2018.9/13今朝の明日へのことば「75歳で起業・やればできた、私の会社」五所川原笹餅製造販売業桑田ミサオさんのトークを聞いた。
全て母の教え「1を知って10を知る」を胆に命じてやった研究・好奇心の塊りで、保育所用務員を60の定年で退職、料理の免許を持っているので、粟餅を作って老人会の人たちに食べて頂いたところ、涙を流して食べている姿を見て、母からの伝授笹餅を作ったのがきっかけでした。
販売を始めると、保健所の許可が必要になり、資格を取得し許可を取って、75才で会社を作り、津軽鉄道の車内販売、津軽平野の歌を希望され、津軽じょんからならと、即興で歌い大変喜ばれたと。子からでたらめではダメと言われ、民謡を習ったとも。
「笹餅をつくるのは小豆の餡を、もち米を粉に挽くので週の月・金曜で、製粉所に頼むと1俵8000円かかるから、自家製粉と。餅を包むのに笹の葉は母が言う「山は黄金山」で自分で採ってすべて一人で作り、地元の金木町スーパーに、600個納める分とそれと、全国から注文がある。
「青森の笹餅は、粉に挽いたもち米と小豆の餡を混ぜて蒸しあげてから、熱いうちに丸めて笹の葉で包み、それをもう一度蒸し、そうすると笹がいつまでも青々としているから。“津軽ならではの味だね”って、皆さん喜んでくれる。
昔は冷蔵庫もなく、殺菌力が強い笹の葉で包んだ餅は夏場でも日持ちがするから、母もよくつくってくれたし、5~6歳頃から傍で手伝っていた。神事があり、昔は笹餅に限らず、団子や赤飯、おはぎや粟餅をつくっては、両隣にあげたり、もらったりしていたので、笹餅つくりは好きで、孫の後継者もでき30年続けれた92才のおばあちゃんでした。
全て母の教え「1を知って10を知る」を胆に命じてやった研究・好奇心の塊りで、保育所用務員を60の定年で退職、料理の免許を持っているので、粟餅を作って老人会の人たちに食べて頂いたところ、涙を流して食べている姿を見て、母からの伝授笹餅を作ったのがきっかけでした。
販売を始めると、保健所の許可が必要になり、資格を取得し許可を取って、75才で会社を作り、津軽鉄道の車内販売、津軽平野の歌を希望され、津軽じょんからならと、即興で歌い大変喜ばれたと。子からでたらめではダメと言われ、民謡を習ったとも。
「笹餅をつくるのは小豆の餡を、もち米を粉に挽くので週の月・金曜で、製粉所に頼むと1俵8000円かかるから、自家製粉と。餅を包むのに笹の葉は母が言う「山は黄金山」で自分で採ってすべて一人で作り、地元の金木町スーパーに、600個納める分とそれと、全国から注文がある。
「青森の笹餅は、粉に挽いたもち米と小豆の餡を混ぜて蒸しあげてから、熱いうちに丸めて笹の葉で包み、それをもう一度蒸し、そうすると笹がいつまでも青々としているから。“津軽ならではの味だね”って、皆さん喜んでくれる。
昔は冷蔵庫もなく、殺菌力が強い笹の葉で包んだ餅は夏場でも日持ちがするから、母もよくつくってくれたし、5~6歳頃から傍で手伝っていた。神事があり、昔は笹餅に限らず、団子や赤飯、おはぎや粟餅をつくっては、両隣にあげたり、もらったりしていたので、笹餅つくりは好きで、孫の後継者もでき30年続けれた92才のおばあちゃんでした。