オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

或る引退・・・

2017-07-03 | Weblog

― 徒然なるままに・・・ ―

引退という言葉がある。例えば、角界や野球等のスポーツ界、囲碁・将棋のプロの世界と、勝負世界のプロならではの社会に引退という二文字がいちばん馴染むように思えるが・・・。

翻り、我がサラリーマンの社会においてはどうであろうか。退職・退任・辞職に辞任とは云うが、引退という言葉はあまり馴染まないような気がする。

例えば、ラーメン屋のオヤジが仕事を辞める時は、引退より「隠居」「廃業」あたりの言葉がよさそうに思う。

と云うことで、広辞苑(四版1991年ーかなり古いが)を引いてみると ― 官職・地位から退くこと。また、現役から退くこと。 政界を―引退する の例が― 広辞苑によると、地位から退くことはすべて引退でいいということだ。じゃあ地位とは何ぞや?くらい、身分。立場とあるが・・・。

現役から退くこと、すなわち引退ということでよければ、まあ~なんでも引退という言葉で括って良いわけだ・・・・。何故、引退なんていう言葉をだしたか?自分のことじゃないよ。若し、自分が退く時の言葉が必要なら、引退じゃなくて「挫折=退場」だよ。

じつは、この一年ほど?、休日の遊びとして時折に出掛ける平和島のボートレース場。毎週レースがある分けじゃないので、多くても月に三~四回と云うとこかな。ここに予想屋と呼ばれる、レース予想を生業としているオヤジ達が居る。時折、その予想屋から予想を書いた百円の紙切れを買ってみることがある。

その中の一人、一番の端っこにいるオヤジの処には、ほとんど客が行かない。客が行かないので、その前だけはガラ空。オヤジの方も、予想の番号を掲示してないし、レース展開を口にしない。時折「穴」と書いた掲示が出ていることはあるが、やる気があるのか、予想の的中率がよくないか?であろう。稀にしか当らねえから客が寄りつかないに決まってるが?

それでも、そのオヤジから予想を買ってみることにしたのが、数か月前のことだ。なにしろ暇そうだし、オヤジの前はがら空き、どうせ一枚百円だから。当るも当らぬも八卦八卦のハッケヨイだ。余りにも客が寄らないので、気の毒に思ったというべきか・・・。

僕がボートレース場に行くのは、大概、日曜日の昼ごろ。奈加野のオヤジの車に同乗し、昼過ぎに着くことが多い。その時間帯であると、レースは五レースから六レースが始まる頃だ。秋・冬の場合だが。一日、十二レースあるので、多いと七レースぐらいやることになるが、大概は五・六レースを遊ぶ程度。負けが込んでくると、手持ち不如意になるんで・・・・、レース数は少ない方が無難?

レースから次のレースまで、三十分ぐらいのインターバルがある。この間に、レースの予想をし、舟券を買うことになる。僕の場合は、自分の予想をマークシートに記入してから、予想屋のオヤジの処へ行く。『さあ、次だ』と、百円玉を台の上に載せ、紙切れを貰う。のだが、その時に、そのオヤジは「どうもどうも、スミマセン」と言いながら渡すのが常。

スミマセン、と云うのは前のレース予想が当たらなかったことへのスミマセンだ。と、その当らない予想を買ってくれて、どうもスミマセンね! だ。昔の芸人で、どうーもスミマセンっていうのが売りの三平っていう落語家、それに近いようなニュアンスかな。

 てなことで、このオヤジさんから都合数十回、予想を買ったことになるか。と云うことは、お馴染みさんだ。ゴールデンウィークの最中、何時のようにオヤジの前に行き、予想を買った。と、オヤジさんが「今月の26日で引退することにしました。お世話になりました。」と言う。

『どうしたのよ』と訊くと、「二十歳から、四十八年やってきましたから。、目がだんだん見えなくなり白内障の手術をするんですよ」「もう六十八ですよ、昭和二十四年生まれですから」とつづけた。予想屋が目が見えなくちゃ商売にならんな・・・。

