オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

盆休み明けて・・・

2014-08-19 | Weblog

8/19(火) 昨日の朝、雨が激しくなった故郷の高知空港を後にして帰京した。今回の帰郷は、勿論亡父の盆供養の為である。十日前の9日(土)に帰郷。この日、台風の襲来に気をもみながら空港に向かったのは10時前であった。本来なら、この日の夕刻の便で発っ予定だったが、急遽午前中の便に振り替えたのは前日の夕方のことである。

帰省の前夜は、元スタッフのYURIKA嬢が新事務所に初顔出しした。アマゾネス軍団のボス、MASAMI嬢と三人でスタート。二次会に移った「ローカーボ」からはRIE嬢も加わった。飲みながら、も翌日の飛行機が飛ぶか心配をしていた・・・。

                 

のろのろの台風の動きから、午前j中の便であれば或いは出発できるかと、一縷の望みを繋いだ訳だ。旨い具合に、台風情報で午前中の便にキャンセルが出ていたお蔭で、振り替えることができたのも読みの良さか?空港は、予約の変更やキャンセル待ちでごった反していた。空港の行き表示には、午後の便は全て欠航とあった。

私が搭乗予定のANA11:40発は「出発予定、天候調査中」とあった。チェックインをしてゲートに行くと、天候次第では羽田空港にUターンしますのアナウンス。それでも遅れて飛び立った。四国に近づくに連れて揺れが大きくなった。何度かエアポケットに嵌まった。室戸岬を過ぎると着陸のために降下する。機窓から海面を眺めると、波が逆巻き飛沫を飛ばしていた。着陸寸前の横風を心配したが、案じることはなかった。着陸と同時に、後方の席から拍手が鳴った。

妹夫妻の迎えで、太平洋を右手に見ながら実家へと向かう。太平洋から怒涛が押し寄せる様がすざましい。空港の脇を流れる物部川、途中の安芸川・伊尾木川も濁流であった。安田川沿いに生家へと向かうが、川は土色の奔流が波立っていた。訊けば、八月二日以来洪水がつづいているとか。風雨が一層激しくなっていた。

台風が安芸市付近に上陸したのは翌未明だった。悪天候で薄暗い中、庭先の植木が激しく揺れ風雨が打ちつける様は中々のものである。久しぶりに見る台風の様子であった。八時過ぎに風が、雨が弱くなった。100m程離れた橋の上から川の様子を見ると、今にも欄干を越しそうな激流となっていた。下手の田圃は、一部洪水に洗われて流木が入っていた。

            

                     台風の去った直後の川              四日後の川だったが・・・

ニュースによれば、土讃線も止まり飛行機も欠航である。そう云えば、深夜何度か停電があった。町から我が山里への道路も川の水で冠水、通行止めになっていた。雨が上がった昼前、川向こうの畑の様子を見にゆくと、栗の大きな枝が何本か折れていた。何本かの果樹も横倒しになっていたが大きな被害はない。然し、栗の実は半分以上が落下して、マリモか緑のウニが畑を埋めているようだ。

                  

                  折れた栗枝          田圃の中に流木が・・・

思いがけなかったのは、ガレージの横の小さな畑に植わっていた花桃の木が二本、折れて倒れていたこと。この始末に一汗かくことになった。生け花をする母が植えて三十年以上は経つ。毎年紅・白の綺麗な花を咲かせていたが、見事に根元から折れてしまった。芯に虫が入って腐っていたのが原因のようだ。

庭の倒れた草花の手入れ、飛び散った枝や葉っぱの掃除と、台風のお蔭で思い掛けない労働を課せられてしまった。開催が危ぶまれていた「よさこい祭り」も、台風が去ったこの日の午後から開催となったとのこと。

翌日の11日はすっかり晴れて暑くなった。この暑い最中、高知市内に在る古家の庭の草刈に行くことにした。お盆の準備や、お寺さんの来る日程、更に今治から来てくれる予定の友人の日程、これらを考えるとお盆前に済ませたかったのだ。妹の亭主で、私の同級生であるHIOKATUの応援を得たので助かったが・・・。

                       

                       草刈後(暑かったよ)  

