ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

ブラタモリ「高野山はなぜ山上の仏教都市に?」

2017-09-25 08:11:28 | 旅行
高野山真言宗総本山の金剛峯寺からスタート、標高800mの高地に約2300人が暮らす町、住民のおよそ3人に1人がお坊さんの仏教都市がなぜ作られたのかの探索をするもの。

まず水、高野山全体には177の寺があり、メンストリートにも寺がある。道沿いの蛇行が御殿川で今は暗渠になっており、千手院橋の名前が残っていた。川の水は豊かで、その理由を不動院の裏で、湧き水や地盤が泥岩でお盆のような形で水が溜まりやすく、山上の町は縦3㎞と横4㎞の広さで奇跡的な水に恵まれていた。

次に食料、宮大工棟梁一級建築士尾上恵治案内人が作った金剛峯寺の煩悩を払う仏具「三鈷杵」をタモリ・近江さん手でさすり、貴賓の上段の間の金箔は人に踏まれた土壁は使わないと。年貢米や寄進された領地からの米2000人分が炊ける3つの釜の200畳の台所と、そして坊さんにより工夫されてできた高野凍豆腐の特産品が生まれた。

明治になるまで女人禁制だった高野山は、いわば“出生率ゼロ”の町。人口維持には、学生寮の会下で暮らす学生は平安時代から続く学生の住み込みで、お金がかからず、徳川、織田、前田、浅野などの家紋が入った提灯が掲げられた寺や六文銭の石碑の蓮華定院には、真田家と宿坊との契約書を見て、各大名との契約ができ全国から若い学生が集まっていた。

しかし、御影堂の奥に空海の肖像画がある神聖なお堂は、高地で瓦は凍みて割れ使用できず寺の屋根は檜の木場葺きで、落雷などで一度火災が発生すると全焼となり、昭和元年金堂の火災が全焼した時、御影堂の外廊下の手すりの擬宝珠(ぎぼし)が変形していた。172年ぶりで2015年に再建された中門で全部終わったと。そして、御堂を守る噴水で建物を丸ごと防ぐトレンチャーの実演を見て、火災から町を守っていた。高野山の町は、水に恵まれ、寄進の食料と高野豆腐、全国から若い坊さんが集まる仕組みの人口維持と防火対策でタモリさんも納得。


墓参と彼岸花

2017-09-24 08:25:40 | エッセイ
「故郷は遠きにありて思うもの」

昨日彼岸の中日朝から雨で、墓参はどうしたものかと心配していたが、直ぐ止み青空になった。

10時からいわき市草野の墓参をした。田んぼのあぜ道には、色あせた彼岸花がもう枯れそうに咲いていた。西には湯ノ岳、水石山、二箭山が連なり、実りの田んぼを見守っている。

帰宅して、毎年撮影している大野の手前の田戸の田んぼんのあぜ道に咲く彼岸花をと行ったが、やはり色あせ撮影を止めて、案山子そして、近くの民家の竹やぶの横の土手に咲く彼岸花を撮影した。台風18号であまり影響されなかったようだ。テレビでは奈良や熊本の彼岸花は満開できれいに咲いていたが、今年のいわきの秋は早いように感じた。写真は昨日草野から望む水石山と田戸の彼岸花。

彼岸花はヒガンバナ科の多年草、田のあぜ・墓地など人家近くに自生、30㎝内外の一茎、頂きに赤の6弁花、外側に雌雄長く突き出る。冬の初め頃線状の葉をだし、翌春枯れる。鱗形は有毒、薬用で、モグラなど害虫から田の畔を守るために植えた。

秋の彼岸に栗ご飯

2017-09-22 08:20:54 | 問題
昨日5:45起床、ドアーを開けると台所から階段を伝わって栗ご飯の匂いが鼻を突き、千葉の妹に「ありがとう」声が出た。

送って頂いた栗を一昨日、水に4時間浸し、中火で10分塩茹で、20分そのままぶち上げて栗の実の尻を包丁入れ皮むき、5,6個渋皮ごとむけていた。妻と鬼皮むき、少し休んで渋皮むいて、普通のご飯の水加減に、コップ半分の水を取り捨て、栗と油揚げ1枚みじん切りで、酒、塩、醤油隠し味を捨てた元の量に水を加えて、バター一切れの2/3を入れセットしたもの。

仏壇にお供え、朝食に頂いた。これぞ秋の味覚の王様栗ご飯であった。4合超会津のコシヒカリ米は軟らかく、それでべたつかず後を引く栗ご飯で少しお代わりした。そして自分の生にも感謝した。

早速、3日前の18日退院の娘に連絡、午後1時に娘夫婦が来て、夫はサーフインを終えてから、キンピラやナス炒め物と残り栗ご飯全て頂いて帰った。

栗はブナ科の落葉高木、葉は互生、6月雌雄同株の単性花で、雄は細長く垂れ、その根元に雌があり外からは見えない。9月半ばに栗拾いができる。栗の木は水に強く、家の土台や、鉄道枕木、艪などに利用されている。

「瓜はめば子ども思ほゆ栗はめばまして偲はゆ」万葉集(5)。

浪江の114号6年半ぶりで再開通

2017-09-21 08:44:06 | 旅行
昨日20日彼岸入りの朝6時に、浪江の114号国道6年半ぶりで再開通、避難区域の復興に加速が期待される。

車は通れるが、歩行、自転車、バイクの通行はダメ。また一方で、浪江津島間の27㎞帰還困難区域であるため、防犯が大きな課題でもある。それで、114号国道の沿線への出入りをバリケードで封鎖したり、請戸川沿いに走る国道は山道で携帯が不通、1㎞おきに非常用電話が設置されている。写真は福島民報より、この先右にカーブして請戸川を渡り、川沿いに山道を走り津島に抜ける。

墓参などでの帰宅は、川俣から飯館原の町に出て帰宅していたが、直接、川俣から浪江に入れる住民には大変便利になった。テレビで映し出された馬場町長の笑顔が印象的であった。私もいわきから福島の美術館鑑賞などで大変お世話になった道路である。よかった!よかった!