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熊本地震から1年。
2013年に視察で世界農業遺産に認定された阿蘇を訪れ、最終日は熊本城にも立ち寄った。
昨年の地震直後には阿蘇神社や周辺の「水基」を紹介したが(熊本地震 世界農業遺産にも打撃)、今日は熊本城の石垣を振り返りたい。
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「石垣の博物館」とも呼ばれる金沢城の石垣の方が種類や芸術性では上かもしれないが、優美さと強固な守りという点では熊本城の右に出る石垣はないとか。
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次々と目の前に現れる石垣の壁。
熊本城攻めに敗れた西郷隆盛は、「官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」とつぶやいたという。
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見どころは石垣だけではない。
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本丸御殿の。
飾られている杉戸絵も見ごたえあり。
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これらは今、どうなっているのか・・・
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震度7が連続して起こった熊本地震を教訓にしなければならないと多くの防災関係者は語っている。
そんな中、教訓にするどころか、無視しようとしているのが原子力防災。
熊本地震の住宅被害は全壊、半壊、一部損壊を合わせると19万1599棟。
家の被害はかろうじて免れても、益城町など被災地では震災後、家の中にいるのは怖いと、多くの被災者がテントや車中で過ごした。
ところが原子力防災はいまだに5キロ圏外は屋内退避が基本。
鉄筋コンクリートの建物の数は限られ、多くの住民は空間放射線量がかなり高濃度になるまで木造家屋での屋内退避を強いられる。
熊本地震を教訓にするなら、ありえない。
地震と原発の複合災害を想定したとき、避難計画は完全に破たんしている。
単一の巨大地震しか想定していない耐震設計評価も同じく破たんしているが、こちらも見直そうとはしない。
私たちは福島第一原発事故同様、熊本地震も忘れてはならない。
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