午前中は昨日からの社民党脱原発・脱プルトニウム連絡協議会福島集会に参加。
福島の現状と課題を学ぶとともに、全国各地のからの報告を受け、運動経験を学び合う。
志賀原発の報告は県連合代表の盛本県議。
午後は福島県教育会館に会場を移り、原水禁世界大会福島集会に参加。
3.11後、8月4~6日の広島大会、8月7~9日の長崎大会に先立って福島でノーモアフクシマを掲げて福島大会が開催されてる。
私は初めての参加。
「福島の現状と課題は福島でしか共有できない」という思いから、大会継続を確認し、今年は初めて3つの分科会も設けられたとのこと。
7年目に入った被災地の現状、そして課題は解決されるどころか益々深刻、複雑化している。
被災者の強制帰還や生活再建問題、汚染土壌問題、汚染水問題、放射能の再拡散問題、原発労働者の違法契約、指定廃棄部最終処分場問題などなど課題をあげだせばキリがないほど。
海渡弁護士の講演では東電幹部の刑事責任を追及する訴訟の状況を中心に全国の原発訴訟の現状と展望がについても報告される。
かつて珠洲にも来てもらったことがある石丸小四郎さんが「福島からの訴え」として現状を鋭く分析し課題を提起する。
3.11前、東電は「公園のような第一原発」と豪語していたという。
今は公園どころかは汚染水タンクがところ狭しと並び、凍土壁は機能を果たさず、汚染水が溢れ続けている。
3.11のずっと、ずっと前から福島原発に反対し続け、今なお人生をかけて原発事故が生み出した危険と向き合う姿には頭が下がる。
高校生平和大使に選ばれた福島に住む高校生二人からもアピールを受ける。
2人とも事故当時は小学生で、家族とともに未知の恐怖と向き合ってきた。
分科会、私は「避難解除による帰還と生活再建の問題」に参加。
浪江町に住んでいた岡洋子さんが紙芝居を通じて事故当時の様子を伝える。
請戸の消防団長が海岸で何人もの「助けてくれ」との声を聞く。日が暮れ、二次災害に恐れがあるため、救助作業はやむなく翌日に。
ところが翌朝、原発が爆発する恐れがあるとのことで救助作業は中止。
「原発さえなければ」
「放射能さえなければ」
と今も救助にいけなかったことを悔いる消防団長の思いを伝える。
まさに原発震災。
農家の主婦だった岡さんは事故当時の様子や仮設住宅に暮らすお年寄りの思いなどを語り部として全国に、さらには海外にも伝えている。
海渡弁護士はICRPの基準にも違反し、チェルノブイリの例と比べてもあまりに人権を無視した政府の強制帰還政策を厳しく批判。
明日は浪江町、そして請戸海岸をフィールドワークで訪れる。
※スイマセン。川俣町、飯館村の間違いでした<(_ _)>
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