オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

酢豚

2017-07-12 | Weblog

7/12(水) 今日よていどおりに「酢豚」を作った。朝から酢豚なんぞを作るのは相当な変態オヤジと云うしかないが、これも土曜日のオヤジの料理教室のおさらいなのだ。

鉄は熱いうちに打てと云う諺にもあるとおり、習ったことは復讐をして頭と体に沁みこます。これが大願成就?の道、原則ではなかろうか。チョット大袈裟だが。ともあれ、こっちはボケボケのオヤジなんだから・・・・。

昨晩はHOYA兄いと「高松」からスタートし「ローカーボ」へ。ついこの前からローカーボでバイトを始めた短期留学のニッキー嬢が、来週末にカリフォルニアに帰るとのこと。久々に顔を見るチヒロ嬢は、足首を骨折して酒断ちをしていたという(足首には未だギブスをしていたが)。HOYA兄はシャンパンを抜いて、チヒロ嬢の快気とニッキーのご苦労様を祝った。

                             

最後は「ちよっぷく」に顔を出して白ワインで〆た。帰宅は零時前ながら、まだ開いている東急ストアで、今日の弁当食材に豚肩ロースとパプリカ、燻製サーモンを買った。何があろうとも弁当のことだけは忘れない。唯一の遊び、趣味だからねぇ~。

サーモンはカルパッチョに、豚肉とパプリカは酢豚用である。もう一品「鯖の切り身」も買ったが、これは味噌煮を考えていた。

零時半就寝、そして目覚めたのは五時半か。ながら、蒲団から立ち上がる気力がなかった。結局、台所に入ったのは六時半を過ぎてしまった。そこから飯を炊き、酢豚の準備と俄然忙しくなるのだが、体と頭はノタリノタリの松太郎さ。

酢豚とカルパッチョは仕上げたが、鯖の方は味噌煮ならぬ塩焼きでお茶を濁した。長女が弁当を取に寄った七時半に、漸く仕上がった次第。カルパッチョと鯖塩焼きはどうってことないが、酢豚の方は手間を喰った。酢が少し利きすぎたようだ。糠漬けを始めたが、これは未だ塩が馴染まず食えたもんじゃなかった。

                          

弁当は二つ、炒り卵を急遽追加したが、長女の弁当に載せるの忘れてしまった。まっいいか!

                     

 

明日からまた、高知に帰る。呆けた母が毎日のように「何時帰る、いつかえる」と、同じことを繰り返している。困ったもんだが、こればっかりはどうしようもない。いずれは我もたどる道か、と思えば恐ろしくなるが・・・・。

帰京は、18日の夕刻の予定。草刈と飯作りの日々を愉しみ、母親の世迷言には『いい加減にしろよ』と、厳しく当たってくる所存だ 

 

 

 

 

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春巻き

2017-07-11 | Weblog

7/11(火) 今日の弁当は「春巻き」にした。土曜日のオヤジの料理教室で作ったもののおさらいと云うところだ。この伝でいけば、明日は「酢豚」になろいそうだが・・・。

実は、春巻きを作ったのは土曜日が初めてだった。家人が作るのは何度もみているが、自分でやるのは初めてだった。教室で作っただけじゃ直ぐに忘れる、ボケてるんだから。だから、おさらいをやるのが大事なんだ。

「春巻き」なら弁当にも合いそうだし、汁もないのでいいだろう。そんなことで、昨夜の帰りの電車の中で考えた。最寄駅の学芸大学に着き、目の前の東急ストアで材料を調達した。

帰宅してから、人参やピーマン・筍などの食材を下拵えし冷蔵庫に入れた。準備をあらかた整えてからご就寝であった。前夜が殆ど眠れてなかったので、起床時間が心配だったが、五時半前には目覚めた。

台所に入り、先ずは「春巻き」の準備をする。炒め・茹での後、暫く冷ましておく時間がいるからだ。調味料は先生にレシオ通りに、ごま油・オイスターソース・塩・胡椒・砂糖などである。先生が使わなかった椎茸も細切にして加えたが・・・。茹でた春雨を加えて一緒に炒め、皿に移して冷めるのを待つ。

その間に、別の菜に取り掛かる。冷凍のチキンカツを温め、ジャガイモ&ピーマン&タマネギの細切とベーコンを炒める。卵焼きを作ってお仕舞。

                          

春巻きの皮十枚を広げ、冷ましておいた具材を載せて巻く。これだけのことだ・・・・。巻き方は中々の手練れぶりだった。後は、キツネ色に揚げるだけのこと。かくして、十個の春巻きが完成した。あとは~弁当にいれるだけ 

                          

魚系がないので、振り掛けの鰹節&雑魚佃煮を弁当に載せた・・・。

 

