出されたとのこと。
正門の大手門に対して裏門なんだろうけど、さすが江戸城、重厚な造り。



少し歩くと石垣がそびえ立つ。
天守閣があった天守台。
ン?江戸城の天守閣は一体いつからないんだ?
空襲には遭ってないはずだし、幕末も無血開城で明け渡しているはずだし・・・と思って説明を読んだら、4代将軍家綱の時代の1657年に焼失し、以来、結局再建しなかったそうだ。
当時は江戸大火の被災者救済優先。
戦乱の世は終わっているから必要なしという判断もあったそうな。



前田藩の寄進で石垣だけは再建したが、ここで工事はストップ。



それにしても立派な石垣。



忠臣蔵で有名な松の大廊下跡。



まだまだ見どころがあるが、時間がなくなってきたので全部回れず大手門へ。



途中、大番所やら百人番所やら同心番所やら、さすがの将軍の警護は分厚い。

江戸城跡がこんなふうに整備されているなんて全然知らなんだぁ(^^;
1968年から公開されているとのこと。
短時間だったが予定外の散策にかなり満足。

知ってる人には笑われそうだが、このあたり一帯、皇族の皆々さん専用の公園で、我々は入れない、見れない場所だと何十年も頭っから思い込んでいた。
思い込みにはくれぐれも注意!(^^;


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