昨夜、録画したブラタモリ新潟編を見た。キーワードは「新潟は砂の町です」から、なかでも新潟市は、日本一長い信濃川と阿賀野川という2つの川の河口に位置する日本海側を代表する都市で、河口にできた港町、三角州、デルタ、扇状地のイメージが・・・。まずは、万代橋から始まった。
そんな新潟市が砂の町だということは川がつくりだした地形から想像はできる。しかし、太平洋に住む我々には想像もできない冬の嵐で砂が堆積、河川の運ぶ砂と相まって凹凸の砂丘ができていた。今も繁華街に残る痕跡、そして、消防署の屋上ヘリポートから眺めた海抜マイナス地帯の鳥屋野潟は周辺の田んぼからたまった一番低い沼地であった。
米どころ亀田地区では、腰までつかる田んぼが、4台のポンプで鳥屋野潟より高い信濃川に排水、信濃川の砂を毎日掘削している船の活躍で、乾いた田んぼになり、農民ははじめ乾田にとまどったという。
新潟市の中心部から日本海の方へ向かうと、新潟砂丘に町ができており、この巨大砂丘で、いくつも堀を巡らせ、幕末には開国五港に選ばれ、港町として大いに栄えていた新潟。その繁栄ぶりを老舗料亭で知り、エロハカルタやじゃんけん遊びを楽しんだ。
そんな新潟市が砂の町だということは川がつくりだした地形から想像はできる。しかし、太平洋に住む我々には想像もできない冬の嵐で砂が堆積、河川の運ぶ砂と相まって凹凸の砂丘ができていた。今も繁華街に残る痕跡、そして、消防署の屋上ヘリポートから眺めた海抜マイナス地帯の鳥屋野潟は周辺の田んぼからたまった一番低い沼地であった。
米どころ亀田地区では、腰までつかる田んぼが、4台のポンプで鳥屋野潟より高い信濃川に排水、信濃川の砂を毎日掘削している船の活躍で、乾いた田んぼになり、農民ははじめ乾田にとまどったという。
新潟市の中心部から日本海の方へ向かうと、新潟砂丘に町ができており、この巨大砂丘で、いくつも堀を巡らせ、幕末には開国五港に選ばれ、港町として大いに栄えていた新潟。その繁栄ぶりを老舗料亭で知り、エロハカルタやじゃんけん遊びを楽しんだ。