5/29(木) 昨日の午後便で高知から帰京。土曜日、佐賀市での地球市民の会・総会と講演会に出席。夜の懇親会にも参加して佐賀の夜は更ける。二次会は何時もの「寄ん処」である。最後は眠くなって店を後にした。女将からお土産にと酒を頂いたので、酒好きだった亡父の霊前に供えた。
地球市民の会・総会に引き続き記念イベントの講演がある。今年はあの「くまモン」の育ての親ともいうべき、くまもとブランド推進課長NARUO氏による「くまモン誕生秘話」であった。NARUO氏は会のメンバーでもあり、以前から知っている。が、今回はあの「くまモン」まで登場した。
講演が終わり、感じたのは「くまモン」は成長したと云うことである。人気とともに成長、成長するからこそ人気が広がる。「成長ってどう云うこと?」かって。そんなことは勝手に想像してよ!私自身はゆるキャラとか、B級グルメとかに関心は薄いし、そういう時流がそもそも嫌いなんだ・・・ヒネクレものめ。
帰京した昨夜、地球市民の会・副会長のYAMAGUCHI氏が熊本から上京。『ここらで一番人気があって高級じゃない店に案内する』と、人形町「ちょっぷく」で一献交わした。繰り言かもしれんが、一言忠告したのは、昨年5月に募金が終わりミャンマーの学校建設(カンカウン準中学校)が始まっていた。その後の状況、情報・報告がなかったことについてである。
学校は今年3月5日に落成式が行われていたことを、佐賀で知った。『例えば、今飲んでいるこの店にも募金箱を置かせて貰った。色んな方の協力を頂いたお金なんだよ。その方々への報告や御礼を申し上げなくちゃ。僕らはそれが済んで、はじめて終わる。そして次のプログラムへとスタートできる』と。
そんなことが、けじめが付いてこそ、NPO活動の支持や支援は継続さるはずだ。私が推進しようとしている、故・古賀武夫会長の物語の果たす意義と必要性についても改めて話をした。漸く腑に落ちたようだ。が、私からすれば何を今更と云う気分であった。「出版を実行すると理事会で決まった」と、事務局長から昨年末に聞いたが、いったい理事会でどんな議論をしたのかと・・・。
-水神-
話を戻すが、日曜日は福岡から高知行きの飛行機に搭乗した。福岡空港で時間があったので、空港内の小さな本屋の棚で庫本を物色した。神の啓示か「水神」(帚木蓬生著・新潮文庫)と云う本に出会うことができた。。昨年の9月に訪れた、筑後川・山田堰の堰堤と水路を発案し、身命を賭けて造成工事に携わった五人の庄屋と水不足に喘ぐ農民の悲惨さ、不撓不屈の人間の姿を描いた物語であった。
昨年、山田堰を訪れたのは、旱魃で農地を離れて難民となる農民を救うため、アフガンの地で大河から水路を開き農業の再生に奮闘する「ペシャワール会・現地代表 中村 哲」さんが、筑後川の山田堰の工法も参考にした、とのことによる。中村医師の取材前、どんなものかと見学した。
この折に、五人の庄屋の偉業を讃える記念碑を目にしていた。その時のことが思い出されて、この上下巻の文庫本を手にした。
帚木氏の本は、「三たびの海峡」と「国銅」の二冊しか読んでいないが、何れも感銘を受けた覚えがある。迷わずに、この「水神」を購入した。もっと早くに知り読んでいれば、あの筑後川の畔に立ち堰堤や水路を見た時の感慨もひとしおであったろうし、中村 哲氏と五人の庄屋の思ひを更に噛みしめることができたろうに。
-高知-
月曜日は朝から強い風雨の為に仕事にならず。叔父が来て「アジサイを見に行こう。前に兄貴(父のこと)と行ったが綺麗だったぞ」との誘い。幾らなんでも早いだろうし、この風雨ではと思ったが、一人暮らしの叔父の誘い故、付き合って一時間の道のりを車を走らせた。
案の定、青く小さいアジサイの硬い蕾が土手沿いにつづき、車の一台も人ひとりの姿もなしだった。風雨ますます強し。まあ久々の叔父とのドライブ、会話かと思えば、それも由。帰宅してから、早々に叔父や従姉たちとビール。土佐沖で獲れたと云う初カツオが肴であった。
翌、火曜日には雨も上がった。畑に出てミカン畑の草刈と日曜に買ってきた野菜の苗を植える。畑に置いた「ミツバチの巣」に蜂が入った。正確には、HIROKATUが分蜂した蜂を捕まえて入れた。巣箱に蜂が出入りするのが嬉しい限りだ。先月播いた大豆も発芽し、10㎝程に伸びていた。夕方には青梅を5Kgほど採って畑から引き上げた。
蜜柑の花は盛りを過ぎ、花の終わった枝先には米粒や豆粒ほどの実を付けている。今年の秋には相当な収穫が期待できそうだが・・・味が問題だが。
焚火をしながら草を刈り、ちっちゃな実を付けた柿やイクリ、ミカンの木々を見てのんびりと、ゆったりとした時間を過ごす。後は晩飯を作り、ビールを飲む。なんと、贅沢な時を過ごすことか・・・・。
晩白柚の花 柚の花 八朔の花 小夏の花
畑での最後は、青梅を採った。少しだけ5~6 ㎏ぐらいか。半分ほど従姉に分けてやり残りは自宅で漬ける予定。残っている木から、未だ20~30㎏は採れるだろう。
前日の雨で川の水量も増えている。小さな川ながら水は滔々と流れ、蒼い。この川の鮎漁は、6月1日から始まるそうだが魚影が薄いとか。然し、来月の帰郷では鮎を口にできるだろう。そういやぁ、帰省した夜に肉厚の鰻を喰った。HIROKATUが前日、初のはえ縄を仕掛けたのに三匹掛かったとのこと。今年は出だしからツイテいるようだ。