 

 

 

 

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炊き込みご飯

2017-07-10 | Weblog

7/10(月) 月曜日のそれも昼前だと云うのに目茶眠い、出勤のメトロの中でも本を開いたまま額を本に預ける状態がつづいていたが・・・。この眠気はなんなんだ?今年最高と云う熱暑の所為かな?。

いやぁ~眠い、眠くてしょうがない。仕事がないのも一因だが、眠いのは熱暑ならぬ睡眠不足に決まってるだろう・・・。昨晩、蒲団に寝転んだのが九時過ぎか、本を読みながら風呂に入るタイミングを計っているうちに眠り込んだようだ・・・・。

気がつくと深夜の一時半だった。そこから、再び眠ろうか風呂に行くかと迷いながらラジオを聞いていた。ラジオ聞きながら過ごすうちに、何時の間にか時間は四時になっていた。こうなると何をするにも半端な時間帯だ。暫くして新聞を取に行き、読む・・・・、そうこうする内に五時をすぎ、弁当を作る時間が近づいたのである。

この時点では全然眠くない、弁当のメニューを考える。前日に、鯛とノド黒の「炊き込みご飯の素」とやらを頂いた。どちらかを弁当用に使うことにした。炊き込みご飯となれば、菜は少な目でよかろうと決めつけた。

今日は一人分の弁当だ。家人用だけなので、家人に『ノド黒とタイでは、どっちがいいんだ?』と確認をしたうえで、鯛めしの炊き込みご飯を作ることに。

炊き込みご飯といっても、袋に入っているセットを磨いだ米に載せて、電気釜のスイッチを入れたら・・・炊き上がりを待てばいいだけのこと。面白味に欠けるのが欠点だが、お手軽、便利であるのは間違いない。

菜の方も簡単に「小松菜と薄揚げの煮浸し」「茄子&シメジの茄子味噌炒め」「簡単卵焼き」、たったこれだけである。

炊きあがってから、小鯛の骨らしきものを覗き、刻み生姜を混ぜ込んだ。刻み生姜だけはオリジナルな発想だ。かくして、アッと云うもなく弁当は出来上がったのである。タイは、オイラの掌よりも可愛いよ・

                      

 

土曜日の午後、月例のオヤジの料理教室で白金台へ。今回は酢豚嫌いのマッチャンが欠席なので、「酢豚と春巻き」の作り方となった。

料理の方は、先生があらかた準備下さる。こっちは並んだ食材を切り、万端準備された調味料を加えて混ぜたり焼いたり揚げたりだけだ。それでも五人がワイワイガヤガヤ、途中でタバコを吸いに行ったりで、出来上がったのは二時間後になっていた。

そこから、「ふりかえり」タイムと云う、飲食タイムになだれ込んだ。自分たちで作ったものだけに止まらず、先生と助手が作って下さる摘みが何品か供される。この日は、「イサキのカルパッチョ」「冷製海老シューマイ」「「ラデッシュ&胡瓜」が供された。小生が、午前中に作って持参した「筍すし&イタドリ煮」も出てきた。

                    

三時間後、HOYA兄いと私は、頃合いだと若い者を残して辞去した。後片付けだけはしっかり頼むぜ! と、伝えて。

 

 

 

 

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タイカレー

2017-07-07 | Weblog

7/7(金) 七夕にはタイカレーがよく似合う、といったのは誰あろう吾輩である。今月のランチ会は今日であった。そのメニューをタイカレーに決めたのは先月末前であった。

それから、先ずは家人の作り方を聞きいて練習。次はそれをなぞって自分で作る。ネットでいろんな人のレシピをみて、それをやってみる。と、昨晩までに五回もタイカレーを作ったのだ。極めつけに、昨晩八時半過ぎに帰宅してから最終のレシピでリハーサルと云う念の入れよう。

最終版のレシピは栗原はるみさんを参考にしたが、食材関係はかなり違う。ニンニクや生姜を使う処は参考に、食材でも厚揚げを使う処は避けた。

昨夜のカレーは、これまでの成果で一番美味しいかった。サイドメニューの「春雨サラダ」も上々の出来栄え。さりとて、十時過ぎに独りで食すには多すぎた。今日の家人と娘の弁当は「タイカレー」となった。これは当人たちの同意、もしくは希望によるものだと断っておく。

                  

先ず弁当の方は、タイカレーの他に「トンカツ」「小松菜卵とじ」を、一応用意した。

                   

 

昨夜も今朝も唐辛子の匂いいっぱいのカレー臭に(加齢臭じゃないぜ)包まれた。その上に、出社後は、ランチ会の準備で同じ匂いに包まれると、カレー攻めだ。カレーならぬ、華麗ならすくわれるのに・・・・。

ランチ会の食材は昨日の内にあらかた買っておいた。それに、海老とチキンの下処理だけはした。後は野菜をカットし、春雨サラダとソーメンを茹で、ご飯とソーメンでタイカレーを食そうと云うことだ。

十時から準備を始め、飯を炊いた。約二十人分のイメージで作る。助手のYOSHIOが「多すぎるよ!」と煩い。そんなことはねえや、と『グズグズ言わないで手伝え!』と、準備を進めた。

その甲斐あって、十二時前にはスタンバイできた。メインのタイカレー、サイドメニューの「春雨サラダ」、一番先に作った「胡瓜と茗荷の甘酢和え」、ご飯とソーメン。

電気釜が一升炊き、これで九合のご飯を炊いたが、足りなくなると困る。それに、ソーメンでタイカレーを食すと云う新趣向である。ソーメンで食べると、カレーの辛さが半減し、これまた面白い味であった。

                     

最後に大失敗が一つ、一番最初に作った「胡瓜の甘酢和え」が冷蔵庫の中で眠ったままであった。このBLOGを書きはじめて思い出したと云う、お粗末な顛末である。

デザートは「スイカ」、今月も無事にランチ会を終えることができた。

 

明日の午後は、白金台のJIN先生宅で「オヤジの料理教室」。春巻きと酢豚を作る予定。私は黑竹の「筍すし」「イタドリ煮」を持参するつもりだ。

 

 

 

 

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コロッケ

2017-07-06 | Weblog

7/6(木) 今日の弁当に「コロッケ」を作ることにした。昨夜も酔眼朦朧の帰宅だったが、その朦朧とした頭で翌朝に作るメニューを考えていたとは見上げた根性と云えようか?

二日つづけて手抜きをするわけにはイカンザキと、あれこれ思い浮かべた結果が手作りコロッケに至った。他には、豚バラでインゲン&人参を巻こうと。魚系は「ギンダラの照り焼き」でいくことにした。帰宅後、ジャガイモを箱から取り出して台所へ。冷凍の豚バラと、ギンダラを冷蔵へと移した。更にギンダラは味醂・醤油・酒の調味料に漬けた。

翌朝の段取りを終えて、蒲団に横たわったのが23時頃か。後輩のYOSHINOと「ちょっぷく」の冷酒を飲んだのが効いていた。

明け方であろう、目覚めるとカーテン越しに夜明けであることを知らせる白明がぼんやりと窺えた。睡眠時間は長いはずだが、体の反応はよくない。疲労感が澱のように溜まっているかのように・・…飲み疲れか?バカヤロウ~な俺だぜ。

重い体を台所へと運んだのは五時半頃か。メニューが定まっているので、粛々と作業をつづけるだけだ。人参とジャガイモの皮を剥き、インゲンを野菜庫から取りだす。下茹でのために鍋で湯を沸かす。

昨夜のうちに三品を決めたが、残りの菜は「小松菜の胡麻和え」、スクランブルエッグならぬ「炒り卵」と云うやつにした。

コロッケの方は、折角だからとポテトコロッケの他に「メンチコロッケ」も作ることにした。弁当用なので、いずれも小ぶりに整えた。下茹でしたインゲンと人参に、塩胡椒を軽く降った豚バラを巻く。後は、炒め焼きと油で揚げるだけだ。

                           

そうこうしている内に、電気釜のご飯が炊きあがった。この時点では未だ、食欲が湧いてこない。胃もたれしてるな・・・そんな感じで、YOSHIOにメールして「胃薬持って来い」と云いたくなった。YOSHIOが病院で処方してもらっている胃薬はよく効くのだ。

今回のコロッケの揚がり具合は上々!上手い具合のキツネ色に仕上がった。ギンダラも美味そうじゃないか?体調不良の不良オヤジが、真面目に取り組んだだけの成果はあったようだ。

                    

この美味そうに上がったコロッケと、ギンダラの照り焼。ホッカホッカの飯を目の当たりにすると・・・・胃のもたれも何処へやら。俄然喰う気になった。味もしなきゃね、後々のためにも。

で、コロッケやギンダラ、豚巻とお味見をならぬ、本格朝飯に至ったのである。流石にご飯は一杯だけに止めた! それだけの理性は残っていた。

                         

 

ー 閑話休題 ―

 会社のベランダにある鉢植えに植えた胡瓜、その後の報告をしていない。二週間ほど前に葉が萎れてしまったが、YOSHIOの懸命の介抱でなんとか生き延びた。最初になった小さな実は落ちたが、蔓が延びてから咲いた花に実がつき残った。

10cmぐらいの大きさになっている。もう一つ3㎝ぐらいのがあるが、これも成長しそうだ。問題は、蔓を絡ませる支柱だった。ベランダの手すりは幅がある上に、暑くなる。悩みに悩んでいた・・・。乱暴にも「傘の骨で代用しろ」とか・・・・。

昨日のランチタイム後、YOSHIOと支柱探しの旅に出た・・・・。と言っても、すぐ脇に在る堀留公園だが。偶然にも手頃な枯れ枝を植え込みの中で発見!

『エレベータに入らなければ、階段を上ってけよ』なんて言いながら拾ってきた。これがうまいぐあいの大きさ。今のところは・・・・。これを建ててやると、あっという間に蔓を巻いたのである。余計な手が映ってるが、YOSHIOの手だ。

                              

                        6/12(一週間目)     7/6 現在

胡瓜は、掴まるとこないか~、ないか~と、あちこちに触手を伸ばしながらも、掴まるとこないと探しあぐねてたんだ。

「これやぁ無農薬だから美味いぜ」と、未だ小っちゃいのに喰う気満々のYOSHIOである。

 

 

 

 

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手抜き・・・

2017-07-05 | Weblog

7/5(水) 今日の弁当は手抜きとしか言いようのないメニューになった。手を抜くつもりなど毛頭なかったが、結果的にそう言わざるを得ない。

メインは冷凍にしておいた作り置きの「ハンバーグ」と云うべきか。これに、冷凍の塩秋刀魚と鯖文化干しを焼き、煮物というと非難されるだろう「小松菜と薄揚げの煮物」「卵焼き」。

以上で終わればいいのだが、もう一品は「タイ風の春雨サラダ」にチャレンジ。と、云うのは、週末の金曜日に社内ランチ会がある。タイカレーを作る予定なので、これに合うサラダをと思ってリハーサルに作ってみたのだ。ナンプラーは在庫があるのだが、香草がない。適当にレモンバームを入れてみたが・・・よくなかった。

                             

おまけに春雨がもそもそしていただけない。金曜日の春雨サラダは止しにしようと思う。

 

昨夕、先週に来社した某議員(自民)の秘書NISHIUCHI君が来た。一杯やるならおいでよと云うと、火曜日にお願いしますと連絡があったのだ。

「うまし」のカウンターで飲むことにした。話は当然、都議選に及ぶ。『自民党もタガが緩んだのと、小池登場で都民が無関心から都政に目が向いた結果だろうね』なんて、大敗した党の秘書に云う。

森友や加計、お粗末な大臣と凋落の話題に事欠かない。素人集団の寄せ集めが、あれだけの票を集めたのには驚くが、既存の政党にそれだけ魅力がない。不満やはけ口の持って行先がないから、ポットでの姉ちゃんやアンちゃんが票を取れタンだ。そう思うがねぇー。と、床屋談義か風呂屋の談義のようなことを言った。

N君の見方は若干異なるようだが・・・・。こっちは都民、おまけに人生は長い、長きゃ尊いというもんでもないが。最後に『俺は党員だからね、会費は毎年引き落とされてるし』と、付け加えた。村の税金だと思って入り、村を出てからもそのまんま。だから本音は止めたいんだが、止めると伝える連絡先が?なんだ。いい加減な党員だぜ!

そして、N君が政治家を目指したきっかけや思いについて訊いた。

「学生の頃(一応東大・院卒)が小泉内閣で、靖国問題などから教育の改革が必要だと思ったんです。僕たちは本当の歴史を習ってないことに気付き、ならば自分が政治家になって教育改革をしようと」「他には環境と安全保障に関心があります」そんなようなこと言った。

国政に関心があるだろうが、何時、国政に出るチャンスが廻って来るのか?こればかりは時の運、天の配材を願うしかなかろう。政治に関心が高い若者がいることは、いいことだ。これからも大いに勉強して成長してほしい。永田町で廊下トンビをしているうちに、民心とずれが生じないように願うばかり・・・・。

『俺の目の黒いうちに国政に出ろよ。十票ならあるぜ!』 「五十年ぐらいかかるかもしれませんよ」。『そうか、百五十まで生きるしかないな~』、若い者を相手に、そんな与太話をしていた。

店を出ると大雨、激しく降っていた。傘を借用して「ちょっぷく」へ。そこから更に「ローカーボ」と廻った。IMAE君が同僚と二人で、カリフォルニアから短期留学のニッキ―嬢を相手に楽しんでいた。ニッキ―は今月末には帰国するとのことだが、週二日ほどローカーボでバイトをして日本を吸収している。

                          

すっかり酔ってのご帰還となったが、学芸大学に着くと雨はすっかり上がっていた。

 

実家の方は、台風が真上を通過したので強風が吹き荒れたそうだ。畑の野菜が心配だ。マッチャンから「実家は大丈夫ですか?」と、メールを貰った。『心配するなら見舞金をおくれ』と返信すると「それはご勘弁を!」と返ってきた・・・・。言葉は要らぬ、形で示せだ

 

今夜は寄り道なしで帰ろうと、コーヒーを飲みながらYOSHIOと喋った後で、後輩のYOSHINOからの電話。人形町に来るという。彼が勤務する事業部門が買収されて新会社に移行したのは今月からだ。新会社のことなど、聞いて貰いたいこと、喋りたいことがあるのだろう。ここは、聞くに如かず

今夜も酒が飲めるぜ

 

 

 

 

 

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SEIJU会

2017-07-04 | Weblog

7/4(火) 昨晩は、七月最初の平日と云うことで「SEIJU会」なる飲み会を開催した。日本橋堀留町で唯一と思えるレトロなスナック、セイジュの灯を絶やさないようにと、有志が語らって会員システムを起ち上げた。勝手に だ。

月はじめなので、メンバーが集って会費の納入と、飲み会で親睦を深めたのである。

何しろ、酒も摘みも持ち込みがルールなので、ウイスキーも氷もソーダも持ち込んで自分らで濃~いハイボールに酔うと云う次第。USUI老も焼酎ボトルを二本提げて姿を見せたので、二人で「高松」の金魚ソーダ割りを飲ってからセイジュに合流した。

セイジュのカウンターには、HOYA兄いが陣取って今や遅しと待ち構えていた。正直不動産のマッチャンは、真偽不明な言い訳をして欠席。NAKAMURA大将は、一ヶ月半に渡る入院からこの日に退院したが、暫くは草津の温泉で湯治療養に努めるとか。

従って、この夜のセイジュ会は、AOKI・FUJIKURA・YOSHIO、老と云う内のメンバーに、兄いと若手のワッショイIMAEの七名であった。IMAE君が居れば、五人力の賑やかさなのだ。

                      

てんでに話し込み、適当に歌ってワイワイと騒がしい一夜はつづく。『唄は演歌だぜ』と釘を刺したにも関らず、FUJIKURAは一つ覚えなのか、違う歌を唄った。やつらしいトンカチぶりを酒場でも発揮しやがった・・・・。

22時過ぎになったので、皆を置いて先に席を立った。真っ直ぐに帰るつもりだったが、気が付くと「ちょっぷく」でワインを飲んでいた。学芸大学着は、23時30分になっていた。

 

今朝の目覚めは五時半、よく寝た方だが・・・・・。頭も体もシャッキとしない・・・エアコンを点けたままだった所為かな・・・・。

六時から台所に入る。今日のお弁当は、家人用の一つだけだ。おまけに、「軽めにして」と、注文がついた。ではでは、サクサクとお手軽にいこう~。

冷凍の「チキンカツ」を一つ温め、「小松菜のゴマ・卵とじ」「鮭焼き」「オム風炒り卵」「胡瓜の塩麹もみ」、板カマと胡瓜の竹輪詰め、以上である。

                     

こう簡単なものばかりじゃ、仕上がるのも早い。後はのんびりと、朝のひと時を過ごしたのである。

問題は、朝から飯を食べすぎると云うことだ。どうしても多目に菜を作る、味見を兼ねての朝食となる。美味い菜と飯、これじゃご飯もすすもうと云うもんだ。

 

 

 

 

 

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或る引退・・・

2017-07-03 | Weblog

― 徒然なるままに・・・ ―

引退という言葉がある。例えば、角界や野球等のスポーツ界、囲碁・将棋のプロの世界と、勝負世界のプロならではの社会に引退という二文字がいちばん馴染むように思えるが・・・。

翻り、我がサラリーマンの社会においてはどうであろうか。退職・退任・辞職に辞任とは云うが、引退という言葉はあまり馴染まないような気がする。

例えば、ラーメン屋のオヤジが仕事を辞める時は、引退より「隠居」「廃業」あたりの言葉がよさそうに思う。

と云うことで、広辞苑(四版1991年ーかなり古いが)を引いてみると ― 官職・地位から退くこと。また、現役から退くこと。 政界を―引退する の例が― 広辞苑によると、地位から退くことはすべて引退でいいということだ。じゃあ地位とは何ぞや?くらい、身分。立場とあるが・・・。

現役から退くこと、すなわち引退ということでよければ、まあ~なんでも引退という言葉で括って良いわけだ・・・・。何故、引退なんていう言葉をだしたか?自分のことじゃないよ。若し、自分が退く時の言葉が必要なら、引退じゃなくて「挫折=退場」だよ。

じつは、この一年ほど?、休日の遊びとして時折に出掛ける平和島のボートレース場。毎週レースがある分けじゃないので、多くても月に三~四回と云うとこかな。ここに予想屋と呼ばれる、レース予想を生業としているオヤジ達が居る。時折、その予想屋から予想を書いた百円の紙切れを買ってみることがある。

その中の一人、一番の端っこにいるオヤジの処には、ほとんど客が行かない。客が行かないので、その前だけはガラ空。オヤジの方も、予想の番号を掲示してないし、レース展開を口にしない。時折「穴」と書いた掲示が出ていることはあるが、やる気があるのか、予想の的中率がよくないか?であろう。稀にしか当らねえから客が寄りつかないに決まってるが?

それでも、そのオヤジから予想を買ってみることにしたのが、数か月前のことだ。なにしろ暇そうだし、オヤジの前はがら空き、どうせ一枚百円だから。当るも当らぬも八卦八卦のハッケヨイだ。余りにも客が寄らないので、気の毒に思ったというべきか・・・。

僕がボートレース場に行くのは、大概、日曜日の昼ごろ。奈加野のオヤジの車に同乗し、昼過ぎに着くことが多い。その時間帯であると、レースは五レースから六レースが始まる頃だ。秋・冬の場合だが。一日、十二レースあるので、多いと七レースぐらいやることになるが、大概は五・六レースを遊ぶ程度。負けが込んでくると、手持ち不如意になるんで・・・・、レース数は少ない方が無難?

レースから次のレースまで、三十分ぐらいのインターバルがある。この間に、レースの予想をし、舟券を買うことになる。僕の場合は、自分の予想をマークシートに記入してから、予想屋のオヤジの処へ行く。『さあ、次だ』と、百円玉を台の上に載せ、紙切れを貰う。のだが、その時に、そのオヤジは「どうもどうも、スミマセン」と言いながら渡すのが常。

スミマセン、と云うのは前のレース予想が当たらなかったことへのスミマセンだ。と、その当らない予想を買ってくれて、どうもスミマセンね! だ。昔の芸人で、どうーもスミマセンっていうのが売りの三平っていう落語家、それに近いようなニュアンスかな。

 てなことで、このオヤジさんから都合数十回、予想を買ったことになるか。と云うことは、お馴染みさんだ。ゴールデンウィークの最中、何時のようにオヤジの前に行き、予想を買った。と、オヤジさんが「今月の26日で引退することにしました。お世話になりました。」と言う。

『どうしたのよ』と訊くと、「二十歳から、四十八年やってきましたから。、目がだんだん見えなくなり白内障の手術をするんですよ」「もう六十八ですよ、昭和二十四年生まれですから」とつづけた。予想屋が目が見えなくちゃ商売にならんな・・・。

何をいってんのよ、まだまだじゃないの『俺より若いぜ』と返した後に『辞めたらなにをするの?』と訊くと。「アルバイトでもしょうと思ってるんですよ」とのこと。『それやぁ残念だよね。よかったら飯でも食べない?』と誘うと、ありがとうございますと頷いた・・・。携帯番号を聞き、名刺を貰った。

これまで、オヤジさんの予想で当ったことは一度だけ。それも、僕が予想してたのと同じ組み合わせだった。そのレースで四万円ほど取ったか。気持ちばかりのご祝儀を置いたことがある。

そのオヤジさんを飯に誘ったのは、四十八年と云う予想屋人生について聴きたかった。また、予想屋なるものの日々、予想とは何か。紆余曲折の人生であろうが、その一つ一つの被だに刻まれたものに興味を持った。また、日頃から妙に折り目正しい受け答えにも、その人の生き方が現れていると思ったから。

その日、最終レースの予想を買った。その時、「いや~さっきのお話ですが、申し訳ありませんが、手術やなにやかやで忙しくなりますので辞退させて下さい」と云う。

『そりゃあ、残念ですね。都合がよくなったら電話をください。話が聴けると嬉しいから』と、伝えた。その日から三度、平和島に行っている。その度にオヤジから予想を買うが、当らない。意地で、レースごとに予想を買いつづけた。当った時の、オヤジの顔を見たくて・・・・。

それでも、外れつづけた。5月の半ば、会社のYOSHIOと酒場巡りのメンバー、チーちゃんとで平和島に出掛けた。その日もオヤジの予想したボートは全部買った。全部外れた。が、自分の予想した舟券が偶然にも当った。これまでの最高だった。オヤジに、祝儀だと万札を一枚渡したら「いいんですか?」と、驚いた顔をした。

                               

こんな偶然、出会い頭のホームランと云うことである。これで、それまでの連敗した分を取戻してお釣りがきた。一緒に居た二人にも、祝儀を渡せた。でも、オヤジの予想で取りたかったよ。帰りしな『オヤジさんの最後の日には必ず来るよ』といって、平和島を後にした。

