オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

青空・・・一点の曇りなく

2011-01-18 | Weblog

1/18(火) 今朝の出勤途上、空を見上げると真っ青。何処をみても雲一つなく、清澄な空気の中、高く青空が広がっている。

日々の暮らしの中、一点の曇りなき透明さがあることはひと時としてない身にとって、この蒼さと透明は沁みる。心地よく沁みた。そんな思いを抱いて会社に入り、また日々がスタートする。

先週、金曜日から日曜にかけて寒い処にいた。どれくらいかと云うと零下10℃位だからたいしたことはないか。風が冷たかった、川面が凍っていた。ここでのことは追々に記す。(下の写真)

そんな次第で、弁当もBLOGも挙げなかった。己の行として物足りない・・・。

取敢えず、今日の弁当を紹介する。

 「鶏肉と根菜煮」

今朝は寝床の中でメニューを考えた。目覚めたのは5時半ぐらいか、冷蔵庫の中のものを想定しながら暫く考えて、大好きなオムライスが善いかと想いが至った。

台所に立ち、電気釜の中をみるとご飯が少ししかない。新しく炊くホカホカご飯をチキンライスにするのも気が引けた。急遽、鶏肉と根菜(大根・人参・蒟蒻・筍)の煮物に変更となった。

煮物は汁ッ気が少ない煮付け風に仕上げる。他には、豚バラ肉があったので、これにシメジ・ピーマン・ネギをオリーブオイルで炒める。更に、一枚残っていた、Kが大好物の鰹のハランボ焼きと小松菜茹とスナップエンドウを茹でが今日の弁当となった。

                   

何時もどおりの三人前の弁当が完成した。自分のご飯を気持ち少なめにするであった・・・。

 

 昨日の弁当と「あり散歩」は、後ほど公開予定。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬も歩けば・・・

2011-01-13 | Weblog

1/13(木) 今年から「あり散歩」と称して会社の行き返りや、クライアント訪問の行き返りに歩くことを日課としている。何時まで続くのか分からんが取敢えずやれるところまで続けよう・・・。

昨日、渋谷の某社を訪問した。この会社のW副社長と話をしていると、彼は毎朝新宿から渋谷まで一時間弱の道のりを歩いているとのこと。見習わなくていかんな~と感じいった。

この後、目黒にある会社を訪ねる予定。時間に余裕があったので歩くことにした。暫く行くうちに近くに事務所を構えているTさんのことを思い出して電話を入れた。空いていると云うので立ち寄ることとした。

 Tさん或はT大師

Tさんにお会いするのも久し振りであった。ご無沙汰を詫びて、最近の様子などを聞く。

「飯が喰えへんのや、食べると腹が痛とうなるんや」それで、粥など食して暫く事務所の簡易ベットで休むそうな。よくよく訊くと、毎朝5時半に事務所に出るとか、そして朝食を摂ると云う。

Tさんとは17年程前か、仕事を通じて知り合うこととなった。当時、Tさんは或る会社に所属して映像プロデューサの仕事をしていた。私の立場は発注者である。

CMの案件で試写が行われた。その後、休憩室で二人になった時、Tさんから一言があった。
 「何でありがとうと言わへんのや」一生懸命やったんや、と云う言葉もあったかもしれない。

そんな言葉を聞くのは始めてであった。が、そうか、この人はそう云う人なんだと理解した。それ以来、Tさんとマジに向き合って話をするようになった。面白い人であるし、熱い人・凄い人でも或る。筋をとうす、真っ向勝負の人、そして何より勉強家である。

その後、Tさんは自分の事務所を持った。

これだけ物事に正面から向き合って生きている人を知らない。多分子供の頃からそうだったに違いないが、それに輪をかける生き方を歩んだ。元々学者であるが、或る事件を契機に十年に及ぶ潜行生活を余儀なくされている。その間、色々な人の情を受けている。社会では底辺と云われる世界で生きている人たちのこと、その中にある心情が染み込んでいるであろう。

何年か前にTさんの著書「泪橋」(タイトルはちょっと違うかもしれない)を頂いたことがる。泪橋は山谷に掛る橋の名、この本を読みTさんの潜行生活を垣間見るようであった。

何の縁もない、茶パッの中・高生に駅のホームでマジに向き合って「それはいかんよ」と話をする人はザラにはいない。Tさんはそんなこともできる人、心底から心配しているのだ。

