7月24日の「さよなら志賀原発集会」の大成功を受け、実行委員会を構成した市民団体や集会参加者有志で北陸電力石川支店と県庁へ、志賀原発の運転再開反対で申し入れを行う。
私自身は3.11以降初めて申し入れ行動への参加である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c5/36e27d049c0460123a0e08ba9c1fbf54.jpg)
北陸電力は石川支店が入る金沢電気ビルの一階ロビーで対応。今回が初めてではないが、ふざけた対応だ。
会社の方針とたとえ違おうが、株主や電力消費者の考え方には様々な考えがある。
自分たちの都合のいい場所には出かけて説明会を行ったり、都合のいい人を招いて説明会を行ったりしてるが、考え方の違う人に対しては耳を閉ざす体質は一向に変わらない。
北陸電力に限ったことではなく、いわゆる原子力村に共通した特徴だが、中でも北陸電力の対応は東電以上にひどい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/a9/ee77a1abaebe7b9c81607fcb017eba39.jpg)
石川県庁は原子力安全対策室長と危機対策課長が対応。
こちらはさすがにちゃんと部屋を確保し対応するが、国の対策を着実に実施していけば福島のような事故はおこらないと平然という。
回答を聞いていると、福島第一原発の事故があたかも火星や金星で起きているかのような他人事の回答の連発である。
原子力安全・保安院からの出向である中島室長は特にひどい。
40年経っていても安全だと太鼓判を押されてきた福島第一原発。地震に対しても万全といわれてきた福島第一原発。そう言ってきたのは国ではないか。
福島から金沢に避難している浅田真理子さんが「石川県の姿勢は福島と全く同じです!」と思わず声を上げる。
いま、県内外の自治体から志賀原発の再稼動の判断を志賀町と石川県だけに委ねることはできないという声が上がっている。
これは自分たちにも再稼動の是非を判断させてほしい、拒否権を持たせてほしいということであるが、裏を返せば県は県内市町村の代表として信用されていないということでもある。
県は40数年間の志賀原発の歴史に中で、原子炉設置許可申請に同意しただけでなく肩代わり海洋調査をはじめ、志賀原発の立地にいたる節目節目で大きな役割を果してきた。「石川県立志賀原子力発電所」と揶揄される所以である。
その都度、県民の大きな反対の声、抗議の声に対し、絶対安全を根拠に志賀原発の必要性を県民に訴えてきたのである。今日のような申し入れの場だけでなく県議会での答弁も含めて。
いまさら北陸電力や国だけに責任を転嫁するなど到底許されない。
福島の現実に照らすと、志賀の歴史はまさに県民を騙してきた歴史であり、県政最大の汚点と言わざるをえない。
それに対する反省の言葉、謝罪の言葉すら全く聞かれない中で、再稼動の判断を県に委ねるほど県民はお人好しではない。
石川県は再稼動の是非を判断する当事者資格を失っているのである。
自分たちの命、暮らし、未来がかかった判断を県には委ねられない。
安全協定の当事者として参画していきたいという各自治体からの声は、石川県の原子力行政に対する強烈な異議申し立てであることを県は認識すべきだ。
石川県はこの間の原子力行政の検証を徹底的に行うべきである。
私自身は3.11以降初めて申し入れ行動への参加である。
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北陸電力は石川支店が入る金沢電気ビルの一階ロビーで対応。今回が初めてではないが、ふざけた対応だ。
会社の方針とたとえ違おうが、株主や電力消費者の考え方には様々な考えがある。
自分たちの都合のいい場所には出かけて説明会を行ったり、都合のいい人を招いて説明会を行ったりしてるが、考え方の違う人に対しては耳を閉ざす体質は一向に変わらない。
北陸電力に限ったことではなく、いわゆる原子力村に共通した特徴だが、中でも北陸電力の対応は東電以上にひどい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/a9/ee77a1abaebe7b9c81607fcb017eba39.jpg)
石川県庁は原子力安全対策室長と危機対策課長が対応。
こちらはさすがにちゃんと部屋を確保し対応するが、国の対策を着実に実施していけば福島のような事故はおこらないと平然という。
回答を聞いていると、福島第一原発の事故があたかも火星や金星で起きているかのような他人事の回答の連発である。
原子力安全・保安院からの出向である中島室長は特にひどい。
40年経っていても安全だと太鼓判を押されてきた福島第一原発。地震に対しても万全といわれてきた福島第一原発。そう言ってきたのは国ではないか。
福島から金沢に避難している浅田真理子さんが「石川県の姿勢は福島と全く同じです!」と思わず声を上げる。
いま、県内外の自治体から志賀原発の再稼動の判断を志賀町と石川県だけに委ねることはできないという声が上がっている。
これは自分たちにも再稼動の是非を判断させてほしい、拒否権を持たせてほしいということであるが、裏を返せば県は県内市町村の代表として信用されていないということでもある。
県は40数年間の志賀原発の歴史に中で、原子炉設置許可申請に同意しただけでなく肩代わり海洋調査をはじめ、志賀原発の立地にいたる節目節目で大きな役割を果してきた。「石川県立志賀原子力発電所」と揶揄される所以である。
その都度、県民の大きな反対の声、抗議の声に対し、絶対安全を根拠に志賀原発の必要性を県民に訴えてきたのである。今日のような申し入れの場だけでなく県議会での答弁も含めて。
いまさら北陸電力や国だけに責任を転嫁するなど到底許されない。
福島の現実に照らすと、志賀の歴史はまさに県民を騙してきた歴史であり、県政最大の汚点と言わざるをえない。
それに対する反省の言葉、謝罪の言葉すら全く聞かれない中で、再稼動の判断を県に委ねるほど県民はお人好しではない。
石川県は再稼動の是非を判断する当事者資格を失っているのである。
自分たちの命、暮らし、未来がかかった判断を県には委ねられない。
安全協定の当事者として参画していきたいという各自治体からの声は、石川県の原子力行政に対する強烈な異議申し立てであることを県は認識すべきだ。
石川県はこの間の原子力行政の検証を徹底的に行うべきである。
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