14日午前、北寺の宗圓住職の読経で亡父の盆供養の後、安芸市土井へ。今年二月に逝去した、名木秀道の初盆となるのでお参りに行った。この季節、早稲米の収穫時期であるが、秀道が生きていた昨年までは、新米を届けてくれていた。そんなことを思いながら、田圃の稲穂を眺めた。

                      

                        お供え膳もmy料理

15日、雨の予報だが朝方に降ってから昼までは曇り空で何とか天気が持った。畑に出て草刈を済ませた。丁度、刈り終えた頃に、また降りだした。奥の集落・馬路村辺りは相当降っているようだ。水嵩が低くなり、濁りが薄まっていた安田川が、また濁って水嵩が高くなってきた。これじゃ、今月一ヶ月は鮎が獲れないなと、漁をしないで喰い役の私は心配になる。

                 

16日も大雨注意報が出た。そんな中を、東京から今治に帰省中のKAMOGASHIRAさんが車を転がしてやってきた。買い物がてらに私も安芸まで出ていたので、合流して生家まで案内した。外は雨、やることもないので早々と風呂に入って貰い、ビールを飲んで貰う。私は、KAMOさんの相手もそこそこに、台所に立ちつづけた。

料理は従姉がくれた鮎、刺身、豚・空芯菜炒めから、珍しいであろうとリュウキュウの酢物、ヤッコ、小松菜お浸しetcである。土佐では、客人が来ると飲め、喰えとしつこく勧めるのが流儀なのだ。

就寝前にKAMOさんにくれぐれもと、注意事項を伝えた『午前五時にサイレンが鳴ります。六時になると音楽が流れます』と。後は、剝製になっているエンペラーペンギンが耳元を齧りに来るかもね?である。このペンギンの剝製は四十年も前になろうか、船乗りの知り合いが南氷洋の漁のお土産で持ってきたもの。(魚船の冷凍室に入れてきたらしい)。

翌朝も雨だったが、KAMOさんが出る頃には上がって晴れ間が見えてきた。私もKAMOさんが向かう室戸方面の途中まで送ることにした。隣町の田野町の奈半利川河原に建つ、幕末に非業の死を遂げた勤王の志士・二十三士の記念碑へ案内した。ここも洪水に洗われている。

                     

                      碑の前に立つKAMOさん

そして、帰省の度に訪れる道の駅「キラメッセ」でKAMOさんと左右に別れた。この夕には、埼玉から帰省している親戚も交えて食事会になろうと、天然物のハマチとカマスを仕入れて帰宅。晩飯作りに勤しんだ。ハマチのアラでブリ大根、刺身に下した。カマスはオリーブオイル焼きにする。

帰省して以来、朝夕と飯作りに勤しんできた。なんのことはない、これが私の遊び、ホビーの世界なのだ。お袋の食が細いので、結局は己の胃袋に収めることになる。悪循環ではあるな・・・。

そして昨日の朝、帰京となった次第。そのまま会社に出て、夕方に綱島の税理士さんを訪問して決算に関する打ち合わせなど。その後は駅前のイタリアンレストランで食事となった。税理士さんは、HIROさんのお姉さんなので、殊の外親身にお世話下さる。有難いの一言しかない。

                  

火曜日の朝は、久々の弁当である。十日も弁当から離れると新鮮な気分になる。その所為ではなかろうが、四時に目が覚めた。何のことはない、夢を見ていた。「仕事の夢だっが、なんと私が三ページ分のイアラストを描く役だった。夢の中で「何で俺がイラストを描くんだよ?」と文句を云っていた。寝汗を掻いていた。

再び眠りに着くことが出来ず、睡眠は諦めて台所に立ったのは5:20分であった。ご飯は、前夜に家人が炊いた十穀米とやらが残っていたのでこれを使うことにした。

菜は、豚肉肩ロース味付けを焼き、添え物の野菜はピーマン・人参・タマネギのオリーブオイル焼。鶏肉と根菜(大根・人参)・万願寺の煮物。鯖・ギンダラの焼き物、卵焼きであった。なかなか美味そうに仕上がったぜ・・・。三人分であった。

             

 

 

 

 