そのTさんに久し振りにお会いして体調のことを訊くと、冒頭のような応えである。
じゃあ酒の方も駄目ですか?「何を言ってるの、毎晩焼酎をやってるよ。酒が飲めなくなれば人間お終いやで」と元気な応え。「酒はそのまま、す~っと腹に収まるからいいんや」と続いた。

数年前に胃を全摘している、その所為で食事が間々ならぬようだ。
アルコールはカロリーがあるから、食事が少々摂れなくて大丈夫ですよ、と私は応えた。

元気そうで何よりであったが、仕事のほうはガタ減りとか。今、映像の仕事は本当に少ない。少ない上に予算はギリギリ、厳しい時代となっている。何処も同じですねと、笑うしかない。

あれやこれや話しているうちに次の約束の時間が迫り、大急ぎで辞去した。歩く予定が電車に駆け込んで行く破目となった。

歩いていると色んな人の顔を浮ぶ、いろんなことを考える。歩くに優、良薬なしと云うことか。

明日から日曜日まで東京を離れる。弁当もお休み、散歩も多分休むことになろう・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶏唐揚

2011-01-13 | Weblog

1/13(木) 今日の弁当は鶏の唐揚と寒ブリの照り焼き風、ポテト&ゆで卵のサラダ。昨日暗い中をクライアント先の目黒からから恵比寿へと歩きながら決めたメニューである。

唐揚のついでに、人参・安納芋とスナッピを少しばかり素揚げした。鶏肉は常道の下味をつけて片栗粉をまぶして揚げる。寒ブリは、和風照り焼きではなくオリーブオイルを使った。問題はサラダであるが、胡瓜・タマネギが多くて水っぽくなってしまった。ジャガイモの水切りも良くなかった。

                   

K君と私のご飯の上には、醤油を垂らした縮緬ジャコがたっぷりと載った。K君好みは間違いなし。

                        

私の弁当は、依然として小さいものを使っている。卵焼きも作りかったが、弁当に収まらんので断念した。弁当つくりは朝の遊びの時間なのでもっと遊びたい処だが・・・。

  散歩しながら・・・

あり散歩は、出先へ向かう途中、出先から戻るすがらに歩くことが中心。そうすると昔に馴染んだ町や、店の前を通ることが間々ある。と、あの頃あの時が甦って、懐かしむこと、反省することが過ったりする。

先日、目黒から六本木駅まで歩いた時のこと。

旧テレ朝通りから六本木通りに出る手前に大店の中華店がビルの2階にある。現、地球市民の会・会長、Sさんからの声掛かりで、店がオープンして間もない頃に何度か行った。

ここで何人かの人を紹介されているが、その中には思い掛けない人物もいた。

随分古いことだが、三越デパートに関わる女帝事件というのがあった。当時の三越社長と、もう一方の主人公となる”竹久みち”さんである。

事件からは随分と経ち、刑期も終えられていたが、その、竹久みちさんを紹介されて一緒に食事をしたことを思い出した。竹久さんは、新聞や雑誌で大叩きされた頃の面影はなく、上品で小柄な老婦人であった。控え目に、美しく話をされた印象が残っている。その”みち”さんが亡くなったニュースを耳にしたのは一昨年となったか・・・。

そして六本木駅へと至った。今やヒルズ族などと云う言葉も古いくらいだが、更に古~い話。
神谷町寄りの改札から日東ビルにでると、このビルの真裏、熊本会館の真ん前になるか。ここにピアノ・バー「禅」が、かつてあった。

半地下の赤レンガの階段を下りて、ガラスのドアを押すと馬蹄型に広がる店内。奥の真中あたりに壁に向かってグランドピアノ、その上には何時も白百合が大きな花瓶一杯に活けられていた。
オーナーは東郷好彦・葉子夫妻。葉子さんの芸名は「橋本葉子」、この人のピアノとタンゴに惹かれて出入りを始めた。きしくも私と同じ生年月日である。

この店のスタッフは、皆ミュージシャンかその卵。オーナーの東郷さんが厳しくて、歌い手が遊びに来ても下手なプロは唄わして貰えない。そんな店だった。

この店でピアノ・ギターを弾き、唄っていた和西さん、福家ちゃん、サンダーホームズ出身のジョージ、ダーナそんな人たちを思い出し、禅のあった場所を覗く。入り口だけは昔と同じ佇まいで残っていた。

