1/16(水) 一昨日、東京は大雪だったそうで・・・。前日の午後、高知の田舎に帰ったので江戸で激しく降ったという雪を見れなかった。残念ではあるが、帰郷や帰京の日程がちょっとずれていれば、参ったね~となるところ。だが、台風やあの大震災の時にも一寸したタイミングで、参ったな~とはならなかった。我が悪運は止まるところ知らず?
我が故郷の高知・東部地方は、帰省した夜から雨となり翌日の昼ごろまで降りそぼった。が、午後からは回復した。江戸が雪に振り込められていた頃、畑で紙屑などを燃やしていたのだ。
帰省の前日の土曜日(12日)は酷い二日酔いであった。前夜の金曜日、阿蘇に帰って農業の道を歩み始めたS氏が何ヶ月振りかで上京、相棒のHIROさんを交えて久方振りに横浜で懇談した。
その後、地元の学芸大学に戻り半馴染の店で深夜まで飲んだ。高齢の二人連れの一人(相方は酔いつぶれていた)を相手にグダ愚だと話、店も閉まろうという頃合いに若い二人連れが来た。カウンターの隣同士だった先の客との話が噛み合わない。
雰囲気が良くないので大人のふりをして話を引き取り、またしてもグダ愚だと飲み話す・・・、いい加減に若者を帰して引き上げると、深夜となっていた。
お蔭さまで、翌日はグロッキーのマグロかトドが一丁出来上がっていた。
昼には会社に出る予定が、漸くに辿り着いたら既に3時半であった。酒も飲みたくない、そんな体たらくだったが、古本BARをやっていたH氏からの電話で、この夜も地元のワインBARなる店にお付き合い。だが飲むきがしない、ワイン一杯とハイボール2杯で打ち止めた。H氏の話は聴き置くだけとした。
そんな週末を過ごしたので、郷里では人にも会わず、亡父の墓の件や母の年金のことなどで静かに過ごした。昨日は、アオサギに半分も金魚を取られた池の掃除、すっかりと色付き取り入れ時期を迎えていた美味くもない「土佐文旦」の収穫であった。
文旦の取り入れには従兄妹達四人が手伝いに来たので、たった三本の樹の収穫はあっという間に済んだ。一人でやると暇が要るのだが手が多いと早い、早い!
収穫中 こんなケースに7・8箱収穫
今年の果実は、昨年より粒が小さい。と、いうのが皆の意見である、そう云われればそう感じる。これは他所の物を含めてのことだが・・・。二月ほど寝かせると、香りと旨味が出てくるが保管方法がよくないので20%は腐らせ、更に20%は食べないで捨てる運命。美味しい代物なら友人や知人にお裾分けするが・・・これじゃな。残念!
下の写真の畑は、収穫した樹とは畑が違う。四年前に植えた幼木が少し背が伸び、少しだけ実を付けている。ここには、柚子・文旦・小夏・八朔・甘夏・ポンカンなどの樹があるが本格的に収穫できるのは二~三年後。しかし不味いのが採れ始めると処分に困るな~。
手前が甘夏・左奥小夏 甘夏(収穫時期?)
13日夜から今朝まで母の食事を作ったが、すっかり食が細くなったので殆ど食べない。その癖何かと注文だけは多い、作り甲斐もないのだが老人の寝言よと聴き流し、大半を私が食すこととなる。スムージーな日々もこれではオジャン、帰京する今朝だけは、自分用のスムージーを作った。
食材は、サラダ菜・イチゴ・トマト・トマト・ポンカンにキューイが加わった。畑で試し取りした、未だ酸っぱい八朔も少々加える。姿を見せた従姉と母にも一杯づつふるまったが・・・美味そうな顔はしなかった。
四日ぶりの人形町の街角には、大雪だったと云う名残りの雪が未だ街の角々に残っていた・・・。そして嬉しいことに、病気で休んでいたO君が復帰していた。嬉しい限りである。更に、昨日から「ICT教育ニュース」と名づけた弊社のニュースサイトがスタート。今夜はそのお祝いか?