朝日新聞石川版(8月24日)
自転車で能登を駆け抜け、珠洲原発反対、そして志賀原発の廃炉を訴えてきた「能登ピースサイクル」が今日、ラストランに入った。
第一回は1990年までさかのぼる。
関西電力の高屋での事前調査再開を巡って緊迫した珠洲市内をスタートし、志賀原発を経て、なんと広島まで反核、反原発を訴えて走破した。
2回目からは珠洲から大阪、そして94年からは珠洲から志賀原発という能登のコースに集中し、多い時には約50人が参加したとのこと。
関電本社のある大阪からやってきて毎年珠洲原発白紙撤回を訴え市内を走り回る姿は反対派市民を勇気づけ、推進派へプレッシャーをかけ続けた。
中心メンバーへは珠洲市内の反対派同様、電力会社からの嫌がらせの郵便物などが届いたこともあったそうだが、そうした圧力を跳ね返し、走り続けてくれたことに感謝!感謝!である。
2003年12月の関電・中電・北電の3電力が珠洲から撤退を受け、2004年には珠洲からウィニングランをおこない、これを最後に能登ピースは珠洲から撤退し、志賀原発の廃炉を訴え志賀町から金沢へ走り、県庁と北陸電力への申し入れをというコースに変更された。
メンバーの高齢化などもあり15年で終了し、志賀原発の廃炉が決まったら2度目のウィニングランを実施する予定だったが、メンバーの高齢化や健康問題などもあり、今年のラストランになったとのこと。
昨夜は珠洲市内で定宿にしていた民宿で私も含め珠洲原発反対連絡協議会の元メンバーとの交流会をおこない、お互いの健康問題に始まり、かつての思い出話に花を咲かせ、さらに志賀原発廃炉への展望などの語り合うことができた。
直下の活断層問題がありながらも志賀原発の廃炉がいまだ実現せず、ウィニングランが実現しなかったことは本当に申し訳ない思いでいっぱい。能登ピースの皆さんの熱い思いに応え、一日も早く志賀原発の廃炉を実現したい!
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