この後直ぐであったか、山下敬二郎さん逝去のニュースが流れた。喪主に妻・直子とあった。直子さんは、に暫く勤めたことがる。体格のいい美人で、唄はまだ勉強中というところだったか。人気物だったが、あるとき敬二郎さんが遊びに来た。あっと云う間に直子を攫って行った。
年齢は倍も違うはず、東郷さんが「直は父を早く亡くしたので、オヤジのようなやさしさに惹かれたのかな」と言ったのを思い出した。

あれから20年以上が経つ。長く連れ添い、一緒にステージに立っていたと云うことを耳にすると、他人事ながら良かったなと思う。

そして、「禅」はその後、乃木坂通りから一ッ木通りへと店が移り、今、葉子さんが一人で店の切り盛りをしている。 東郷さんが亡くなって、早や三回忌が過ぎた。

 

 都内を歩いていると、思いでだけがよぎる。こんなこっちゃあ、長くねえな~。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベリコ豚と寒ブリ

2011-01-12 | Weblog

1/12(水) 昨日の弁当中味をアップしていなかったので一応公開する。とは云いながら、私は昼に友人のO社長が来てくれたのでランチを共にし、弁当は夜食となった。

昨日は「イベリコ豚」を赤ワインでソテー、そしてマイタケ・ピーマン炒めを添えた。これに鰹のハランボの焼き物とポテト・人参・ペンネの温サラダであった。赤ワインがドボドボと入ってしまったのだ・・・これを人は失敗と云うだろう。

                   

ご飯は、前夜の五目すしの残りを私とK君に。家人は炊き立ての白飯である。

 寒ブリ尽くし

そして、今朝は寒ブリがメインとなった。昨夜、郷里の先輩がやっている店「奈加野」から持ち帰った代物。日本海は舞鶴港に上がったブリとか。店主の話では、氷見のブリよりも脂がのっているとか・・・。

半身で5kgくらいの重さか、頭や中骨はない。これを昨夜帰宅後に、一部を漬けにして一晩置いた。粗の部分はブリ大根として煮る。後は、刺身か照り焼きで暫く食べることとなる。

ブリの漬け焼きとブリ大根が弁当の菜。これにシメジと小松菜+豚バラ肉を少々炒めた。今朝は白ワインを炒め物に振り掛ける・・・少しだけ!

                    

朝飯用にブリの脂がのった腹の部分を薄めに切り、漬け汁に放り込んだ。これを茶碗のご飯に載せ、生山葵をすり乗せて「ブリ丼」にして食した。甘みがり脂が乗ったブリはマグロの大トロのような味わいであった。もう一杯喰いたいところだが、ぐっと我慢をした。

奈加野のオヤジと一緒に、築地市場にはよく行くが、私は刺身は三切れも食べれば十分。生魚は食べない方であろう。これが焼き魚となると大好き、それに丼ものにすると生魚も結構に食す。

昨日、友人が来社した折にはソバ屋が満杯のため、開店したばかりの会社の目の前のすし屋入った。ここでは、マグロのカマ丼を食べた。酢飯も好きなようだ・・・。なかなか美味いすし屋だった。

  あり散歩

昨日の午後、Nグループの会社の社長を訪問した。浜松町から田町まで一駅分歩く。意外と時間を食い、面会予定時間を5分過ぎた。出迎えた秘書に「歩いて来たら、意外と時間をくってしまい・・・」などと、わけの分からんいい訳をしていた。

ここで15分の予定が一時間近くも話し込む。何時ものことではあるが・・・。なかなか面白い話を聞かせてくれるのでついつい長居となる。

帰りは田町から、大門へと歩き、先週末に引っ越したばかりの某社へと向かった。知り合いが社長をしている会社を訪問した次第。ここでは明るい話は出ず仕舞い、15分ほどで失礼をし、ここから神谷町駅へと歩いて日比谷線で帰社した。

途中、芝公園の増上寺に参拝。母の快癒を願った。(後ろは東京タワー)

昨日は、三駅分、都合70分程歩いたこととなるか。(靴を考えなくてはいかんな~)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土佐風五目すし

2011-01-11 | Weblog

1/11(火) 昨夜は帰宅後に夕食を作る。朝の内から今夜は「五目すし」だと宣言をしてあった。それと、鮎の甘露煮が私の晩飯メニューであった。

駅前の東急ストアにて鯖の一夜干しを買って帰宅。早速に準備に取り掛かる。深川丼を食べ損ったこともあり腹が減っていたのだ。

お酢は勿論「てまいら酢」、安芸市の山里で従兄弟や叔母作っている逸品。それに新柚酢も少し加える。「てまいら酢」と云えば、料理家の神先生からの年賀状に「年末始に、てまいら酢が大活躍」とあった。嬉しい限り。

