3日昨日の朝4時15分ころから明日へのことば「短歌でつづる夫婦の絆」須磨佳津江アンカーの質問に田島多恵子さんが答えるものであった。
長年勤めた信用金庫を退職して、夫婦で短歌の教室に通っていたが、夫の保夫さんがやめると言い出した。しかし、近くの短歌の先生に通うようになった。が、70歳の時病院での診断の結果認知症と判明、それでも、ベットに紙切れを持っていき、その気持ちを短歌に書きつけておいた。その短歌がバラバラになり、一年間の短歌を「きょうを生きる」と自費出版した。
77才になった保夫さんの話は聞きにくく、多恵子さんとのやり取りが須磨アンカーの短歌を読み上げることで夫婦の対話が分かった。
認知症と分かった保夫さんは、その心境を読み、山登りの様子など詠んでいた。が、多恵子さんはレンジでお酒をチンするだけであとは何もしない人と言っていた。この辺が登山では携帯ガスコンロで煮炊きする私に理解できないことろで、日帰り低山の登りかと想像していた。
詠む仲間との交流、奥さんとの日常生活で、多恵子さんが出かけた時、一人待つ身の寂しさを詠んでいる。
須磨アンカーに今の生活を聞かれると、認知症の前と後では何も変わっていないという。しかし、電子レンジがどこあるかわからないというが、その場所を指示するとちゃんとお酒のお燗をすると。病院の先生は好きな短歌を作っているから、この程度で不自由なく生活できるのでしょうと。保夫さんの短歌の紹介と奥さんとの対話で素晴らしいご夫婦の仲の良さをあじわった。
長年勤めた信用金庫を退職して、夫婦で短歌の教室に通っていたが、夫の保夫さんがやめると言い出した。しかし、近くの短歌の先生に通うようになった。が、70歳の時病院での診断の結果認知症と判明、それでも、ベットに紙切れを持っていき、その気持ちを短歌に書きつけておいた。その短歌がバラバラになり、一年間の短歌を「きょうを生きる」と自費出版した。
77才になった保夫さんの話は聞きにくく、多恵子さんとのやり取りが須磨アンカーの短歌を読み上げることで夫婦の対話が分かった。
認知症と分かった保夫さんは、その心境を読み、山登りの様子など詠んでいた。が、多恵子さんはレンジでお酒をチンするだけであとは何もしない人と言っていた。この辺が登山では携帯ガスコンロで煮炊きする私に理解できないことろで、日帰り低山の登りかと想像していた。
詠む仲間との交流、奥さんとの日常生活で、多恵子さんが出かけた時、一人待つ身の寂しさを詠んでいる。
須磨アンカーに今の生活を聞かれると、認知症の前と後では何も変わっていないという。しかし、電子レンジがどこあるかわからないというが、その場所を指示するとちゃんとお酒のお燗をすると。病院の先生は好きな短歌を作っているから、この程度で不自由なく生活できるのでしょうと。保夫さんの短歌の紹介と奥さんとの対話で素晴らしいご夫婦の仲の良さをあじわった。