ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

四倉北辰妙見様のだるま市

2017-01-09 09:44:17 | 日記
昨日8日は四倉町の松送り、北辰妙見尊の前には、例年通り参道前にだるま市が開かれた。

北洋漁業が盛んなころには、妙見堂山道の両側に沢山のだるまのお店が並んでいたが、今年も3軒のだるま店、熊手等縁起物、今川焼等アツアツの食べ物店が5,6軒並んで食べている方も見えた。

妙見堂には北辰妙見菩薩が祀られており、インド由来のものと異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものである。

平安時代に信奉され、奥州征伐で軍功のあった千葉氏が赴任し信仰、相馬へ赴任した折に四倉の地に菩薩を置いていった鎌倉時代のものが引き続きの信仰となったもの。北極星の動かない安定の信仰、護国鎮守、除災安定、大漁祈願、家内安全などの護り神として信仰し、如来、菩薩、明王、天の護法神の中で4番目にあり、大黒天や毘沙門天、弁財天と同じ天部にある。一番低いから民に信仰されたようだ。

家内安全、身体堅固などのごま札を頂いて参道石段を降りる人が沢山いた。また、境内では、昨年のごま札が焼かれていた。

七種粥

2017-01-07 09:33:41 | エッセイ
今日正月7日は、五節句(1/7人日、3/3上巳、5/5端午、7/7七夕、9/9重陽)の荊楚歳時記より、陰暦正月7日で七種粥を祝う。

我が家では、セリナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロの七種でなく、芹ハコベ大根水菜美味しい菜小松菜春菊をできた粥に混ぜ、餅を一個。他に、ネギオクラアロエおろし入り納豆、若布玉ねぎキャベツ白菜の酢もの。目玉焼きや野菜ジュースで頂いた。

今は、正月三が日雑煮餅であるが、幼少のときは7日餡子や雑煮で過ごしたので、胃腸を休めるためにも七種粥は待ち遠うしかった。

そして、松送りをした。が、いわきの四倉は明日8日が松送りで、どんと祭(鳥小屋)で家内安全などのごま札や正月お飾りを燃やし(今はゴミとして出す)、お供えの餅を焼いて食べ風邪ひきをなくす。北辰妙見の前にだるま市が開かれる。これらはすべて無病息災の儀式である。

今年は十二支の酉年

2017-01-06 09:02:17 | エッセイ
今年の賀状には必ずと言っていいほど、酉の文字や鶏の絵が印刷されている。

とりは漢字で鳥と書く。酉は十二支の漢字で、その由来は学校で、農家の人に作物の種から収穫の実までを分かりやすく教えたと。しかし、肝心の十二支の由来には触れていない。五行、六曜、十干などと合わせた陰陽道との結びつきからであろうと、どなたも触れている。が、その起源には触れていない。

十二支の起源は仏教の教えに由来し、須弥山(しゅみせん)の南方には諸物が現れて法楽を授けるという州閻浮提(えんぶだい)。
ここは4つの島に囲まれていて、それぞれの島には3匹の獣が住んでおり、計12匹の獣が交互に閻浮提に来ては衆生(しゅうじょう)を救った獣は、東方・・獅子 兎竜、南方・・毒蛇、馬、羊、西方・・猿、鶏、犬、北方・・猪、鼠、牛であるという説もある。

では、鶏が酉にどうしてなったのであろう。鶏は庭の鳥でニワトリ、野に居る鳥は野つ鳥でヤチョウである。が、何の根拠にもならない。

MyHPから、日の記述の暦のもう1つの性格は天象の予言や占いです。暦本に記載された暦注には天象の他に七曜、干支、朔望、潮汐、二十四節気、雑節、二十八宿、九星、六曜(先勝友引先負仏滅大安赤口)、中段の十二直、下段の吉凶などです。

◆ 十干は甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
◆ 十二支は子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥

干は数の順序数に対応し、支は作物の12の生育過程と農作業の順序の言葉を十二支の動物に対応させたものですが、これと天象、歴に対応させたことが一番無難であろうと思っております。

今朝の地震と漱石生誕150年

2017-01-05 08:32:48 | エッセイ
未明0:44大きな地震の揺れで目が覚めた。震源地北緯36.9、東経141.0から、四倉から南22㎞、小名浜三崎公園から、わずか南東に7kmの沖、深さ60km、M5.3で、ラジオ聴きながら揺れのおさまるのを待った。

2:35四倉東37km沖、深さ20km、M4.2は薄々気づいた。しかし、2:53四倉東37km沖、深さ30km、M5.8は大きく完全に目が覚めた。携帯の緊急地震情報はならなかった。

4時から、孫娘エッセイスト半藤末利子氏の「生誕150年孫娘が語る漱石一家」を聞いた。

岩波の漱石全集全16巻が手元にあるが、1巻が「吾輩は猫である」、2巻は短編小説集、「倫敦塔、坊ちゃん、草枕など11篇」・・・。学生時代に求めた新書版と違って、A5の拡大版で大変読みやすい。

東大卒業後、松山中など教師を経て、イギリスへ留学、東大で講師、坊ちゃんなど発表している。

神経症の病気で、優しい人なのだが、怒ったりの病気とあきらめていたと語る。孫の母、漱石の娘は出入りする菊地さんは浮気型で生活に慣れていて嫌いであり、新潟の田舎から出て来た方が純朴で好きでも、好きと言えない母であった。それが父で、文学にのめり込んだと。

そして、祖父漱石は、相手の方を「あんた」というと、「あなた」というように強く教えられた。寝る前には、母は「お父様おやすみなさい」とあいさつするように躾けられたという。あとはウトウトしてしまった。