具は、椎茸・人参・蓮根・油揚げ・焼き鯖の純田舎風である。米五合を炊き、具を煮た。並行して鮎を素焼きにし、甘露煮の用意をする。五目のすしの方は順調に仕上がり、家人が炊いた煮物で先に食事を始めた。

食事途中で、そろそろ鮎が煮あがったろうと見ると、なんと焦げ付いていた。嗚呼~無情、一応食べれる程度なので子持ち鮎の甘露煮、焦げ付き仕上げを食す。ちょっと焦げ臭い・・・。

食事が終わる頃に、近所に越してきた長女夫妻が食事に来宅。これもおり込み済みでご飯は五合なのだ。

かくして、1月10日成人の日の土佐田舎尽くしの夕食が済んだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成人の日

2011-01-10 | Weblog

1/10(月:祝日) 今日は成人の日、私たちの頃は1月15日だったような気がするが、そんなことも遥かなこと、朧である。

祝日に国旗を掲げた家・ビルetcをとんと見かけなくなった。最近の風潮か、はたまた戦後教育の成果か、或は頻々と変化する祝日の所為か。私が子供の頃には玄簡先に国旗を掲げていたものだが・・・。勿論、我が家でもその習慣はなくなり、最近国旗を見かけないなあと云う始末。

私にとって成人を意識したのは、成人式よりもその一月ほど前に訪れた誕生日の方であった。ああ、早や二十歳、未だなり難く、これから何ものになって行くのかと我が身ながら不安であったことは確か。そして、今やこの体たらくである。  

今更、先に希望や夢を描ける歳ではないが、それでも何ものかにならねばならないとの想いだけは消えない。

若者よ、羽ばたけ。大いに道を拓けと云いたい。

さて、昨日は昼前に家をでて中目黒まで二駅歩いた。そして会社からの戻り、暗い中を昭和通り沿いに銀座まで歩く。このルートだとショートカットになるので駅の数に換算すると三駅ぐらいか。寒いのでぐんぐんと歩き、気がつけば銀座四丁目三越銀座店前であった。

少し、むきになっているような気もするが、歩けるうちに歩こうと云うセコイ心である。今年の目標としている730kmは、西に延ばすとどの辺りか?岡山か精々広島辺りか?
日本橋から鹿児島までが約1500km、大阪で550kmである・・・。

“閑話休題” 
日本橋が今の橋に架け替って100年になるとか。明治44年、木橋から石造りの今の橋となった。この三年後の大正3年に戯曲「日本橋」を泉鏡花が上梓、翌年、新派の舞台でこれが初演されたそうな。(私が好きなタウン誌 日本橋 からの受けうりだが)

戯曲 日本橋の舞台となるのは、日本橋の上流となる「一石橋」である。日本橋と一石橋の間にある橋が西河岸橋。先週、有楽町まで歩いた折に一石橋を歩いたが、それだけのこと。今度は、舞台に縁の西河岸地蔵寺を訪ねてみよう。

一石橋の名の由来、橋の南北に両後藤家(金座と呉服商)の屋敷があったことから、五斗と五斗を懸けて一石橋としたそうな。江戸の人はなかなか洒落ていたようだ。

こんなことを書いてみたが、私は新派の舞台を観たことはない。ましてや泉鏡花の戯曲を知る由もなし。(架橋100年を記念して、本店の三越劇場で1/25まで新派の公演がある)

しかし、タウン誌「日本橋」は中々愉しい、古老の話や地域のことが毎月盛沢山。日本橋のお店には置いてあるところがあるので一度手にされたら如何か。

今日は、これから新大橋を渡り森下町、芭蕉庵~永代橋~八丁掘のルートで帰宅予定。店が開いておれば、森下で「深川丼」などを久々に食すか・・・。

 あり散歩

新大橋を抜けて芭蕉庵、隅田川の向こう側を歩き永代橋から八丁掘駅と散歩をして帰宅のつもりで会社を出た。

何時もバーベキューで世話になる中央公園の川沿いは風が強く寒かった。ここから、新大橋を向こう側に渡り下流に行くと直ぐに芭蕉庵。芭蕉堂を見学して「深川めし」の店に向かった。

                

