最後の秘境東京藝大・・・天才たちのカオスな日常で、後半に、村上愛佳さんの言葉が載っている。
「最近、宮城に行っているんですー」と元気いっぱいに前歯を覗かせて先端芸術表現科の村上愛佳さんが言った。
「ずっと、あの震災ことは考えていたんですけど、・・作品の題材として客観的に見られる体になっていなかったんでしょうね。でも今、三年生になってようやく向き合う覚悟ができてきたんです。卒業制作では、やっぱり震災を扱おうと思っていて」
「高校三年生の三月ですね。私は学校に居て、津波で街が消えていく映像が報道され、友達の家あたりが黒い泥水に飲まれ、友達は帰れず、一階が水浸しで教科書がなくなり、もう何も考えられなくなり、混とんとして何もおもいだせず、考えることはせず、でも知りたくて、わかりたくて」
そのうち、「宮城頑張ろう」とワークショップが始まり、音楽のライブ、美術の展示、桜の木を植えたり、アーテストたちがやって来て、スタッフとしてお手伝いしているうち、居心地がよくなり、現役で一橋に合格しても身が入らず、一浪して藝大の先端芸術表現科(先端)に入るきっかけになったと。
先端は上野ではなく取手にあり、何でもありきで音環と仲良く、その音環の植村さんが、油画に居ながら絵ではないものをやる人たちの集まりという。
村上さんは、1,2年生は、基礎をすべてやり、電子工作や砂糖でウサギの人形を作ったり、あとは写真、映像、コンピューター、身体表現、気になる音を録音したり、プロジェクションマッピングもやり、取手のキャンパスには暗室や無音室もあると。溶接や電動ノコも。
先端の教授は、美術評論家、演劇、作曲、彫刻、メデアアート、キュレーター、加えて今活躍しているアーティストを呼んで講義してもらう。三年生では課題が減って自由になり、自分で何かをやり年に4回学校に行けばよい。毎日来る人もいるが、悩んで辞めてしまう人もいたと・・・・。
「最近、宮城に行っているんですー」と元気いっぱいに前歯を覗かせて先端芸術表現科の村上愛佳さんが言った。
「ずっと、あの震災ことは考えていたんですけど、・・作品の題材として客観的に見られる体になっていなかったんでしょうね。でも今、三年生になってようやく向き合う覚悟ができてきたんです。卒業制作では、やっぱり震災を扱おうと思っていて」
「高校三年生の三月ですね。私は学校に居て、津波で街が消えていく映像が報道され、友達の家あたりが黒い泥水に飲まれ、友達は帰れず、一階が水浸しで教科書がなくなり、もう何も考えられなくなり、混とんとして何もおもいだせず、考えることはせず、でも知りたくて、わかりたくて」
そのうち、「宮城頑張ろう」とワークショップが始まり、音楽のライブ、美術の展示、桜の木を植えたり、アーテストたちがやって来て、スタッフとしてお手伝いしているうち、居心地がよくなり、現役で一橋に合格しても身が入らず、一浪して藝大の先端芸術表現科(先端)に入るきっかけになったと。
先端は上野ではなく取手にあり、何でもありきで音環と仲良く、その音環の植村さんが、油画に居ながら絵ではないものをやる人たちの集まりという。
村上さんは、1,2年生は、基礎をすべてやり、電子工作や砂糖でウサギの人形を作ったり、あとは写真、映像、コンピューター、身体表現、気になる音を録音したり、プロジェクションマッピングもやり、取手のキャンパスには暗室や無音室もあると。溶接や電動ノコも。
先端の教授は、美術評論家、演劇、作曲、彫刻、メデアアート、キュレーター、加えて今活躍しているアーティストを呼んで講義してもらう。三年生では課題が減って自由になり、自分で何かをやり年に4回学校に行けばよい。毎日来る人もいるが、悩んで辞めてしまう人もいたと・・・・。