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オムスビ

2014-08-08 | Weblog

8/8(金) 昨夕、大先輩のUDAさんが「移転祝いだ」と、ピンクのシャンパンを携えて来られた。その前に何度か連絡をもらったが、私の予定と折り合わなかった。事務所で軽くビールを飲んだ後「高松の女将さんの顔を見たいね」とのリクエストに応えて「高松」へ移動した。

「高松」に案内すると、すべてと云っていいぐらい、女将さんのファンになる。相棒のHIROさんは、女将さんのことを「女学生」と呼ぶが、それだけ魅力があると云うことだろう。我が社に来る目的の大半が、「高松」の女将さんの笑顔であろう・・・・。

昨晩も女将さんの笑顔を肴に、金魚焼酎の夜となった。 高松の後は、UDAさんと別れて「ローカーボ」でハイボールを一杯だけ飲った。私の相手をするのはTOKIOである。カウンターの上に銭を置いて、キャッシュオンである。『消費税に便乗して、ハイボールが33%も値上げ(300円から、400円になったのだ)されたのは響くよな』などと、与太を飛ばす。

                         

今夜もマスターの格好は、一工夫凝らしたスタイル。何時も面白い格好を見せてくれるが、これも営業戦略か?

                     

疲れたのでTOKIOを残して引き上げたが、駅の手前の「ちょっぷく」で一時停止。常連の客を相手に白ワイン(もどきと云うべきか)を二杯。グラスの縁ギリギリまで注いで貰った。妙に特をした気分になった・・・。店長のYAMAちゃんを相手に、ひとくさりぶってからサヨナラした。帰宅は23時と、前日より一時間早かった。

                     

昨夜は、一応三軒の店に顔を出したこととなるが、酒場日記を書くまでには体調が戻っていない。

 

さて、今朝の弁当はオムスビである。先ほど、YOSHIOと一緒に公園でオムスビ弁当を食したが、三個も喰っちまって腹が苦しい。朝、クライアントの処に直出したが、そんな状況にも係らず、二人分で六個のオムスビと、鶏唐揚げ・ゆで卵・卵焼き・薩摩芋揚げを持参したのだ。来週、私は丸々休むので、一緒に昼を喰おうとしたわけだ。見上げた心掛けじゃあないか・・・。

                          

今朝はご飯を四合炊き、鮭・タラコ・梅干を具に、12個のオムスビが出来上がった。卵四個で卵焼き、鶏の唐揚げ、サツマイモの素揚げ、ゆで卵三個を菜にした。

               

 

明日の夕方の便で帰省を予定していたが、台風の動きが不穏だ。これまで、大雨・台風・地震とすべての艱難を乗り越えてきたが、明日は四国辺りだという、今回の台風だけは読めない。感働きがしないのだ。昼前の便が空いていたので、先ほどこれに変更したが・・・。果たしてどう転ぶか?

帰京は、8/18(月)の予定だ。ゆっくり休養と云いたいが、親父の盆供養や親戚の初盆もあり小忙しいかな・・・。

 

 

 

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カツ煮

2014-08-07 | Weblog

8/7(木) 昨晩、今日の弁当に「カツ煮」を作りたくなって駅前のスーパーに寄った。トンカツ用の肉を探したが、全くない。豚肉が、品不足で高騰していると聞いたことが有るが、その為か?非常に残念な思いで、次いで肉屋に寄ろうと向かった。なんと、この店が休業になっていた。粗諦めて、肉屋の前に或る惣菜に目をやると、そこにヒレカツがパックで売っていた。

窮余の策として、この出来合のトンカツを買って帰った。このカツが、明日はメインの菜になると思うと、翌日の弁当作りは半分終えたような気分である。

昨夜、蒲団に入ったのは22時ごろと滅茶苦茶に早い。尤も五時過ぎから「奈加野」で飲み始めたので、帰宅も早かったこともある。昨夜の酒は生ビールと焼酎ソーダ割りを三杯、これで切り上げたから見上げた心掛けだ。本を数ページめくっただけで眠りについたようだ。

処が、夢を見ていた所為か、深夜に目覚めた。この夜の夢は中々いい夢であった。が、教えない・・・。そして暫くして眠った、次に目覚めた時は6時であった。この時点で起きればいいものを、グズグズしているうちにまたしても寝ちまったのである。ど~も、疲れがあるようだ。今度目覚めたら、7時になっていた。

