7/25(火) 昨晩は久々に友人のHOSOKAWAに会い「ローカーボ」「ちょっぷく」と廻った。HOSOがどうしているかと気になり、夕方に電話を入れた。すると、お茶の水で打ち合わせが終わったところだった。
『久しぶりだ、人形町に出てこいよ』と誘うと、意志薄弱のHOSOは「そうしようか」と応えた。意志薄弱というのは、当人の弁なので・・・。で、ローカーボで合流することになった次第。七時半頃にローカーボに入ると、IMAE君が一人で飲んでいる。HOSOが来るまでの間、セイジュ会や料理教室の話で二人で盛り上がった。
弄られキャラだと自認し、それを面白がって盛り上がると云う、捨てがたい若者なので、仲間から喜ばれる。IMAEとは、そう云う男らしい・・・。
暫くしてHOSOが到着。「ここんとこ、特番の企画でばたばたしてたんだ」と、TV屋らしい話につづき「最近は三杯飲むと酔うんだ」といいながら、ハイボール美味そうに啜った。酔いが早いのは何処も同じさと、応える。
今時、元気に夜中まで飲み歩くのは、隣の若者さと、IMAE君を紹介する。で、三人で盛り上がった処に、HOYA兄いが登場した。以心伝心と云うか、止まり木が決まっていると云うべきか・・・。
HOYA兄いから釣銭の五百円玉を貰い、お返しにハイボールを奢る。それだけならオイラは百円の儲けだが、そうはイカンザキさ。皆の協力で、とうとう貯金BOXが満杯になった。それを無理やりに押し込んでいるが、もう無理だな。オイラの目論見じゃ、目標だった百万円に達しているはず。30万のBOXが三個、10万が一個、満杯なのだから。五百円玉の数なら二千枚、重さで14kgに達する。
500円預金のスタートは、一昨年の11月17日だったか。3~4年を要するかと思っていたが、諸方のご協力と意地汚くキープしてきた成果で、二年足らずで達成とは見上げた根性?。と、言いたいが、あにはからん。預金通帳の方がガタ減りだ。これって、バランスが取れてるというのかな?
酒場の話しに戻すと、HOSOは富山の雨を心配してた。無人になってる実家を心配してもしょうがなかろうに・・・・。「集中豪雨になると困るな」なんて言いながら、実家をどう始末するかと悩む。また、その一方で「死ぬときは富山がいい」と、論理が定まらぬ。彼の家族は、豪雨被害があった奥さん方の在所、福岡・久留米市に住んでいる。
今朝、風呂を浴びながらHOSOのことが浮かんだ。前夜のことがあった所為であろうが、やつの結婚式で初めて富山駅に降り立った時のシーン。雲が重く垂れ込め、暗い街を圧していた。暗く重たくわびしい街だ。それが第一印象だった。こんな土地に育ったたんじゃ、HOSOのようなイジイジしたのが育つんか?。そんなイメージを持ったもんだ。
あれから、富山に行く機会は何度もあった。初めて駅頭に立った時のイメージとは大違いに、富山はいいところだった。美味い食い物、豊かな自然と人情。立山連峰を望む風光の明媚さ。かといって、HOSOのようにそこで死にたいとまでは思わぬが・・・。彼からそんな言葉が出たのは、先週だかに高校の同級会があり帰ったそうだ。二十数名が故人になっていたとのこと。そんな話を聞いて、身近な問題と思ったのだろう。
HOSOも、山の中の俺の実家に一度来ている。田舎でやった結婚式の折に。一週間後の、東京での披露宴ではHOSOが司会をやってくれた。大学一年生、同じ下宿で出会って以来、俺たちの腐れ縁はつづいている。
学芸大学駅に着いたのは23時半頃であったろうか。目の前の東急ストアで弁当用の菜を少し仕込んでから帰宅。酔っ払っても弁当は忘れない、この律儀は、どっこから来てるのかな?安い輸入肉を三種、買っただけだが。
昨晩から後頭部が重い、痺れる。ローカーボのカウンターに居たときからだ。酔っ払って忘れていたが、今朝になって更に重くなっている。家人に云うと、「熱中症じゃない、水飲みなさい」の下知だ。が、この俺が熱中症になるはずがない!。と、知りつつも水を飲んだ。
余談だが。家人に「延命処置だけはするなよ」と、言うつもりが、言い忘れた。延命処置と、葬式は不要。墓も要らないが、田舎にはある、これが問題さ。
で、弁当の話をしよう。
今朝は、オージービーフの「ロールステーキ」と言う、安肉だ。これを焼くだけじゃ面白くない。ピーマン&パプリカも一緒に焼く。それに「温サラダ」で、ポテト・人参・タマネギ・卵を茹で、オリーブオイルと塩胡椒で味を調えた。最後に「ふんわり卵焼」でお仕舞。