北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

原発は憲法違反 ~憲法記念日に~

2012-05-03 | 脱原発
 日本国憲法が施行されて65年目を迎えた。

 小泉、安倍政権の頃の熱さはないが、改憲への動きがじわりじわりと広がっている。
 自民党は4月27日、自衛隊を国防軍に、天皇を国家元首と規定する改憲案を公表した。新しい特徴は「緊急事態」の章を設けたことだ。
 名古屋大学の森英樹名誉教授は震災を奇貨とした「震災便乗型」「参事便乗型」ともいうべき新手の改憲論として警鐘を鳴らしている。

 改憲論が永田町をにぎわす一方で、東日本大震災の被災地、特に福島の状況を見たとき、65年たった今も憲法はまだ日本に根付いていない、むしろ憲法に規定された権利がますますないがしろにされていると思わずにはいられない。

 復旧・復興にあたっては憲法を根底に据えて取り組むべきだし、原発は憲法の前文や諸規定に照らして存在自体を問い直さなければならない。

 今日の北陸中日新聞は司法試験受験指導校「伊藤塾」主宰の伊藤真氏のインタビュー記事を一面に掲載している。(タイトルは東京新聞の見出しより)

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原発は違憲 心穏やかに生きる権利守れ


 憲法は、少数の人権を守るため、多数に基づく民主的政治に時として縛りをかけるものです。今回の震災では二万人近い人が亡くなり、帰宅できない人は三十四万人を超える。大変な被害ですが全人口からすれば少数です。厳しい言い方をすれば、ほとんどの国民にとっては「人ごと」。この事実を、まず直視しなければいけない。

 被害者が多数なら、多数で物事を決める民主主義のルートで支援策を決めればいいのですが、今こそ少数者の権利を守る憲法が必要です。

 幸福追求に対する権利を保障する一三条、健康で文化的な最低限度の生活を保障する二五条の訴えは切実です。被災して人間らしい生活と程遠い生活を強いられている人たちは「すばらしい憲法があるのになぜ私たちは…」と歯がゆく思っているでしょう。

 憲法は、一人一人が自分の権利を主張するのを認めている。被災者がそれぞれ違う権利を主張するのは、わがままではない。みんなと違うことを言うと申し訳ないと感じるのは、間違いです。

 憲法前文では「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあります。「平和」とは単に戦争のない状態ではなく病気や飢餓、貧困や人権侵害、災害を含め、生活を脅かす脅威から免れて心穏やかに生きることができる、ということ。一三条はさらに生命の脅威を排除することも人権として保障しています。

 その観点からみると原発は憲法違反だと考えます。放射能の危険にさらされないで生きたいという人権を、憲法は保障しています。憲法の平和主義の根幹は攻撃されない国をつくること。テロの標的になり得て、攻撃されれば原爆と同じようになるものを持つべきではない。核と原子力。英語ではどちらも「nuclear」なのに日本では使い分けてきたのです。

 震災では、憲法が国民の血肉になっていないことが分かりました。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」。前文の理想を具体化しなければなりません。憲法は、政治家に守らせる法。守らせるためには、国民も憲法の内容を知らなければなりません。

 <いとう・まこと> 1958年生まれ、東京都出身。東大法学部卒、資格試験の受験指導校「伊藤塾」を主宰。憲法の理念を広げる活動にも取り組む。近著「憲法が教えてくれたこと」は女子高校生が主人公の小説仕立てで、中高生向けに憲法の価値を説いている。


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