何をいってんのよ、まだまだじゃないの『俺より若いぜ』と返した後に『辞めたらなにをするの?』と訊くと。「アルバイトでもしょうと思ってるんですよ」とのこと。『それやぁ残念だよね。よかったら飯でも食べない?』と誘うと、ありがとうございますと頷いた・・・。携帯番号を聞き、名刺を貰った。

これまで、オヤジさんの予想で当ったことは一度だけ。それも、僕が予想してたのと同じ組み合わせだった。そのレースで四万円ほど取ったか。気持ちばかりのご祝儀を置いたことがある。

そのオヤジさんを飯に誘ったのは、四十八年と云う予想屋人生について聴きたかった。また、予想屋なるものの日々、予想とは何か。紆余曲折の人生であろうが、その一つ一つの被だに刻まれたものに興味を持った。また、日頃から妙に折り目正しい受け答えにも、その人の生き方が現れていると思ったから。

その日、最終レースの予想を買った。その時、「いや~さっきのお話ですが、申し訳ありませんが、手術やなにやかやで忙しくなりますので辞退させて下さい」と云う。

『そりゃあ、残念ですね。都合がよくなったら電話をください。話が聴けると嬉しいから』と、伝えた。その日から三度、平和島に行っている。その度にオヤジから予想を買うが、当らない。意地で、レースごとに予想を買いつづけた。当った時の、オヤジの顔を見たくて・・・・。

それでも、外れつづけた。5月の半ば、会社のYOSHIOと酒場巡りのメンバー、チーちゃんとで平和島に出掛けた。その日もオヤジの予想したボートは全部買った。全部外れた。が、自分の予想した舟券が偶然にも当った。これまでの最高だった。オヤジに、祝儀だと万札を一枚渡したら「いいんですか?」と、驚いた顔をした。

                               

こんな偶然、出会い頭のホームランと云うことである。これで、それまでの連敗した分を取戻してお釣りがきた。一緒に居た二人にも、祝儀を渡せた。でも、オヤジの予想で取りたかったよ。帰りしな『オヤジさんの最後の日には必ず来るよ』といって、平和島を後にした。

5月26日、この日は平日だ。平日なれど、オヤジの最後の日だ。見送らなきゃ・・・、消えてゆく予想屋の最後を。この日の予定を入れないでいたが、塩梅悪く、午後一番で客先での打ち合わせが入ってしまった。取り敢えず、打ち合わせを手早く済ませてから平和島に向かうことにした。こんな時に限って、ダラダラの打ち合わせだ・・・・。

漸く平和島に着くと、レースは八レースが始まる処であった。オヤジに『どうですか?』と訊く。「この前のレース、当りましたよ」と、嬉しそうに応えた。そりゃ良かった。と次のレースの予想を貰った。当然、オヤジの予想を中心に舟券を買う。最後に当てて、笑って送りたいのだ。

その日の、僕が買う最初のレースは・・・、これが当った。オヤジの予想したとおりの艇が1・2・3着で入ったのだ。配当は、7540円/百円也。オヤジの引退の花道で、最後に取れたのが嬉しかった。七万五千四百円、当然オヤジに大一枚を祝儀で渡した。当ってからの祝儀と、当らないのに貰うじゃ気分が違うだろう。

僕も、最後に行けてよかった。約束を果たせてよかった。取れてよかった。

『調子がよくなったら、電話頂戴よ。飯でも食べましょうよ』と、言って別れた。この日、四十八年に渡ってボートレース場で暮らしを立ててきた予想屋が引退した。その最後の日を見届けることができた。いつか、会える日は来るだろうか・・・・。

 

予想屋の成り立ち、仕組みについて何時か書いてみたい。そんな気がしたのだ。ボートレース場に立つ、一人の予想屋の引退が、そんな気を起こさせたのであった。

ボートレースが始まった頃からの権利?生存権?営業権?で、現在まで予想屋は営業を認めてもらっているそうだ。一代限りで。何れその姿は消えていくのであろう。今いる、最後の予想屋の引退とともに・・・・。

その前に、僕の方がボートレースで遊ぶことを止めているだろうが・・・・・。

 

 

 

 

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優雅なる週末?

