北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

三國連太郎さん逝去

2013-04-15 | 雑感
 三國連太郎さんが亡くなられた。
 釣りバカ日誌などスクリーンでしかお会いしたことはないが、実は22年前に大変なお世話になっている。

 1991年の県議選初挑戦のときにリーフレットに推薦人として名前を連ねていただき、しかも顔写真に加えて推薦文の掲載まで了解していただいたのだ。



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 まったく面識のない私の推薦人になってくれた経緯を若干紹介すると、当時の私の選挙の中心を担ってくれた組織のひとつが「真宗大谷派反原発の会」で、真宗大谷派は三國連太郎さんが企画・製作・脚本・監督を務め、1987年に公開された映画「親鸞 白い道」が縁で三國さんと親交を深めており、その関係で推薦をお願いすることになったのだ。

 有名な俳優さんにたまたまつてがあったからお願いしたというのではない。三國さんが反原発の立場を表明していたからでもない。
 大谷派の皆さんは「親鸞 白い道」を通じて三國さんの親鸞聖人の教えの理解は本物だと知っていた。ならば原発も認めない立場だと確信し、反原発運動への協力をお願いしたのだ。

 そして、推薦文からも明らかな通り、三國さんは91年県議選珠洲市・珠洲郡選挙区が珠洲原発の立地の是非を最大の争点として実施されることを十分承知をしたうえで名前を出していただいた。単に私の推薦人というより、まさに反原発運動への支援表明である。

 3.11後、国民世論が大きく脱原発に流れる中でも、芸能人が原発反対を表明するには大きな勇気がいる。電力会社や財界から所属事務所を通じての圧力も後を絶たない。

 まして91年当時は政府が原発推進を国策として振りかざし、関電、中電、北電が大手を振って立地を進めていた時代である。県議選は、その後の珠洲原発の流れからも明らかなように、原発立地を左右する重要な選挙だった。
 おそらく電力会社は、私たちがリーフレットの配布を始めたその日のうちには入手していたことだろう。
 
 何らかの圧力があったのか、あるいは三國さんの存在が大きすぎて圧力をかけることができなかたのか、残念ながらお聞きする機会もなかった。

 あらためて信念の人・三國連太郎さんに心から感謝を申し上げ、ご冥福をお祈りしたい。


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