          バーベキュー場           芭蕉堂からの新大橋            芭蕉堂          

残念ながら深川めし(浅蜊めし)の「みやこ」は本日品切れの札が下がっていた。深川七福神巡りのグループが大勢立ち寄った様子。

また川沿いにでて、遊歩道を下る。冬の陽射しが西から目に刺さるよう注ぐが、風は依然として強く寒い。川上に目を転じると「東京スカイツリー」が、清州橋越しに見えた。

少し下ると隅田川大橋、そして永代橋となる。永代橋を渡りながら会社に忘れものをしたことを思い出した。(ほんまにボケや)
永代通りから茅場町に至り、新大橋通りを人形町に舞戻った。結局、一時間半足らずの川沿い散歩をして元に戻った次第。

口惜しいので、先ほどの写真をblogにアップして帰宅することとした。今日も、お疲れさん!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目黒七福神巡り

2011-01-09 | Weblog

1/9(日) 昨日の土曜日、閑にあかせて目黒七福神巡りなどをする。何しろ今年のテーマの一つが「あり散歩」である。その意味からも歩く・歩くの第一歩。

11時ごろに家を出て、目黒通りからJR目黒駅方面を目指した。「目黒七福神」は目黒駅を中心に東西に点在していた。自宅から一番遠いのが「毘沙門天が祀られている覚林寺と云う寺で、目黒通りの終点国道一号線と交わる清正公前であった。

先ずはここに参拝し、ここからから下ってくることとした。
途中、目黒川を渡る頃には汗を掻いてしまい川を眺めながら一息ついた。此処までで3km弱か。上流の高い建物は、最近建った中目黒駅傍の高層マンションである。目黒川にかかる桜樹も未だ冬の様相だが、後三月足らずで満開だ。

目黒通り、権ノ助坂を登り明治通りを越えると白金台となる。庭園公園・自然教育園の杜を左手に見ながら進む。と、先日目黒から六本木へと歩いた道「外苑西通り」がある。更に目黒通りを進むと右手に「瑞聖寺」(布袋尊)が見えた。途中だが、先ずはこの寺に参拝。

                   

禅宗の黄檗宗の寺とあり、本堂の奥に布袋尊が祀られていた。廻った中では、一番立派な佇まいの寺で、武家が信徒だったと云う趣を残している。

この寺から、国道一号線にでて遡った。行けども行けども着かぬ。ようよう覚林時にたどり着いたら一時間以上経過していた。どうやら此処までは4km以上ある、途中を曲ったので5kmは歩いたか。

天気のいい土曜の昼という事で、年配の七福神巡りのグループが相当に居る。ここから目黒駅方面に引き返すコースとなる。明治通りの手前に妙円寺(福禄寿・寿老人)、そして駅を越して行人坂を下る途中、雅叙園の手前に大黒天がおわす「大円寺」がある。クライアントがあることから、この辺りは常に行き来しており承知のお寺。

寺の縁起を読むと、江戸時代の三大大火の一つ、明和9年の大火事の火元がこの寺の様子。慰霊の地蔵が五百体余り祀られている。

更に下り、山手通りを越えたと処にある蟠龍寺と云う寺に「弁財天」がおわした。小さなお寺ながら手入れが行き届いたお寺らしい寺であった。参拝人の為に線香が用意されていた。(この寺だけだった)夏の散歩では此処を訪れていた。

此処から目黒不動を目指す。裏通りを抜ければ程近い。が、疲れきっていた。余談だが、この駅の近くに友人が経営する会社「ミント」がある。
漸う、目黒不動に到着。この寺は天台宗の寺で山号は「泰叡山」と云う。先ずは、ここの大日如来様に敬意を表した。

目黒不動の立派な本殿

「恵比寿」さんはこの寺の外れの小さな池の向うに祀られている。六社の仕上げがここである。1月4日の日本橋七福神(ここは神社ばかりだった)に続き、目黒七福神(お寺ばかり)巡りを終えた。

しかしここから帰宅するに更に2km歩く。結局、10kmは歩いたこととなるか・・・。お疲れさん!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

煮物とオムスビ

2011-01-07 | Weblog

1/7(金) 早や週末の金曜日となった。昨日のあり散歩は、人形町から有楽町、東銀座から人形町への徒歩行であった。何れも年始挨拶廻りを利用した歩きで合計60分程度、駅の数にすると計6駅となる。