2017-07-03 | Weblog

7/3(月) 週末の土日、久々に舟遊びに興じた。先ずは土曜日の午後、平和島で五戦ほどボートレース遊びに興じてから会社に顔を出した。YOSHIOが一人でデザイン作業に勤しんでいた。YOSHIOの出勤予定を聞いての上で会社に出た次第だが、彼は生まれたての「メダカ」を、半裁したペットボトルに入れて持参していた。

                            

このメダカをベランダに置いたバケツで飼うと云うのだ。が、それは思いとどまらせた。陽当たりカンカンのベランダでは水温が上り過ぎてお湯になっちまうよと。金魚鉢でも買ってきて室内で飼うしかないか・・・。

日暮れになって「ちょっぷく」に顔を出した。土曜日の夕に行くのは久しい。何時もの助っ人隊が、ランチ仕舞いの小鉢や、焼き肉&もんじゃ焼きで酒盛りをし、カラオケを始めていた。マイクを持った足元を見ると・・・、なんと足踏みマシンを置き、それを踏みながら演歌を唄っている。道理で、テンポが合ってないわけだ。

退院後のYAMAちゃん店長の健康を気遣ってこんなマシンを入れたそうだが・・・・。オイラもその洗礼を受け、足踏みをしながらマイクを持ったが、どうにもいけない。このマシンが結構に重いので、テンポがずれっちまうのだ。運動になることは間違いない、されど草臥れちまったぜ

                          

飲み唄いマシンを踏み、そんなことの繰り返し。遅くまでやっていた、紋別のばんえい競馬と、高知競馬の最終レースに、七人で馬券を買った外れ!九頭立てを七人が別々の番号を買って当らないとは・・・・。ヘタだね~、俺のボートレースみたいなもんだ。

22時30分を迎え、お開きになった。ただ酒飲んで、摘みを喰って、歌まで唄って遊ばしてもらうとは・・・・。いやはや、申し訳ない限りだ 

 

そして日曜日、昼前に次女が子供を連れて遊びき来た。間もなく二歳を迎える子供の頭をひと撫でし、出掛けた。出掛ける先は、最終日を迎えた平和島だ。暑くなりそうなので、水辺で遊ぼうと云う算段さ・・・。

申し遅れたが、土・日の朝は自分用の朝食を必ず作る。今日はビールを飲むのは止そう、と何時も思いながら・・・。だが、テーブルに菜が並び始めると冷蔵庫の缶ビールに手が出る。作るものが摘みに、それもビールに合うものが多いんだ・・・・。濃いめの味付けが並ぶと云うことか。外で飲むときは、殆ど摘みを口にしないのに。

金曜日は遅くまで飲むことが多い。翌朝、目覚めても体は目覚めてないながら、朝飯の準備を始める。と、飯&ビールのモードにスイッチが入るようだ。悪循環の繰り返しながら、何十年もこんな暮らしをしていると、家人も家族も馴れちゃうらしい。文句の一つも出ればいいものを、何にも出ないのだ。教育の効果と云うやつは計りしれないねぇ~。

水辺の遊びにお話を戻そう・・・。この日、お迎えを頂くはずの奈加野のオヤジは、ゴルフがあると水辺ならぬ里山での遊びへ。それながら「おい、全レースBOXで買ってくれよ」「1-3-5がいいか、1-4-6にするか。どっちがいいかな?」と訊く。『1-4-6が確立が高いんjじゃないかな』と応え、1-4-6のBOX(というのは、この数字ならどんな組み合わせでもOK)を、1レース200円(200円×600円=1200円)買うことを頼まれた。