大慌てをする処だが、少しも騒がず慌てず、おもむろに台所に向かった。時刻は7時10分となっていた・・・。

飯は昨夜炊いたものが手つかずで残っている。メインの菜は「カツ煮」だが、このカツも揚げたものが冷蔵庫に在る。となれば、時間は大して掛かりゃしないのだ。されど、「カツ煮」だけじゃあ芸がないと、鶏肉・大根・人参・蒟蒻・油揚げの「煮物」を作ることにした。そしてもう一品「茄子・シメジ・と豚小間の味噌炒め」が、急遽登場となった。もう一つ、鯖文化干しを焼いたのだった。

                    

今日こそは「卵焼き」と、卵三個を調理台に乗せてスタンバイさせた・・・。今朝も出番なし、弁当箱に収まりきらんのが判明した。明日からは、一番先に作るか?

               

 

スイスイと、30分弱ですべてが完成し、弁当詰めを終えたのである。スムージーの出番なし、代わりにスイカとサツマイモを食した。スイカは三浦、サツマイモは阿波から届いたばかりで、いづれも美味かった。

 

 

 

 

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鶏香草焼き

2014-08-06 | Weblog

8/6(水) 今朝も寝坊だった。起床は6時40分となってしまった、10分前に目覚めていたのだが直ぐに起き上がれなかった。疲れているのかな?仕事疲れも、飲み疲れもないはずなのだ、精々夏バテと云う処か・・・。

昨日の昼間は有楽町でイベント視察、ここで二社の方と話をした。それから海老家本店・AKIMOTO社長と代官山蔦屋でお茶をしながら近況の報告会。AKIさんの病後の回復ぶりや、美味いもの談義などをしてきた。残念なのは、AKIさんが酒を断ってしまったことだが、こればかりは病の再発防止とあらば仕方なしだ。

晩は、前週末の山賊の酒盛りで残った酒・菜で一杯やり始めたのは20時前か。この日から東京国際フォーラムで始まった「よいお仕事探しフェア{東北震災復興フェア)」に出店していた、女川町「高政」の蒲鉾が摘みである。フェアの方は、浮世の義理で暑い最中に有楽町まで出向いたのだが、高政の練物を買うことができたのは幸いだった。この揚げ練を買ったことから、一杯やる気になったのだ。

酒の方はビールも日本酒も冷え冷えであったが、私は「竹鶴21 ピュアモルト」ウイスキーを端っから始めた。このウイスキーはK大兄が、移転祝いにと贈って下さったものだが、週末の酒盛りでは口が空いてなかった。そこで、じっくりと味わうことができた。美味いね~、柔らかな口当たりにモルトの香りが微かに漂い鼻腔をくすぐる。すっかり飲み過ぎてしまい、最寄駅に着くとシンデレラの南瓜の馬車が発車寸前であった。

                        

昼間の暑さ、夜の酒で心身が疲れてしまったのか、今朝もしゃっきりしない体であった。それでも弁当人は行く・・・、台所に立っのである。今朝は、夢を覚えていない、これが無念だ・・・。

さて、今日のメニューは「鶏肉」と「牛肉」である。昨日も牛肉であったが、今日の牛はアメリカ産の安い肉、したがってタマネギと一緒に牛煮にした(吉野家の牛すき鍋よりは、格段に上々であった。そんなものと比べるなか?否、この前の生ビール事件が尾を引いている)。

                        

鶏肉は短い時間ながらも、酒醤油・ローズマリーに漬けた。香草焼きにするのだ。付け合せのタマネギ・ズッキーニを炒める。他の菜は、南瓜・長芋・ししとう・茄子・ピーマンを素揚げし、青じそドレッシングで和えた代物。キャベツを千切りにして揚げ物の下に敷いた。

 

                    

以上となり、またしても卵焼きの出番がなかった。

             

今日もコッテリとした弁当だ。コッテリチャン弁当には、梅干しが最適とばかりに二年物の酸っぱい梅干しを置いた。(どうやら家人は、俺の弁当で食中毒にでもなったらかなわんと思っている節がある)

 

 今日の夕刻前、Nグループの某社・社長を訊ねるが、私の服装と云えばアロハである。このくそ暑い中での訪問だ、洒落心ぐらいは理解するだろうと?、なんでこんな恰好かと云うと、オフィシャルな訪問でなく、某氏の慰労会の打ち合わせなのだ。

