北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

福島からの避難者・浅田さん夫妻に聞く

2011-06-20 | 活動報告
 福島県から金沢市に避難している浅田正文さん、真理子さん夫妻が珠洲に来られた。6月議会前夜ではあったが、貴重な機会であり話を聞きに駆けつけた。

 浅田さんの避難前住所は福島第一原発から23キロの距離にあり、緊急避難区域に指定されている田村市都路(みやこじ)だ。 
 福島の田舎暮らしを求めて移住し、うちと同じく薪ストーブに薪風呂という暮らしだったそうだ。合併前の都路村では産廃処分場の建設計画があり、移住して3年後だったが産廃反対を訴え村議選に立候補。ムラ社会の中、10票しかとれないだろうといわれる中、見事当選を果たしたそうだ。ますます親近感をおぼえる。

 福島原発に対しては、廃炉に向けた「ハイロアクション福島原発40周年実行委員会」の事務局員を務め、まさにこれからアクションスタートという矢先の震災となった。

 地震翌日の3月12日、つまり福島第一原発1号機が水素爆発したあとの避難指示で、友人が住む金沢まで避難してきたとこのこと。

 その後、自宅に一時帰宅し放射線量を測ったところ1マイクロシーベルト以上。積み上げた薪のそばでも高い放射線が検出されたそうだ。
 もっとも、都路より原発からもっと遠い郡山市や福島市の方がより高い放射線量が検出されている。放出時の天候が汚染地域を左右する。
 避難区域の設定基準は、単に汚染濃度だけではないことがよくわかる。

 避難所や補償金の仮払いをめぐるトラブルも絶えないという。
 子どもたち同士でも「なんであんただけ逃げるの?」という会話があるそうだ。
 避難家庭では「どうして私だけ逃げてるの?」と親に尋ねる子もいるそうだ。
 そんな子どもの声で結局は汚染地域に帰る家庭もあるという。集団での学童疎開が求められる理由がこんなところにもある。

 17年前に手に入れた福島での田舎暮らし。
 「戻れるなら戻りたい」
 当然の思いだ。
 だけど、金沢に避難している自分たちはまだ恵まれているという。

 2年後には是非自宅に戻り、ひまわりや菜種を植えて地域の放射能を少しでも除去することが、原発を許してきた自分たちの世代のひとつの役割かなと言う。
 だけど、それまでの間は原発をなくすために全力で活動するとのこと。

 まだまだ話を聞きたかったが、予定もあり帰宅することにする。
 「まだ2年間は金沢にいるのでまたお会いしましょう」と言われる。
 なんと答えていいものか。

 福島では梅雨時から秋にかけ、太平洋から内陸に向かってやませ(山背)と言われる風が吹きつける。
 表土を削った運動場に新たな放射能が降ることのないよう祈りたい。

 


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