オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

年度末にて

2010-03-27 | Weblog

3/27(土) 今年度も今日を含めて残り五日となった。何処の会社も事務処理等で多忙を極めている様子。昨日に打合せを行った某社のK氏、事務に追われて徹夜続きとかでグッタリしていた。

弊社でも土曜日の今日、何名かのスタッフが休日勤務をするとのこと。私では何の手伝いにもならない、せめて捕食の差し入れでもと「鳥肉の混ぜご飯オニギリ」を用意した。

鶏肉と牛蒡・油揚げを煮付け、ご飯は別に炊いて後から混ぜ合わせることにした。

冷凍のイタドリ(すかんぽ)を煮た処、大失敗。洗い物に夢中になり焦げ付かした。その上に煮すぎると云うダブルパンチ。

イタドリを塩抜きし、油揚げと一緒に煮るというシンプルなものであるが、一年前にも失敗をした。教訓が生きない愚かしさである。

出掛ける前に田舎の従兄弟から「新筍」が届く。湯掻いてあり直ぐに調理ができそうだったので、家人に頼んで煮てもら。味の染み込みが足りないようだが、初物でもあるので「イタドリ」と一緒に少しであるが差し入れることとした。

                   

十八個の握りを用意し、会社へと持参。三個ぐらいは、K用に冷凍にしよう・・・。

 邂 逅

今日の夕方、岩国から友人のHamaokaが出てくる。何でも高校の同窓会が東京で開かれるとか。二月も前か、電話があり私とHosokawaに会えるなら上京するとのことだった。

Hmaoka君とはHosoを通じて知り合ったはずだ。同じ大学の同級生。丁度学園紛争が燎原の火の如く燃え上がり、両Hともその火中でしぶとく活動をした。一方は、時期が遅れて卒業、もう一方は中退した。

中退したHは、TV番組制作会社の役員に収まり、岩国のHは、一昨年めでたく郷里の市役所を定年となり、嘱託職員として勤めを継続しているようだ。

学生時代に私の郷里に遊びに来、暇に任せて田舎のパチンコ屋に行ったことがる。其処のボットン便所で、Hは虎の子の5000円札を落とした。漸く拾い上げて、これで本当にウンがついたと大笑いをしたのが懐かしい・・・。

学園紛争の火が消えて、卒業が遅れたHは何故か剣道を始めた。私の下宿の側に剣道界でこの人在りと云われる、小澤 丘先生の「興武館」があり、其処に通っていた。多分、最初は私が案内したはずであるが、そのシーンを思い出せない。

郷里の岩国に戻った後も剣道を続け、何時の間にやら五段に昇段した。その後の昇段の話は聞いていないが、既に六段になっているかもしれない。しぶとく喰らいついて行く、彼らしい歩みである。

しかし、あのHamaokaが市役所勤めとはと驚いたのは事実。前歴を上手く糊塗したものよと、もう一人のHと笑ったのも遥かな出来事となった・・・。

旧友三人で今夜も酒を酌み交わす・・・いい晩になりそうだ。

コメント
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