オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

煮物&炒め物

2011-10-11 | Weblog

10/11(火) 今朝は、連休明けの火曜日。とは云いながらも昨日は取材の立会い、土曜日は午後から出社したので三連休の気はしない。が、ゆっくりとできるので気分的には楽なものがある。

先ずは、先週の月曜日以来となる今朝の弁当だが、「鶏肉と根菜の煮物」「豚肉とタマネギ・シメジ・ピーマン・人参の炒め物」となった。これに定番の卵焼きとおまけの塩鮭焼が付いた。

                    

自分用も含めてレギューラーメンバー四人分を用意する。煮物は、鶏肉の他に牛蒡・大根人参・蒟蒻である。卵焼きに那須塩原の取材先、ペンションの「ダンドリアン」で頂いた庭先卵を一つ加えた。

我が家が生協で取っている卵と比べると、色・黄身の張り・白身の伸びが全く違う。黄身は落日の太陽のような色合い、プックリと膨らんでいる。我が家の卵と混ぜると、うまく混ざらないのだ・・・。

                    

煮物・炒め物ともに中々の出来栄えとなった。我田引水、自画自賛が過ぎるか・・・。取敢えずは、写真の如くであります。

                    

写真では味が分からないのが味噌、言ったもの勝ちと云う処。それでも、毎回彩りだけは気に掛けているつもり。蓋を開いた時に美しく、食欲をそそるようにと思ってはいるが・・・、ぎゅうぎゅうと詰め込むのでそれも無駄なことか・・・。

 

昨日は、情報誌ライフアシスト5号の取材立会い。初台の東日本ビルにて、楽器を愉しむOBの対談であった。同じオーケストラ(NTTフイルハーモニ)で「ホルン」と「チェロ」を演奏しているYさんとFさんである。

                           

実は、お二方とも十数年前に横須賀の研究所勤務の折にお会いしていた。その時に、オーケストラの件で協力要請を受けたような記憶がある。

こうして、情報誌の取材でお世話になるとは世間は狭いものである。大会社とは云え、首都圏でのこと、さもありなんか。

                    

12時過ぎに集合し、お二人の対談・撮影。音を出してもらいながらの映像撮り、スチール撮影と予定時間をオーバして終わった。最後まで快く取材に応じてくださったお二人に感謝であった。

 

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取材紀行

2011-10-08 | Weblog

10/3月曜日、社内ミーテイングの後に羽田から青森空港を経由して弘前に向かった。東京は朝から雨、青森空港は時折雨が落ちてくる程度。遥か彼方の八甲田山の頂きは雪を被っていた。今年は雪が早いとのことである。

弘前に着くと小雨、寒いくらいであった。駅前のバス会社の人の話だと岩木山の頂きも雪になったとか・・・。

今回の弘前は、NTTの芝居サークル「ばっけ」の代表だった川崎さん(65才)の話を聞くことである。今春NTTを完全に退職、今年1月からは、在所の地区総代として地域での活動が始まっている。

「ばっけ」は、津軽地区の全電通文化活動がその母体であるが、発展して独自の活動となった。その活動歴は41年に及び、春”ばっけ”(ふきのとう)の芽吹くころに老人ホームを慰問(サークルメンバーは交流活動と呼ぶ)して芝居を披露してきた。

その「ばっけ」は、今春(震災の影響で6月末に延期されたが)の芝居で41年の幕を降した。

私としては、よく41年も続けてこれたなと思う反面、折角続いてきた活動を継続して欲しかったと云う願いもあった・・・。

 今回は芝居のことではなく、川崎さんのセカンドライフ・シニアライフを聞く・訊くのが目的。しかし、人生そのものと言える40年の芝居の話を抜きには成り立たないであろう・・・。

ホテルで三時間ほどコーヒーを啜りながら話を聞く。途中、ビールでも飲みながら、と水を向けるが『否、ここはコーヒーでいい』と頑固。

「ばっけ」の幕を下ろすことは、メンバー全員の総意とか。最盛期には三十名弱いたメンバーも、最終公演では十一名となっていた。

日本全国の地方から人が減り、高齢化を迎えている。弘前と云う地方都市においても然り、またNTTという企業も進化・効率化に伴い業務・拠点集約が進む。かつて500名を越えた弘前電話局も名称も無くなり、グループ会社のスタッフが駐在するばかり。

