どこにも出かけないまま終わるかと思っていたシルバーウィークだったが、急に一日丸々予定が空いた。
どこに行っても人ばかりと思いつつ、半ば思い付きのようなものだったが久々に白山麓へ。
たまたま屋根まで伸びた大きな梯子に惹かれて入ったお寺が林西寺。
このお寺の白山本地堂には8躰の仏像が安置されている。。
古来白山は山岳信仰の山として栄え、数多くの石像や仏像が奉納されてきたそうだが、明治維新の廃仏毀釈の動きの中で大半は壊され、あるいは下山を余儀なくされ、その中で遺された貴重な8躰の仏像である。
そのうちの一躰は養老元年(717年)に白山を開山した泰澄大師の像。
弥陀ヶ原の御前室堂に安置されていたとのこと。
お寺の方から開山以降の白山の歴史を聞かせてもらう。
本堂も立派。
永平寺を造った玄之源蔵、源左衛門父子が大工の棟梁、欄間は永平寺一番の彫刻師・玄之師彭さの作とのこと。
1990年代には輪島塗の職人さんの手によって修復され、さらに美川仏壇の職人さんの手が入りさらに立派に。
白峰地区からさらに上流に向かうと泰澄大師が創建したという岩根神社がある。
ところで2年後は泰澄大師が白山を開いて1300年の節目の年を迎える。
その翌年は能登の国立国1300年。
白山麓では開山1300年を記念した様々な取り組みが準備されているようだが、一方の「能登の国1300年」の動きは鈍い。
以下、今日の散策コースから。
どこに行っても人ばかりと思いつつ、半ば思い付きのようなものだったが久々に白山麓へ。
たまたま屋根まで伸びた大きな梯子に惹かれて入ったお寺が林西寺。
このお寺の白山本地堂には8躰の仏像が安置されている。。
古来白山は山岳信仰の山として栄え、数多くの石像や仏像が奉納されてきたそうだが、明治維新の廃仏毀釈の動きの中で大半は壊され、あるいは下山を余儀なくされ、その中で遺された貴重な8躰の仏像である。
そのうちの一躰は養老元年(717年)に白山を開山した泰澄大師の像。
弥陀ヶ原の御前室堂に安置されていたとのこと。
お寺の方から開山以降の白山の歴史を聞かせてもらう。
本堂も立派。
永平寺を造った玄之源蔵、源左衛門父子が大工の棟梁、欄間は永平寺一番の彫刻師・玄之師彭さの作とのこと。
1990年代には輪島塗の職人さんの手によって修復され、さらに美川仏壇の職人さんの手が入りさらに立派に。
白峰地区からさらに上流に向かうと泰澄大師が創建したという岩根神社がある。
ところで2年後は泰澄大師が白山を開いて1300年の節目の年を迎える。
その翌年は能登の国立国1300年。
白山麓では開山1300年を記念した様々な取り組みが準備されているようだが、一方の「能登の国1300年」の動きは鈍い。
以下、今日の散策コースから。
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