さて、今朝の弁当だが次女が風邪気味とのことで戻っていたこともあり、オムスビと弁当のダブルとなった。オムスビは、メンタイコと梅干・シラスの三種。

弁当の菜は、煮物(椎茸・蒟蒻・蓮根・揚げ天・鶏肉)は濃い味の煮付け。ベーコンとほうれん草&卵炒め。ブロッコリとスナップエンドウの温サラダ。それに、昨夜立ち寄った「奈加野」でせしめてきた鰹のハラス焼き。

               

オムスビは都合五個を作り次女は二つを持参した。残りは三女と小僧が一つづつ食し、後の一個はK君に渡すこととした。

オムスビ用の残り食材(シラス・焼きメンタイコ)を弁当の上に散して出来上がりとなった。

 

今日も年始挨拶に出る。その前後が、歩きタイムとなるだろう。しかし、今日は風があり冷たい日だ・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

炒飯

2011-01-06 | Weblog

1/6(木) 今日はチャーハンですよ!昨日作るつもりでいたが、ご飯の関係で今日に延期された。昨夜のご飯が程よく釜に残っていたと云う次第。

具は、ホタテとエビのシフードチャハーン。これにタマネギ(小)とシメジの刻みが加わる。溶き卵は2個か3個か迷った末に2個にする。その心は?お菜に卵焼きを付けることにある。

塩・胡椒と仕上げに醤油を少々垂らしてお終い。中々の出来となった。菜が卵焼きだけでは淋しいな~と、根菜の煮物を作ることとした。

根菜は、芋三種。里芋・自然薯・安納芋の芋トリオ、三人分の弁当用なので量は少ない。一応茹でこぼしをしてから味付けをする。出来合いの出汁と醤油・酒で味を調えた。

湯気に霞む芋トリオ

が、実は出社途上の電車の中で反省。芋本来の味を楽しむためには、薄塩だけのさらりとした味付けがベストだったのではないか?と反省しきり。

仕上げに、絹サヤを散して完成。

 

処で、今朝の駅間散歩は中止した。昨日想定したことが早くも発生したのだ。


昨夜、退社後にスタッフが隣の「高松」で飲んでいた、新年の挨拶がてら立ち寄ったは良かったが、それからが長くなった。最後は「高松」の店主とカラオケスナックに流れ、帰宅は終電一本前で25時となった。(一緒だったAkagiのボケは、体調不良で半休とか)

そんな次第で、今朝は歩く余裕なし。それでも弁当だけは・・・。見上げた心掛けと云うべきか?(昼間の年始廻りで十分に取り戻そう)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥肉とホタテ

2011-01-05 | Weblog

1/5(水) 今日は鶏肉と大根・カブの煮付け、ホタテのオリーブオイル&白ワイン炒め煮&シメジ・ピーマン添え、ほうれん草のお浸し、イカのツミレ揚げ(冷凍)のメニューとなった。

昨夜の残り飯があれば、ホタテ炒飯のつもりであったが、釜の中は空っぽ。炊き立てのご飯では勿体無いので上記のメニューと相成った。

ご飯が炊きあがる40分でお菜作りを終えるつもりだったが、5分ほどオーバーした。鶏肉と根菜の煮付けはイメージどおり、ホタテが皿洗いに気をとられているうちに・・・汁がなくなった。

                       

兎も角三人分の弁当が立派に完成した。 ご飯の上は、乾燥若布。

                          

今年から、自分の弁当は一番小さいのにした。来るべき食料危機に本格的に備えなくては・・・飽食はいかん!。とは云いながら、月に二・三度は曲げ輪っぱ弁当箱も使ってやらんといかんだろう。と、思うが。

 「 あり散歩 」

 昨日の帰路、会社から八丁堀駅までの二駅を歩いた。今朝は、自宅から中目黒駅までの二駅を歩く。最初は寒いが、10分も歩くと寒さを感じなかった。中目黒駅まで30分程度だったが、駅に着く頃には薄っすらと汗ばんでいた。

取敢えず今日で三日、今年の目標である「日々二駅分を歩く」は完全クリアしている。三日坊主にならんようにしないと・・・。

日々といいながらも、雨や雪、大敵の二日酔いなどを考慮すると毎日は無理であろう。しかし、365日×二駅=730駅分は一年間で達成したい。
東京の駅間は短い、平均すると1kmとみている。年間730km歩破すると目標達成とみなそう。(毎日、日記か手帳につけよう)

一日たった2kmを歩くだけのこと、されど塵も積もれば山となるか・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする