― 徒然なるままに・・・ ―
引退という言葉がある。例えば、角界や野球等のスポーツ界、囲碁・将棋のプロの世界と、勝負世界のプロならではの社会に引退という二文字がいちばん馴染むように思えるが・・・。
翻り、我がサラリーマンの社会においてはどうであろうか。退職・退任・辞職に辞任とは云うが、引退という言葉はあまり馴染まないような気がする。
例えば、ラーメン屋のオヤジが仕事を辞める時は、引退より「隠居」「廃業」あたりの言葉がよさそうに思う。
と云うことで、広辞苑(四版1991年ーかなり古いが)を引いてみると ― 官職・地位から退くこと。また、現役から退くこと。 政界を―引退する の例が― 広辞苑によると、地位から退くことはすべて引退でいいということだ。じゃあ地位とは何ぞや?くらい、身分。立場とあるが・・・。
現役から退くこと、すなわち引退ということでよければ、まあ~なんでも引退という言葉で括って良いわけだ・・・・。何故、引退なんていう言葉をだしたか?自分のことじゃないよ。若し、自分が退く時の言葉が必要なら、引退じゃなくて「挫折=退場」だよ。
じつは、この一年ほど?、休日の遊びとして時折に出掛ける平和島のボートレース場。毎週レースがある分けじゃないので、多くても月に三~四回と云うとこかな。ここに予想屋と呼ばれる、レース予想を生業としているオヤジ達が居る。時折、その予想屋から予想を書いた百円の紙切れを買ってみることがある。
その中の一人、一番の端っこにいるオヤジの処には、ほとんど客が行かない。客が行かないので、その前だけはガラ空。オヤジの方も、予想の番号を掲示してないし、レース展開を口にしない。時折「穴」と書いた掲示が出ていることはあるが、やる気があるのか、予想の的中率がよくないか?であろう。稀にしか当らねえから客が寄りつかないに決まってるが?
それでも、そのオヤジから予想を買ってみることにしたのが、数か月前のことだ。なにしろ暇そうだし、オヤジの前はがら空き、どうせ一枚百円だから。当るも当らぬも八卦八卦のハッケヨイだ。余りにも客が寄らないので、気の毒に思ったというべきか・・・。
僕がボートレース場に行くのは、大概、日曜日の昼ごろ。奈加野のオヤジの車に同乗し、昼過ぎに着くことが多い。その時間帯であると、レースは五レースから六レースが始まる頃だ。秋・冬の場合だが。一日、十二レースあるので、多いと七レースぐらいやることになるが、大概は五・六レースを遊ぶ程度。負けが込んでくると、手持ち不如意になるんで・・・・、レース数は少ない方が無難?
レースから次のレースまで、三十分ぐらいのインターバルがある。この間に、レースの予想をし、舟券を買うことになる。僕の場合は、自分の予想をマークシートに記入してから、予想屋のオヤジの処へ行く。『さあ、次だ!』と、百円玉を台の上に載せ、紙切れを貰う。のだが、その時に、そのオヤジは「どうもどうも、スミマセン」と言いながら渡すのが常。
スミマセン、と云うのは前のレース予想が当たらなかったことへのスミマセンだ。と、その当らない予想を買ってくれて、どうもスミマセンね! だ。昔の芸人で、どうーもスミマセンっていうのが売りの三平っていう落語家、それに近いようなニュアンスかな。
てなことで、このオヤジさんから都合数十回、予想を買ったことになるか。と云うことは、お馴染みさんだ。ゴールデンウィークの最中、何時のようにオヤジの前に行き、予想を買った。と、オヤジさんが「今月の26日で引退することにしました。お世話になりました。」と言う。
『どうしたのよ』と訊くと、「二十歳から、四十八年やってきましたから。、目がだんだん見えなくなり白内障の手術をするんですよ」「もう六十八ですよ、昭和二十四年生まれですから」とつづけた。予想屋が目が見えなくちゃ商売にならんな・・・。
何をいってんのよ、まだまだじゃないの『俺より若いぜ』と返した後に『辞めたらなにをするの?』と訊くと。「アルバイトでもしょうと思ってるんですよ」とのこと。『それやぁ残念だよね。よかったら飯でも食べない?』と誘うと、ありがとうございますと頷いた・・・。携帯番号を聞き、名刺を貰った。
これまで、オヤジさんの予想で当ったことは一度だけ。それも、僕が予想してたのと同じ組み合わせだった。そのレースで四万円ほど取ったか。気持ちばかりのご祝儀を置いたことがある。
そのオヤジさんを飯に誘ったのは、四十八年と云う予想屋人生について聴きたかった。また、予想屋なるものの日々、予想とは何か。紆余曲折の人生であろうが、その一つ一つの被だに刻まれたものに興味を持った。また、日頃から妙に折り目正しい受け答えにも、その人の生き方が現れていると思ったから。
その日、最終レースの予想を買った。その時、「いや~さっきのお話ですが、申し訳ありませんが、手術やなにやかやで忙しくなりますので辞退させて下さい」と云う。
『そりゃあ、残念ですね。都合がよくなったら電話をください。話が聴けると嬉しいから』と、伝えた。その日から三度、平和島に行っている。その度にオヤジから予想を買うが、当らない。意地で、レースごとに予想を買いつづけた。当った時の、オヤジの顔を見たくて・・・・。
それでも、外れつづけた。5月の半ば、会社のYOSHIOと酒場巡りのメンバー、チーちゃんとで平和島に出掛けた。その日もオヤジの予想したボートは全部買った。全部外れた。が、自分の予想した舟券が偶然にも当った。これまでの最高だった。オヤジに、祝儀だと万札を一枚渡したら「いいんですか?」と、驚いた顔をした。
こんな偶然、出会い頭のホームランと云うことである。これで、それまでの連敗した分を取戻してお釣りがきた。一緒に居た二人にも、祝儀を渡せた。でも、オヤジの予想で取りたかったよ。帰りしな『オヤジさんの最後の日には必ず来るよ』といって、平和島を後にした。
5月26日、この日は平日だ。平日なれど、オヤジの最後の日だ。見送らなきゃ・・・、消えてゆく予想屋の最後を。この日の予定を入れないでいたが、塩梅悪く、午後一番で客先での打ち合わせが入ってしまった。取り敢えず、打ち合わせを手早く済ませてから平和島に向かうことにした。こんな時に限って、ダラダラの打ち合わせだ・・・・。
漸く平和島に着くと、レースは八レースが始まる処であった。オヤジに『どうですか?』と訊く。「この前のレース、当りましたよ」と、嬉しそうに応えた。そりゃ良かった。と次のレースの予想を貰った。当然、オヤジの予想を中心に舟券を買う。最後に当てて、笑って送りたいのだ。
その日の、僕が買う最初のレースは・・・、これが当った!。オヤジの予想したとおりの艇が1・2・3着で入ったのだ。配当は、7540円/百円也。オヤジの引退の花道で、最後に取れたのが嬉しかった。七万五千四百円、当然オヤジに大一枚を祝儀で渡した。当ってからの祝儀と、当らないのに貰うじゃ気分が違うだろう。
僕も、最後に行けてよかった。約束を果たせてよかった。取れてよかった。
『調子がよくなったら、電話頂戴よ。飯でも食べましょうよ』と、言って別れた。この日、四十八年に渡ってボートレース場で暮らしを立ててきた予想屋が引退した。その最後の日を見届けることができた。いつか、会える日は来るだろうか・・・・。
予想屋の成り立ち、仕組みについて何時か書いてみたい。そんな気がしたのだ。ボートレース場に立つ、一人の予想屋の引退が、そんな気を起こさせたのであった。
ボートレースが始まった頃からの権利?生存権?営業権?で、現在まで予想屋は営業を認めてもらっているそうだ。一代限りで。何れその姿は消えていくのであろう。今いる、最後の予想屋の引退とともに・・・・。
その前に、僕の方がボートレースで遊ぶことを止めているだろうが・・・・・。