某氏というのは、先月に持ち株会社のVPを退任されたH・WATANABEさんのことだが。氏の慰労会を、かって職場を共にしたメンバーで開こうと云うものだ。日程も会場も決めたが、肝心の参加者への声掛けである。これを、本社・東京と役割分担して進めるが、その打ち合わせである。

事務方を取り仕切るべき若手も既に要職や、再就職と手足となってスピーディーに動けそうな者が見当たらない。これが一番の悩みだが、あれから四半世紀も経っちゃあ致しかたねえか・・・。何時でも暇なOYAJIが、出っ張るしかねえや!

因みにその日程だが、9月11日(木)で、会場は「クラブノックス」である。この店には久しく行ってないが、立食パーティの割には値段はアップしているようだ

 

 

 

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寝坊・・・

2014-08-05 | Weblog

8/5(火) 昨夜の帰宅は22時過ぎ、酒場にも寄らず立ち寄ったのは駅前のスーパーであった。明日の菜を仕入れ、今夜の肴を見繕って帰宅した。晩飯はソーメン、あの長ーい大門素麺を茹でた。薬味を刻み、スーパーで買ったカツオを刺身にした。鮎を焼き、缶ビールを冷蔵庫から取り出して、黙々と喰い飲んだ。

鮎焼は美味い、カツオも悪くはないが鮎の味には負ける。ソーメン・鮎・カツオに、残り物の菜と遅い時間にしては喰い過ぎだった。喰い過ぎの所為か、夢見も良くなかった。

ラジオとスタンドを消したのは零時過ぎであったが、夜中に目覚めた。夢を見て寝汗をかいて(エアコンを止めたのがよくなかったか)、目が覚めた。

夢は、何処かの山の中にある温泉場に何人かで遊び、帰りの電車の時間が迫ったので大急ぎで車で駅に向かうシーンであった。風呂から戻ってこないやつがおり、車で山を下りはじめたら工事中で迂回をすると、道を間違えてウロウロ・・・。挙句に忘れ物をしたのが現れたりと、気の休まる間のない夢だ。

こんな夢を見てちゃ疲れるぜ。それでも夢の中で、電車の時間には間に合うだろうと多寡を括っていた。夢の中でさえもノー天気振りを発揮していた。こんな夢で目覚め、二度寝した所為か目覚めたのは7時になっていた。

7時に起きてから弁当を作り、間に合わせるのは至難なのだが・・・。前夜に肉と野菜、それにカツオの残りを漬けにしておいた。メニューは決まっている、後は飯炊く時間である。これもがガスで炊けば二十分で炊き上がる。てな分けで、大急ぎで支度を始めた。

先ずはご飯を炊く、温サラダ用のジャガイモ・人参・ブロッコリを茹でる。それから牛肉を塩胡椒で炒め、付け合せの野菜(タマネギ・マイタケ・ネギ・ピーマンなど)をオリーブオイルで炒めた。最後に、生姜醤油漬けにしておいたカツオを、フライパンで焼いて完成となった次第。

              

出来上がった処に、タイミングよく長女が現れた。何とかセーフであった。長女を送り出した後、更に卵焼きを作ろうかと思ったが・・・、弁当箱に収まりそうもないと断念した。

              

 

朝のお仕事も終わったので、自分用のスムージーを作る。桃とキャベツと云う、シンプルなスムージであった。これにパン一枚をトーストして朝飯となった。昨夜から喰過ぎつづきのようだ。

                         

 

 

 

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甘酢餡かけ風

2014-08-04 | Weblog

8/4(月) 郷里の高知が、大雨とのニュースが大々的に取り上げられている。そんな関係で今朝の出掛けにも、隣の八百屋さんから「お母さんの方は大丈夫かしら」と、ご心配を頂いた。『全く影響ないようですよ』と応えたが、何人かの知人からもメールや電話で安否を心配頂いている。

郷里の実家は山里の村で、洪水の心配はまずないし、山崩れの心配もない。尤も途中の道路が寸断される可能性はあるが、家の方は心配なし。因みに、津波の心配もない。唯一心配されるのは、高知市内に古家を持っているが、ここが浸水の可能性ありだ。尤も誰も住んじゃいないが・・・。