平和島に行く日曜日は、何時も車で送り迎えをして貰ってる。これしきの頼まれごとは、心よく(?)引き受けるしかない。だろう・・・ネ。

そんなこともあり、この日は、第一レースから参戦となった。吉とでるか凶(狂)と出るか?神のみぞ知る。否、全ては運頼みだ

ボートピア平和島に入ると、先ずはトイレを使うようにしている。前行の最後に記したように、運・ウン・うんですよ。ウンが付いちゃ拙いが、来るように・・・。切実と云うか涙ぐましいこの努力!努力をすれば報われる、と、ひたすら信じて!  そんな訳、なっかろうに・・・・。

と云うことで、六レースまで遊んだ処で、漸くオヤジから頼まれていた買い目がヒットした。この前のレースまでは、面倒なので自分も同じ目を買っていたのに・・・。このレースだけは小銭が足りなくてオヤジの分だけを買ったのだ。なんと云う無常か・・・・。配当は4000円、×二枚で8千円をオヤジはゲット。これまでの出資を相殺すると800円のプラスになった。

                         

                     これぐらいの金額投資なら可愛いね

この時点で暑さと真剣な検討で、すっかり草臥れていた。オヤジに「草臥れたので帰る。オヤジは800円の勝ち。俺はチャラ」と、メールしたのであった。

本当に草臥れてしまった。それまでオヤジと同じ目を買っていたのに、このレースだけ買わないと来るとは。人生の悲劇と無常をたっぷりと味わったのである。

 帰るつもりでいた。が、最後にもうひとレースと気力を絞った。フン切りが悪い男である・・・・。処が、七レース目が来た!。神は、運は、哀れな子羊を見放さず! じやぁネェよ、根性と深い読みだな!。

これで帰ろうとしたが、勝ち逃げはイカンザキと、もう一レースだけ買うことにした。処が、これをまたしてもゲットと、云う運(これはウンだな)に恵まれてしまったのでありんす。

と云うことで、なんとなく上手い具合に治まったボート遊になった。五時過ぎに学芸大学に戻り、都議会選挙の投票に行った。小池知事の一派の勝利は間違いなかろうと思いながら・・・・。

でもさ、議員さんと云うのはプロだよね。そのプロ集団と云うべき候補者がねぇ~・・・・、世間も、酸いも甘いも分らぬような面々の、何という多さよ 

風向きやムード、敵失だけで勝ってもネ…、これからと次回が心配になるよ。と思うのは、私だけかな?。せめて、小泉&安倍&鳩山チルドレンの二の舞、三の舞いにならぬことを願うばかり。

そんなことを思いながら、投票所を後にして買い物に向かった。家人は仕事なので、今夕の飯を作ろうとばかりに。肉を焼き、飯は「タイカレー」と云うことにと、メニューを浮かべながら。今週末にある会社のランチ会では、タイカレーを作る予定でいる。その予行演習とも云えるか。

このカレーを晩飯でたっぷりと頂いた。作り過ぎの誹りは拭えないが、親の敵、ボートレースの仇討と言わんばかりに喰っちまった 

満腹、満杯の腹を撫でながら、部屋に戻ったが動けない。そのまま寝てしまった・・・・。

その報いか?夜中の三時過ぎに目覚めた。それから眠れず、眠らずか・・・・・。

 

六時過ぎに台所に入り弁当の準備に着手。今日は「焼き肉」がメイン。煮物は「蒟蒻&筍・人参・インゲン煮」、焼き物は省略し、茄子&ピーマンの味噌炒め、厚焼き玉子、以上にした。

                            

これ以上作っても弁当箱に収まらないのだ・・・。味付けは御想像にお任せ、特段に変った調理方法はしないので、オーソドックスな味付けである。

                     

                            ご飯の上は、コンブ佃煮

 

 

 

 

 

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