標高800m紀伊山地に開けた仏教都市・高野山。前回の180町石を経て、一段高い空海が最初に開いた修行の場・壇上伽藍、そして、総本堂の金堂、真言密教のシンボル根本大堂が町石ゼロにあたる。
空海が最初に開いた修行の場壇上伽藍金堂の内陣へ、山口館長から左右の両界曼荼羅、右に胎蔵界曼荼羅(太陽が中心の宇宙の物質の世界)、左に金剛界曼荼羅(精神の世界)と、真言密教(遣唐使1年でお墨付きの34才空海が持ち帰った真言宗)は言葉で説明することが困難で、図解したもであると説明を受けた。
そして、180町石から壇上伽藍までが物の世界で、これから奥の院まで36町石を経て一の橋を渡り、御廟まで1.5㎞30万の墓や供養塔が並ぶ聖域は精神の世界であると。
1.5㎞の通路の両側の墓や供養塔には、伊達家、前田家、織田信長や明智光秀など、企業のお墓なども即ち五輪塔は(宇宙の世界は地水火風空)であり、そしてフグの家の城やしろありの供養塔もあった。56億7000万年後の救済のために沢山の人が、空海の傍で眠る場所とした。タモリさんは庶民も眠っているはずと、墨で書いた一石五輪塔が5,6000個埋もれた石塔として、数個の石塔が杉の根元におかれていた。そして、1日2回空海が食べる精進料理パスタなどもあじみ地域から御廟まで運ばれている光景を見守った。
最後に、空海の証しとして高野山の霊宝館に、空海原点の自筆の書国宝「ろうこ指域」の巻物をマスク姿のタモリさんは見てうなっていた。空海大学で学んでいた24才の時、人々を助けるものは仏教と悟り、大学をやめて、仏教の尊者は一切に通ずるとの思いの出家宣言書であると山口館長から説明を受けた。空海の偉大さにただ感動するばかり。
空海が最初に開いた修行の場壇上伽藍金堂の内陣へ、山口館長から左右の両界曼荼羅、右に胎蔵界曼荼羅(太陽が中心の宇宙の物質の世界)、左に金剛界曼荼羅(精神の世界)と、真言密教(遣唐使1年でお墨付きの34才空海が持ち帰った真言宗)は言葉で説明することが困難で、図解したもであると説明を受けた。
そして、180町石から壇上伽藍までが物の世界で、これから奥の院まで36町石を経て一の橋を渡り、御廟まで1.5㎞30万の墓や供養塔が並ぶ聖域は精神の世界であると。
1.5㎞の通路の両側の墓や供養塔には、伊達家、前田家、織田信長や明智光秀など、企業のお墓なども即ち五輪塔は(宇宙の世界は地水火風空)であり、そしてフグの家の城やしろありの供養塔もあった。56億7000万年後の救済のために沢山の人が、空海の傍で眠る場所とした。タモリさんは庶民も眠っているはずと、墨で書いた一石五輪塔が5,6000個埋もれた石塔として、数個の石塔が杉の根元におかれていた。そして、1日2回空海が食べる精進料理パスタなどもあじみ地域から御廟まで運ばれている光景を見守った。
最後に、空海の証しとして高野山の霊宝館に、空海原点の自筆の書国宝「ろうこ指域」の巻物をマスク姿のタモリさんは見てうなっていた。空海大学で学んでいた24才の時、人々を助けるものは仏教と悟り、大学をやめて、仏教の尊者は一切に通ずるとの思いの出家宣言書であると山口館長から説明を受けた。空海の偉大さにただ感動するばかり。