5月26日、この日は平日だ。平日なれど、オヤジの最後の日だ。見送らなきゃ・・・、消えてゆく予想屋の最後を。この日の予定を入れないでいたが、塩梅悪く、午後一番で客先での打ち合わせが入ってしまった。取り敢えず、打ち合わせを手早く済ませてから平和島に向かうことにした。こんな時に限って、ダラダラの打ち合わせだ・・・・。

漸く平和島に着くと、レースは八レースが始まる処であった。オヤジに『どうですか?』と訊く。「この前のレース、当りましたよ」と、嬉しそうに応えた。そりゃ良かった。と次のレースの予想を貰った。当然、オヤジの予想を中心に舟券を買う。最後に当てて、笑って送りたいのだ。

その日の、僕が買う最初のレースは・・・、これが当った。オヤジの予想したとおりの艇が1・2・3着で入ったのだ。配当は、7540円/百円也。オヤジの引退の花道で、最後に取れたのが嬉しかった。七万五千四百円、当然オヤジに大一枚を祝儀で渡した。当ってからの祝儀と、当らないのに貰うじゃ気分が違うだろう。

僕も、最後に行けてよかった。約束を果たせてよかった。取れてよかった。

『調子がよくなったら、電話頂戴よ。飯でも食べましょうよ』と、言って別れた。この日、四十八年に渡ってボートレース場で暮らしを立ててきた予想屋が引退した。その最後の日を見届けることができた。いつか、会える日は来るだろうか・・・・。

 

予想屋の成り立ち、仕組みについて何時か書いてみたい。そんな気がしたのだ。ボートレース場に立つ、一人の予想屋の引退が、そんな気を起こさせたのであった。

ボートレースが始まった頃からの権利?生存権?営業権?で、現在まで予想屋は営業を認めてもらっているそうだ。一代限りで。何れその姿は消えていくのであろう。今いる、最後の予想屋の引退とともに・・・・。

その前に、僕の方がボートレースで遊ぶことを止めているだろうが・・・・・。

 

 

 

 

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優雅なる週末?

2017-07-03 | Weblog

7/3(月) 週末の土日、久々に舟遊びに興じた。先ずは土曜日の午後、平和島で五戦ほどボートレース遊びに興じてから会社に顔を出した。YOSHIOが一人でデザイン作業に勤しんでいた。YOSHIOの出勤予定を聞いての上で会社に出た次第だが、彼は生まれたての「メダカ」を、半裁したペットボトルに入れて持参していた。

                            

このメダカをベランダに置いたバケツで飼うと云うのだ。が、それは思いとどまらせた。陽当たりカンカンのベランダでは水温が上り過ぎてお湯になっちまうよと。金魚鉢でも買ってきて室内で飼うしかないか・・・。

日暮れになって「ちょっぷく」に顔を出した。土曜日の夕に行くのは久しい。何時もの助っ人隊が、ランチ仕舞いの小鉢や、焼き肉&もんじゃ焼きで酒盛りをし、カラオケを始めていた。マイクを持った足元を見ると・・・、なんと足踏みマシンを置き、それを踏みながら演歌を唄っている。道理で、テンポが合ってないわけだ。

退院後のYAMAちゃん店長の健康を気遣ってこんなマシンを入れたそうだが・・・・。オイラもその洗礼を受け、足踏みをしながらマイクを持ったが、どうにもいけない。このマシンが結構に重いので、テンポがずれっちまうのだ。運動になることは間違いない、されど草臥れちまったぜ

                          

飲み唄いマシンを踏み、そんなことの繰り返し。遅くまでやっていた、紋別のばんえい競馬と、高知競馬の最終レースに、七人で馬券を買った外れ!九頭立てを七人が別々の番号を買って当らないとは・・・・。ヘタだね~、俺のボートレースみたいなもんだ。

22時30分を迎え、お開きになった。ただ酒飲んで、摘みを喰って、歌まで唄って遊ばしてもらうとは・・・・。いやはや、申し訳ない限りだ 

 

そして日曜日、昼前に次女が子供を連れて遊びき来た。間もなく二歳を迎える子供の頭をひと撫でし、出掛けた。出掛ける先は、最終日を迎えた平和島だ。暑くなりそうなので、水辺で遊ぼうと云う算段さ・・・。

申し遅れたが、土・日の朝は自分用の朝食を必ず作る。今日はビールを飲むのは止そう、と何時も思いながら・・・。だが、テーブルに菜が並び始めると冷蔵庫の缶ビールに手が出る。作るものが摘みに、それもビールに合うものが多いんだ・・・・。濃いめの味付けが並ぶと云うことか。外で飲むときは、殆ど摘みを口にしないのに。