朝からそんなニュースが多いが、今日八月四日は、母の九十一回目の誕生日なのだ。何かお祝いを贈ろうと思いながら、手配の機を逸した。然し、最近の母は気弱な言葉が多く子供帰りも甚だしいので、今朝になって元気づけに花を手配した。ネットや東京の花屋では如何ともし難いところだが・・・・。

安芸市内に、母が懇意にしている花屋が在るのを思い出した。私も何度か立ち寄っているので、イメージができる。其処に、今朝電話を入れて相談した処、届けると請け負ってくれた。花より団子かもしれんが、花が好きな母なので喜んでくれるだろう。と、一仕事終えた気分になった。

 

さて、今朝の弁当だが「甘酢餡かけ風」の菜を作ってみた。酢豚ならいいのだが、鶏肉・人参・タマネギ・タケノコを素揚げして、見よう見まねで作った甘酢餡をまぶしたのである。料理本を読んでから作ればいいものを・・・無手勝流であった。

後は、胡瓜と若布の酢の物、茄子の味噌炒め、オクラ・アスパラ・人参の豚巻炒め、胡瓜のハム巻であった。朝の五時半から、延々と台所で一人遊びを続けたのであった。

                        

今日も三人分の弁当が出来上がった。時間を要した割には達成感がない。オリジナリティに乏しい所為か、探究度合いが浅いせであろう。

                   

今朝はスムージーも、飯も腹に入れなかった。二三日、絶食した方が良いのにな・・・。

 

 

 

 

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宴の後

2014-08-03 | Weblog

8/3(日) 昨日今日と湿気が多い、日本の夏らしいが堪える。昨日の土曜日、午後にでも会社に出るつもりでいたが、前夜の山賊の酒盛りが響いたのか一日部屋に垂れ込めてしまった。朝昼と飯を喰い、ビールを飲んだ所為もあるか・・・。

夕方になって自作のスイカを放りっぱなしだと、切った処・・・。案の定だ、中が熟れ過ぎて酸っぱくなっていた。収穫して二週間もたっちゃあしょうがない。田舎で植えた、一番なりのスイカだったので味見も出来ないとはとんだ不手際だった。

                        

金曜日の、社内で開いた山賊の酒盛りは中々よかった。MITUHAHSI君が前日に届けてくれた、トマトやナススイカ、タマネギと大好評であった。スタッフが喜んで持ち帰った。

宴の方も、スパークリングワインでの乾杯に始まり、生ビールから日本酒・ワイン・ウイスキードリンク群に始まり、摘みも豊富であった。ベランダに生ビールの樽を据えて、さながらビヤガーデンの雰囲気。通りの前のマンションの住人にとっては、さぞ驚き迷惑なことだったろう。年に一二度のことなれば、許されよ。

この夜は珍しく最後まで残り、HIROさんやYOSHIO、AOKI、FUJIKURAと「ローカーボ」へと流れた。この夜もローカーボは大盛況。民の竈が賑わう様は、良きことである。HIROさんも久々の飲み会で、些か量を過ごしたようだ。先に席を立った。

                         

金曜日、中目黒乗り換えの東横線は大混雑。時間も零時に近いので込み合う。景気が良いとか、悪いとかは分からんが、この混雑ぶりじゃ民の財布の紐は緩んでいよう。結構!結構!けっこう毛だらけ猫灰だらけ・・・・だ。                      

日曜日の昼前、会社のベランダに置いた朝顔が二輪、咲いていた。前の事務所から移転して二週間だが、朝顔や植木の伸びが凄い。日当たりが良いので元気一杯だ。スタッフもこういう具合に行ってくれると万々歳なのだが・・・。

                          

 

 

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ごちゃ弁当

2014-08-01 | Weblog

8/1(金) 今日から31期がスタートする、会社にとっては正月・元旦のようなものか?それにしては、めでたさも嬉しさも感じない。これで、お年玉でもくれれば、目出度さも中くらいとなろうが・・・。