サークルメンバーも今や、青森市での勤務。稽古に集まるのも大変であろうし、輪を掛けて齢を重ねるは必定。一番若いメンバーが47歳とか、この47歳が高校生役をやり50歳を越したメンバーが女子高生役をこなす。(舞台で見る姿は何の違和感も無いが)

愈々今年で最後というその芝居「鴨池」を、7月1日(弘前文化センター)・2日(黒石市景風園:老人ホーム)と続けて観た。

それから三月ほどしか経っていないが、川崎さんは4kg程痩せたとか。第一ラウンドの終了後、場所を変え、飲物も代えて、元サークルメンバーの松本さんを交えての話となった。

                        

                           松本さんVS川崎さん

そして、津軽人の血を騒がす“ネプタ”の話が出た。NTTのネプタを出そうと奔走したのもサークルのメンバー、川崎さんが中心となり実現したと云う・・・。そして夜は更けて行った。

翌日、弘南鉄道に乗り川崎さんの住む村、田舎館村に向かった。津軽・田舎館・村・何と響きがいいことか、善い・好い・良いのだ。

                  

田圃の中の無人駅、人口8千人強、特産は米、そして田圃アートで村興し、お城のような村庁舎(顰蹙をかったこともあるようだが、中々いい)などを案内してもらった。

米は一昔前には全国一の反収を誇ったとか。この村で弥生時代の田圃遺跡が発見されて米文化の歴史を塗り替える。田圃アートでは、昨年全国一位と面白い村である。

                  

                   弥生田と同じ規模(4坪程)       田圃アート(一部刈り取り済み)

この村は22地区に別れており、高樋地区の総代を務めるのが川崎さんである。総代としての仕事・実績は既にあるが紹介は省略する。

震災後、22地区の総代が秋田に震災研修に出掛けたそうだ。「ヤマゲンさん・ヤマゲンさん」と、川崎さんは呼ばれ、皆さんから親しくしてもらったそうな。ヤマゲンこと、山川源太は川崎さんの当り役、お人好し・助平・世話焼きの村会議員の通称である。

新人の地区総代ながら、直ぐに打ち解けて仲間に入れたのも、川崎さんの芝居を皆さんが見てくれていた。喜んでくれていたことにあろう。

 四十年の歴史=家族の理解・我慢、そして会社の理解・職場の応援、ホームのジッチャ・バッチャ、いろんなものの上に成り立っている。そのことを一番解っているのが川崎さんであろ。前夜、酒を酌み交わしながら「NTに居たから、NTTだったからこそ、こんなに長く、深く続けることが、続けさせてもらえた」と、しみじみ語ったのを思い出していた。

 

 10月5日、吉野・金峰山寺「千日回峰行」で有名な塩沼亮潤住職を仙台市の慈眼寺に訪問、翌6日から7日にかけて那須塩原にてご夫妻でプチホテル「だんどりあん」を経営する丸木さん夫妻(ご夫妻ともNTTOB)を訪問した。この時のことは改めて紹介したい。

 

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焼肉丼弁当

2011-10-03 | Weblog

10/3(月) 5時半前か、カーテン越しに感じる外は、未だ薄暗いように思えたが布団を離れた。昨日、ほぼ一日家の中にいた老犬MIXが外に出たがっている。暫く老犬のウロウロ歩きに付き合う。

今週は今朝しか出来ない弁当を作ることとした。メニューは「焼肉」と「野菜煮」、それに定番の卵焼き。オムスビように鮭も焼く。

焼肉はタレ漬けの牛、これにタマネギ・長ネギを加えてすき焼風に煮る。野菜は大根・人参・インゲンの煮物だが、小さめに切った油揚げを一枚入れた。卵焼きにはワケギを刻み入れる。

さて、弁当に詰める段で長女とK君は「焼肉風丼」にすることとした。とは云え、家人は通常の弁当スタイル(それぞれ好みがある・・・)。私は、朝の社内会議を終えると羽田空港~弘前へと出かけるのでオムスビである。

ご飯を三人の弁当に詰めると、残りが少しになった。オムスビは一個となった、焼いた鮭も沢山余ったので弁当に入れる。

                           

焼肉丼弁当も中々旨そうである。少なくとも何処かの280円焼肉丼には勝っているはず。材料費・手間、それに愛情(?)まで注がれているのだから。余談ながら、一度だけAkagiと酔って食したあの焼肉丼は、後で口の中がべとついて参った・・・。

 