金曜日は遅くまで飲むことが多い。翌朝、目覚めても体は目覚めてないながら、朝飯の準備を始める。と、飯&ビールのモードにスイッチが入るようだ。悪循環の繰り返しながら、何十年もこんな暮らしをしていると、家人も家族も馴れちゃうらしい。文句の一つも出ればいいものを、何にも出ないのだ。教育の効果と云うやつは計りしれないねぇ~。

水辺の遊びにお話を戻そう・・・。この日、お迎えを頂くはずの奈加野のオヤジは、ゴルフがあると水辺ならぬ里山での遊びへ。それながら「おい、全レースBOXで買ってくれよ」「1-3-5がいいか、1-4-6にするか。どっちがいいかな?」と訊く。『1-4-6が確立が高いんjじゃないかな』と応え、1-4-6のBOX(というのは、この数字ならどんな組み合わせでもOK)を、1レース200円(200円×600円=1200円)買うことを頼まれた。

平和島に行く日曜日は、何時も車で送り迎えをして貰ってる。これしきの頼まれごとは、心よく(?)引き受けるしかない。だろう・・・ネ。

そんなこともあり、この日は、第一レースから参戦となった。吉とでるか凶(狂)と出るか?神のみぞ知る。否、全ては運頼みだ

ボートピア平和島に入ると、先ずはトイレを使うようにしている。前行の最後に記したように、運・ウン・うんですよ。ウンが付いちゃ拙いが、来るように・・・。切実と云うか涙ぐましいこの努力!努力をすれば報われる、と、ひたすら信じて!  そんな訳、なっかろうに・・・・。

と云うことで、六レースまで遊んだ処で、漸くオヤジから頼まれていた買い目がヒットした。この前のレースまでは、面倒なので自分も同じ目を買っていたのに・・・。このレースだけは小銭が足りなくてオヤジの分だけを買ったのだ。なんと云う無常か・・・・。配当は4000円、×二枚で8千円をオヤジはゲット。これまでの出資を相殺すると800円のプラスになった。

                         

                     これぐらいの金額投資なら可愛いね

この時点で暑さと真剣な検討で、すっかり草臥れていた。オヤジに「草臥れたので帰る。オヤジは800円の勝ち。俺はチャラ」と、メールしたのであった。

本当に草臥れてしまった。それまでオヤジと同じ目を買っていたのに、このレースだけ買わないと来るとは。人生の悲劇と無常をたっぷりと味わったのである。

 帰るつもりでいた。が、最後にもうひとレースと気力を絞った。フン切りが悪い男である・・・・。処が、七レース目が来た!。神は、運は、哀れな子羊を見放さず! じやぁネェよ、根性と深い読みだな!。

これで帰ろうとしたが、勝ち逃げはイカンザキと、もう一レースだけ買うことにした。処が、これをまたしてもゲットと、云う運(これはウンだな)に恵まれてしまったのでありんす。

と云うことで、なんとなく上手い具合に治まったボート遊になった。五時過ぎに学芸大学に戻り、都議会選挙の投票に行った。小池知事の一派の勝利は間違いなかろうと思いながら・・・・。

でもさ、議員さんと云うのはプロだよね。そのプロ集団と云うべき候補者がねぇ~・・・・、世間も、酸いも甘いも分らぬような面々の、何という多さよ 

風向きやムード、敵失だけで勝ってもネ…、これからと次回が心配になるよ。と思うのは、私だけかな?。せめて、小泉&安倍&鳩山チルドレンの二の舞、三の舞いにならぬことを願うばかり。

そんなことを思いながら、投票所を後にして買い物に向かった。家人は仕事なので、今夕の飯を作ろうとばかりに。肉を焼き、飯は「タイカレー」と云うことにと、メニューを浮かべながら。今週末にある会社のランチ会では、タイカレーを作る予定でいる。その予行演習とも云えるか。

このカレーを晩飯でたっぷりと頂いた。作り過ぎの誹りは拭えないが、親の敵、ボートレースの仇討と言わんばかりに喰っちまった 

満腹、満杯の腹を撫でながら、部屋に戻ったが動けない。そのまま寝てしまった・・・・。

その報いか?夜中の三時過ぎに目覚めた。それから眠れず、眠らずか・・・・・。

 

六時過ぎに台所に入り弁当の準備に着手。今日は「焼き肉」がメイン。煮物は「蒟蒻&筍・人参・インゲン煮」、焼き物は省略し、茄子&ピーマンの味噌炒め、厚焼き玉子、以上にした。

                            

これ以上作っても弁当箱に収まらないのだ・・・。味付けは御想像にお任せ、特段に変った調理方法はしないので、オーソドックスな味付けである。

                     

                            ご飯の上は、コンブ佃煮

 

 

 

 

 

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