北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

珠洲原発凍結(事実上の撤退)から8年

2011-12-05 | 脱原発
 2003年12月5日、関西電力、中部電力、北陸電力3社の社長が珠洲市役所を訪れ、貝蔵治(かいぞうおさむ)珠洲市長(当時)に対して珠洲からの撤退を伝えた。

 あれからちょうど8年。

 3.11を経ての今年の12月5日は特別の意味合いがある。

 かつての推進派の皆さんは、「凍結」について電力会社が電力会社の事情で勝手に撤退していったと総括をした(組織的な総括はいまだにない。個々人の発言を私なりに集約したもの)。
 当然、原発ができていれば今日の経済の疲弊はなかったのに・・・という未練が残したまま、そうかと言って計画が再浮上する可能性がないこともわかっている、そんな宙ぶらりんの状態が続いてきた。

 3.11は珠洲にとってそんな未練を断ち切るエポックとなった。

 その後の約9か月、福島第一原発から放出された放射能は東日本を中心に海も大地も大気も汚染し、私たちは低線量被ばくの時代を迎えてしまった。西日本の住民も逃れることはできない。
 沖縄でもホームセンターで販売している堆肥から放射能が検出されたそうだ。北陸に避難していた人の内部被ばく量が福島にいた何人かの人よりも高レベルだったという話もいわき市で聞いた。
 身の回りの放射能を意識し警戒する人としない人で被曝量が違ってくる。

 あらためて放射能は見えないし、臭いもないとものだという特徴に注目しなければならない。

 見えないからないことにしよう、ただちに影響はでないから気にしないでおこう、除染でなくなったことにしようなどなど、放射能に向き合わない人がいる。

 一方で放射能から逃げず、向き合い、子どもたちの命を守る、自分たちの命も守ろうと必死でたたかい続けている人たちがいる。

 今年の12.5は、珠洲に原発はなくてよかったけど、身の周りの放射能、そして全国各地、世界各地に残っている原発から逃げることはできない、一緒にたたかい続けなければならないということを確認する日にしなければならない。


コメントを投稿