昨日は、金沢21世紀美術館で行われた「2017年国際展報告&検証会 国内編1」というイベントに参加。
全国的に乱立状態と言われる芸術祭、もちろん海外でもたくさんの芸術祭が開始されている。
おもしろかった、楽しかったという地元住民や来場者の声、たくさんの人が来て地域の活性化につながったという主催者の声は聞こえてくるが、果たしてそこに展開された作品のレベルは?あるいは他の芸術祭と比べての特徴は?というと実はあまりよくわからない。
これまでも何度か紹介したことがあるが、文芸評論家の藤田直哉氏は「前衛のゾンビたち -地域アートの諸問題-」というエッセイで、「政治的・経済的な地域アートの隆盛という大きな構造と、参加者たちの素朴な感想の輪の中に『芸術』は充足し、批評という外部の介入する契機は存在しない。存在しなくても構わないという方向に現代美術の構造がシフトしている」と述べ、批評の居場所のない状況、言い換えると理論(言葉)が不足している状況を危惧している。結果として「国策の一環であるかのような『地域活性化』に奉仕してしまって閉じている現状」を厳しく指摘している。
そんな中、今回の21美の企画は1回目の海外編ではヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタ14・ミュンスター彫刻プロジェクトをテーマに上げ、今回は北アルプス国際芸術祭と奥能登国際芸術祭を報告、次回の国内編2はヨコハマトリエンナーレ2017(報告者:内呂博之)
リボーンアート・フェスティバル2017が報告される。批評が不足するとの指摘がある中、芸術祭に切り込んでいこうとする企画はさすが21美。
奥能登芸術祭の作品については黒澤伸氏が詳細に解説。田舎を存在化する地域を軸にした芸術祭が、ベネチアなど海外で開催されるアートを軸とした芸術祭とは違った、新しいアートが展開されていく可能性を指摘した。
個々の作品についても詳細に説明しながら、作家が珠洲に驚き、場所と格闘し、地域の歴史や自然を吸収していくプロセスを紹介。
総体として地域の住民や来場者がそれぞれ「Something Else is Possible」を考えるきっかけになったと評価した。
一方、限られた時間の中、奥能登芸術祭の報告に多くの時間が割かれ、北アルプス芸術祭の方は、紹介がやや淡白に終わってしまい、作品のクオリティを比較、相対化するような議論に進展しなかったことは残念。
また、個々の作品の質や魅力についての議論だけでなく、企画案内にあるような「観光や地域振興との結びつき、乱立とも言える数の増加といった可能性と問題点を分析」といったあたりにも期待したが消化不良。
私は、オリンピックを例に、「最先端の美術」というが各作品は果たして世界的にはどの程度のレベルに位置にするのか。また個々の競技は楽しく、また羽生くんの金メダルをはじめ、アスリートの血と汗の結晶は感動するが、それが結集してもオリンピックの商業主義、政治利用のなど問題点を解消するものではないのと同様、作品のクオリティの一方で、芸術祭トータルの運営や企画は別に議論する必要があるのではないかと質問。
田舎ならでは芸術祭としつつも、田舎の自治体に見合わない4億円もの事業費、さらにその中の3億円を東京の企画会社に業務委託するイベントが、果たして田舎の芸術祭として定着するのか。継続するには、次回は地元主体で違った運営方法を、というアーティストの指摘もあった。今後の21美の議論にも期待と関心を寄せつつ、地元でもしっかり議論しなければならない。
全国的に乱立状態と言われる芸術祭、もちろん海外でもたくさんの芸術祭が開始されている。
おもしろかった、楽しかったという地元住民や来場者の声、たくさんの人が来て地域の活性化につながったという主催者の声は聞こえてくるが、果たしてそこに展開された作品のレベルは?あるいは他の芸術祭と比べての特徴は?というと実はあまりよくわからない。
これまでも何度か紹介したことがあるが、文芸評論家の藤田直哉氏は「前衛のゾンビたち -地域アートの諸問題-」というエッセイで、「政治的・経済的な地域アートの隆盛という大きな構造と、参加者たちの素朴な感想の輪の中に『芸術』は充足し、批評という外部の介入する契機は存在しない。存在しなくても構わないという方向に現代美術の構造がシフトしている」と述べ、批評の居場所のない状況、言い換えると理論(言葉)が不足している状況を危惧している。結果として「国策の一環であるかのような『地域活性化』に奉仕してしまって閉じている現状」を厳しく指摘している。
そんな中、今回の21美の企画は1回目の海外編ではヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタ14・ミュンスター彫刻プロジェクトをテーマに上げ、今回は北アルプス国際芸術祭と奥能登国際芸術祭を報告、次回の国内編2はヨコハマトリエンナーレ2017(報告者:内呂博之)
リボーンアート・フェスティバル2017が報告される。批評が不足するとの指摘がある中、芸術祭に切り込んでいこうとする企画はさすが21美。
奥能登芸術祭の作品については黒澤伸氏が詳細に解説。田舎を存在化する地域を軸にした芸術祭が、ベネチアなど海外で開催されるアートを軸とした芸術祭とは違った、新しいアートが展開されていく可能性を指摘した。
個々の作品についても詳細に説明しながら、作家が珠洲に驚き、場所と格闘し、地域の歴史や自然を吸収していくプロセスを紹介。
総体として地域の住民や来場者がそれぞれ「Something Else is Possible」を考えるきっかけになったと評価した。
一方、限られた時間の中、奥能登芸術祭の報告に多くの時間が割かれ、北アルプス芸術祭の方は、紹介がやや淡白に終わってしまい、作品のクオリティを比較、相対化するような議論に進展しなかったことは残念。
また、個々の作品の質や魅力についての議論だけでなく、企画案内にあるような「観光や地域振興との結びつき、乱立とも言える数の増加といった可能性と問題点を分析」といったあたりにも期待したが消化不良。
私は、オリンピックを例に、「最先端の美術」というが各作品は果たして世界的にはどの程度のレベルに位置にするのか。また個々の競技は楽しく、また羽生くんの金メダルをはじめ、アスリートの血と汗の結晶は感動するが、それが結集してもオリンピックの商業主義、政治利用のなど問題点を解消するものではないのと同様、作品のクオリティの一方で、芸術祭トータルの運営や企画は別に議論する必要があるのではないかと質問。
田舎ならでは芸術祭としつつも、田舎の自治体に見合わない4億円もの事業費、さらにその中の3億円を東京の企画会社に業務委託するイベントが、果たして田舎の芸術祭として定着するのか。継続するには、次回は地元主体で違った運営方法を、というアーティストの指摘もあった。今後の21美の議論にも期待と関心を寄せつつ、地元でもしっかり議論しなければならない。
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