昨日の福島民報トップ記事に、戊辰150年46回会津若松編で信義を貫く意志新たに「白虎隊」が載っていた。
そんな時、ハイ!みんぽう9月号、大石邦子さんの「117年目のお葬式」で、会津魂を生き抜いた日本人初の女性移民おけいの墓である。と、ご主人はカリフォルニア州の自然保護団体ABC役員の奥さんコーリンズ・洋子さんからのメールであった。
2010年ABCは北米入植者による「若松コロニー」の跡地を、5億円もかけて保護のために買い取り、その丘にある小さな墓で、地主も変わり誰の土地かも分からないところで、米国の農業に大きく寄与したことから、州の史跡認定に至り、史跡記念碑も出来た。
おけいの墓は、大正5年、この丘から発見された小さな墓には、明治4年没、享年19才と英語と日本語で刻まれていた。
おけいと兄のように慕っていた桜井松之助がコロニーに失敗。離散したが、二人は地主のヘンリー老人で、松之助が地主の土地で生涯働き、溜めたお金で、晩年おけいの墓を建てたことが明らかになったと。松之助の墓は無縁公営墓地に「埋葬されていた」ことが明らかになり、この度、松之助の墓碑を建て、没後117年目にしてお葬式を日系人が行ったという。
そんな時、ハイ!みんぽう9月号、大石邦子さんの「117年目のお葬式」で、会津魂を生き抜いた日本人初の女性移民おけいの墓である。と、ご主人はカリフォルニア州の自然保護団体ABC役員の奥さんコーリンズ・洋子さんからのメールであった。
2010年ABCは北米入植者による「若松コロニー」の跡地を、5億円もかけて保護のために買い取り、その丘にある小さな墓で、地主も変わり誰の土地かも分からないところで、米国の農業に大きく寄与したことから、州の史跡認定に至り、史跡記念碑も出来た。
おけいの墓は、大正5年、この丘から発見された小さな墓には、明治4年没、享年19才と英語と日本語で刻まれていた。
おけいと兄のように慕っていた桜井松之助がコロニーに失敗。離散したが、二人は地主のヘンリー老人で、松之助が地主の土地で生涯働き、溜めたお金で、晩年おけいの墓を建てたことが明らかになったと。松之助の墓は無縁公営墓地に「埋葬されていた」ことが明らかになり、この度、松之助の墓碑を建て、没後117年目にしてお葬式を日系人が行ったという。