今年も冬を告げる白鳥がやってきた。湖がすべて凍りついてしまうという酷寒の地、ロシア北極圏地帯から4000㎞、餌をもとめてやってくる。
あの磐梯山を背に、猪苗代湖上を悠然と飛び交う白鳥の姿はたまらなく美しい。
その白鳥の名の遊覧船が廃業の危機に、何とか新たな会社が設立されて、「はくちょう丸」は観光船に、「かめ丸」は湖上レストランとして動き出すらしい。
船内では、食事のメニューが揃い、結婚式や同級会で、素晴らしい眺望の湖上レストランで出来る。考えるだけでもウキウキする。
実は先月、白鳥はまだ飛来していなかったが、憧れの「はくちょう丸」で湖上を一周してきた。夢のようだった。
フリーアナの大和田新さんの計らいで、私の友人小柳さん、ラジオ福島アナ山地美紗子さん、そして新社長渡部英一さんも同乗、
社長さんの説明を受けながらの一周だった。
自分の足で歩ける若い時「はくちょう丸」に一度乗ったことがあり、思い出は年を取らず、あの日のことが甦り、ブラウスの色や髪を吹き上げる
風の匂いさえ漂い、笑いに込めて涙をぬぐった。
あの頃の猪苗代湖は賑わっていた。皇族の別邸、野口英世の生家、火傷した囲炉裏、自ら刻んだ柱の誓いの言葉が、そのまま残されている「野口英世の記念館」である。ノーベル賞候補に3度も挙がりながら、51歳の若さで亡くなった英世、まだ電子顕微鏡もなかった時代、自分の命を懸けて、人命を救うべく医学に打ち込んだ人。
それらが遊覧船とタイアップして猪苗代は遠足や修学旅行の聖地のように賑わっていた。
あの頃のように、子ども達に思い出の湖畔になって欲しいと思う、想い出は力でもあるから・・・。
このコロナ過では無理だから、大正時代のスペイン風邪が3年で収束したように、収束して初めて、子ども達に活動してもらいたいと願う仙岩である。私は外出は自粛、写真は2004年10月の磐梯山登山の朝5時頃撮影したもの。