お年玉の代わりに、夕方から「山賊の酒盛り」を開く。期末打ち上げ、暑気払い、引っ越し慰労、全てをひっくるめての酒盛りだ。生ビール・日本酒・ウイスキー・スパークリング&ワイン・焼酎とドリンクだけは豊富である。熊も猪も冷凍庫で冷えているが、この暑さじゃ、鍋と云う訳にはいかんな。

さて、昨夕はMITUHASHI君が妙齢のお嬢さんを連れて来てくれた。彼が丹精を込めて作った茄子・トマト・タマネギの他に、スイカまで持参した。大きなバック二つ、重いだろうにご苦労なこった。彼は平塚から通っているので、混雑する通勤電車に揺られて、延々と運んで来た分けだ。

『重くて大変だったろう、今度から宅配便でタップリと送れよ!次は、トウモロコシなんかもいいな』と、彼の苦労を労う代わりに乱暴なことを言った。彼とは、横須賀の研究所時代に一緒だったが、広報担当だった彼とは直接の上下関係はなかったが、昵懇な付き合いをしてきたので気心は知れている。

その後、私が今の稼業に就いてから何件かの仕事をさせて貰ったことがある。有難いものだ。挙句に、野菜まで運び、美女まで連れてくるとは見上げた心掛けである。皆すべからく、こういう心掛けでいて欲しいものだ!なに?お前が心掛けろだって!ご指摘のとおりでござんす。

そんなことで、お茶代わりの缶ビールを空けた後、「高松」へ向かった。一昨日、今日と店は空いている。珍しいことだ。ここでハイボールと焼酎金魚ソーダ割りをやり、彼らには人気のカツ煮・アジフライなどを奨めた。一日三杯の酒と思っていたが、この店で四杯飲んでしまった・・・だが旨くないんだよ、酒が。

九時を過ぎてから、今度は「ローカーボ」に行く。此処では必ずハイボールであるが、体への吸いこみが悪い。珍しく店が混んできた、酒の飲みもよくないので、舌快調のMITUHASHI君の腰を折って引き上げた。帰宅時間は、シンデレラの馬車が発車する前であった。

この日は、真昼の決闘が始まる時間に虎の門の某社を表敬。その後、移転前のビルの原状回復が終わったとのことで、家主への引き渡しと、暑い最中に動いた。汗がビッショリ・・・汗臭せ~。昼、OKAZAKI氏との鰻飯の予定は、悔しいかなどの店も長蛇の列、諦めて「山の上」の天丼となった。もう鰻なんか喰ってやんねぇぞ・・・。

ホンマに酒が飲めん体になったようだ、これで粗人生は終わったようなものだ。静かに幕を下ろそうじゃないか・・・、アーメン・ソーメンだぜ!

 

今朝の目覚めもよくない、記憶している夢は二本だが、癌になっている夢が一本あった。大先輩のOKADAさんが前立腺癌で闘病しているが、そんな記憶の所為かな?夢の中の癌は「コウガン」だった。二金が一つ増えて、三金になっていた、。一つ取らなきゃならんが、この位置じゃ手術するのが格好悪いな・・・なんて言っていた。碌な夢じゃないぜ。

そんな夢を見てからのお目覚めだ、寝起きがよくないのも必定。四時半には目が覚めていたが、夢の反省やら分析をしながら愚図愚図として、起きだしたのは六時前。底から弁当作りとなった。

ルッコラがあったので、レタス・胡瓜などとサラダを作った。これが後で、物議を醸すことになるとは露知らず。

                        

大きなキャベツ玉がきているので、この葉っぱで豚肉を包みロールキャベツにする。後の菜も、シメジ・ピーマン・タマネギを豚肉で炒めて卵とじにした。昨日につづいて、焼き鯖が登場。最後にスクランブルエッグ風の卵焼きとなった。

                        

弁当箱に詰める段になって、サラダを入れようと思ったが、確認をした。『弁当は電子レンジにかけるんかい?』と。「そうよ、冷蔵庫に入れておくので、食べる時にレンジで温めるよ」との応え。それじゃ、冷サラダは駄目か・・・。捨てる神あれば、拾う神あり。末娘の昼はサラダオンリーだった。長女は梅干しは要らんと云うし、それぞれに勝手をほざく。必殺弁当人も楽じゃないや・・・・。

              

以上で、あります。

 

 

 

 

 

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