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鮎寿司

2011-10-02 | Weblog

10/2(日) 暫くはBOLGとサヨナラと云いながら、舌の根も乾かぬうちにアップするとは・・・。

今朝目覚めて、鮎寿司を作ろうという気なった。今年の鮎のシーズンもそろそろ終わる。そんなことから、今シーズン最後の鮎寿司に思いが至った。

冷凍の鮎を取り出し解凍を待つ間に、すし飯を炊き、飯に混ぜる生姜・茗荷・紫蘇・胡麻の用意をする。酢は、何時もの逸品「てまいら酢」と塩なしの柚酢を適度に使う。

鮎は半解凍の段階で背開きにし、中骨を取る。内臓はウルカ(鮎の酒盗)にするため取り置く。塩洗いし、生酢に一時間半ほど浸け置く。その後、腹の小骨を丁寧に取り除き、今度は柚酢に一時間程浸した。

                      

炊き上がったご飯に酢と具を混ぜ、後は鮎の形に合わせて調える。処や家庭により酢の浸け時間、すし飯の具、寿しの形と様々なようだが、私は上記のようなスタイルである。

都合六本の鮎寿しを作った。今夕、長女が食事に来るとのことだが「鮎寿しより、鮎焼が好い」と、のたまう・・・勝手にしやがれ!

                            

 

鮎寿司の一仕事を終え、会社に出た。明日からの取材の件、気に掛る資料をチェックしたくなった次第。

明日は弘前にて、旧知の川崎さんにお会いする。どんな話が聞けるのか、訊くのか。愉しみではるが・・・。

 

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久々の登場

2011-10-01 | Weblog

10/1(土) 先月の20日にアップして以来となる、これほどBLOGに遠ざかったのは始めてから初か・・・。

先月21日(水)、台風が静岡辺りに差し掛かる頃、朝一番の飛行機は台風を見下ろしながら飛んだのだ。悪運強しと言うべきか、日頃の行いの為せる技なのか。先の東日本大地震の折には、高知空港に着いて一時間程で地震が起きたのだ。

そんな次第で、今回もスイスイト高知に行って来た。一方、会社の女性スタッフは、台風の首都圏襲来で韓国旅行が取り止めになったと後から聞いた。これを耳にしては、日頃の心掛けと云う訳に行かなくなった。

高知は台風の余波で風が強かったが、徐々に晴、れ初めて台風一過で遥か足摺岬辺りまで見通しが利く上天気となった。強風の中を某氏とミカン畑ならぬ芝生の草刈に興じた次第。黒潮の流れる境目もはっきりと確認でき、美しい海岸がひときわ綺麗であった。

                          

23日より実家に帰り、何時もながらのミカン畑。親父やお袋の飯を作り、後はひたすらミカン畑で遊んでいた。清流の安田川も増水で鮎漁もできない状況だった。

                          

丁度稲刈りのシーズン、其処ここの田圃で刈り取りが始まっていた。妹夫妻が、刈り取ったばかりの新米を届けてくれた。美味いことこの上なし・・・飯の喰い過ぎとなった。

畑の草を刈り、栗の木の下で焚き火をして焼芋をやる。柿の実りもいいようだが、早晩ハクビシンやカラスが食っちまうだろう。

                          
ミカンの脇に生えた「カンナ」の花の紅が一際艶やかだ。その花に、フラメンコダンサーの妖艶が重なった。

                    

石垣の周りの秋茗荷が掃いて捨てるほど芽を出していた。ナスと茗荷の味噌炒め、味噌汁の具、和え物、焼き物と茗荷三昧・・・。

鹿に枝を喰われ、今年植え替えたばかりの幼木がまたしても食われた。同じ場所に植えた木が、二本とも同じように被害に遭っていた。憎き鹿め、今度罠でも仕掛けてやるぞ・・・そんな心境。赤トンボの姿がせめてもの慰めであった。

                    

郷里にて、そんな風にノンビリ、ゆったりと過して26日(月)の午後に帰京。早速にクライアントへの挨拶。翌日は、朝から情報誌の企画打ち合わせと、俄然忙しくなって行った。

弁当の方はと云えば、28日・29日と作った。昨日は、社内で購入した炊飯器のお試し炊きで、スタッフがオムスビを作ってくれたので休み。

                    

                   28日:鮭が旨かった        29日:肉詰めgood

来週は情報誌の取材が三件、弘前~仙台~那須へと出掛けるので多忙となる。週明けから東京を離れる。不在が殆どで、弁当もblogもお休み続きとなろう。

次回辺りは、取材先でのいい話しを紹介できればいいのだが。それまで、さよなら・さよなら・サヨナラ・・・。

 

 

 

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