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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

改革者たち 第8回

2015年11月06日 | 日記

将来のことを心配する必要はないんです。私たちはとにかく、何があっても改革者として生きるべきなのです。改革者は偽りの教えや偽りの習慣を捨て、教会の中で、聖書の真理だけを信じて、それだけを語り、苦難と艱難を受ける人たちです。その故に人気を捨て、評判を捨てて、誤解を受けて、兄弟たちから、親戚から、両親からも裏切られ、友人からも裏切られるような、そのような人々となるんですね。しかし皆さん、そのような人は、永遠の神様からの賞与を受けることが出来る人なのです。

サタンはずるがしこい敵です。どうやって人々を欺き滅ぼすか、絶えず研究しています。今まで多くの宗教改革者たちが、サタンとその霊に支配された人々によって迫害され殉教していったのです。ですが、神様は審判されるんです、終わりの時に、神様は民を審判し、真実の神様の民を保護して仲保されるのですね、私はそのような日が近いことを信じています。その日を信頼しています。19節「あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう」。私たちは耐え忍ぶことによって救われるのです。マタイにも「最後まで耐え忍ぶ者は救われると」ありますね。

皆さん、真理のために生きる時、率直な真理を語るようになる時、教会で隣に座っていた、一緒に礼拝していた皆さんの回りの人々から、憎しみを受けるようになるのです。兄弟姉妹たちが、親戚や友だちが、皆さんを嫌うようになるのです。まるで大悪人であるかのように、私たちを見るようになるのです。そのように、忌み嫌われるようになってしまうのです。私たちはそのような迫害を受けるのですね。

皆さんは、毎日の生活において、真理のための改革者となることを望んで下さい。真理の光を掲げて下さい。信仰の火を燃やして、まことの福音を伝え、恐れを抱かずに語って下さい。知恵をもって正しい道を選んで下さい。真理から1ミリも離れることがなく、神様のために、真理のために、全力を尽くすのが改革者である私たちの役割です。自分のために生きるのではありません。神様のために生きるのです。その時、迫害を受けるようになります。しかし主のために受ける迫害は、私たちの特権となり、主の栄光となるのです。


改革者たち 第7回

2015年11月05日 | 日記

   迫害と守り

このようなことは100年前には出来ませんでした。50年前でも出来ませんでした。今なのです。この時代こそ、御国の福音を全世界に伝える時となったのです。昔はインターネットがなかったのですね。ラジオもテレビも、全世界をつなぐ電話網もありませんでした。今は、全世界が、飛行機や通信手段を通して、一つにつながっているのです。全世界に福音を伝えることが可能なのです。

教会が準備されるなら、改革者たちが起こるなら、福音は速やかに全世界に宣べ伝えられるのです。その時何が起きますか?今私たちは、何を待っているのですか?迫害を待っているのです。迫害ですね。迫害というような言葉を聞くと、多くの人は嫌がり恐れます。こういった話を聞くことは好きでない人々が多いですね。「牧師先生、これから迫害が来るのを待っているのですか?」と言うかもしれません。待っているわけではないのです。迫害はイエス様が来られる最後のしるしなのですね。それを通るならば、イエス様がいらっしゃるのですね。

私たちが迫害を受ける時、「ああどうしよう、もう爪をはがされたり、打たれて叩かれて、もう火の中に入れられたり、水の中に沈められたり、穴の中に突っ込まれたりされるのだろうか?」、そういったことばかり考えて恐れる人がいますね。

それはちょっと間違っていますね。私たちが迫害を受ける時、そういったふうに拷問を受ける人たちもいるでしょう。殉教する人々もいるでしょう。聖書はそう言っています。でもすべての人ではないのですね、そういった人々は特別な人々で、選ばれたそういった人々がいるのです。証のために。全ての人が殉教してそのような苦しみを受けるわけではありません。イエス様はそのようになさいません。イエス様は私たちをご存知で、私たちを最も良い道に導かれます。それを信じるべきです。今からそういった将来のことを心配する必要はないのです。イエス様はご存知で、全てを見ていて下さいます。

「しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう」(21:16)。ここをよく読んで下さい。ここには、「殺される者もある」とあって、全員がそうではないと言われています。ちょっと慰めになりますね。

「また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう」(21:17)。いつクリスチャンは全ての人に憎まれるのでしょうか。これは獣の刻印の後なのです。全世界が神の印か獣の印のどちらかを受けた後、つまり救いが決定した後、獣の刻印を受けた人々が、真の改革者たちを滅ぼそうとします。その時、全ての人から憎まれるようになるのですね。そのあと18節にはこのようにあります。

「しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない」。多くの人は預言を見る時こういう所をよく見ていないのですね。ここになんと書いてありますか? 「あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない」と、迫害を受けて艱難に入る時には、多くの人々は「髪の毛一すじでも失われることはない」ほど神様は保護して下さいます。そういった中で殉教する人や獄に入れられる人もいるでしょう。誰かはわかりません。皆さんの中の誰かかもしれません。皆さんの中でそのように信仰の強い人、おられますか?神様がヨブのように、安心して、神様の義の証人として試みに合うことをゆだねられる人がいますか?神様はご存知ですね。

 


改革者たち 第6回

2015年11月04日 | 日記

    福音の証

ところで、真の改革者たちは多くはいないんですね。ほんの少数の人々なのです。多くの人々は、自分自身が惜しくて、自分の評価や自分の人気が、自分の事業が、教会での立場が、人々に認められることが、神様の使命よりも大事なのです。それで誰が改革者になるでしょうか。昔、改革者たちが起きた時、ヨーロッパの小さな国々から起きました。神様は、大きな教会の有名な指導者たちにその働きを任せることが出来なくて、一般の人々、本当にごく普通の人々、ただ正直な心と道徳的な思いを持ち、神様に忠実な人々を起こして、驚くべき働きをされたのです。そのような人々に宗教改革の働きが任されました。

同じようなことが、終わりの時代に繰り返されるのですね。皆さん、今私はマタイによる福音書24章を見ましたけど、再臨の前兆については、ルカによる福音書21章にも書いてありますね。ルカによる福音書21章11節を見てみます。「また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう」(21:11)。私たちが生きているこの時代こそ、こうしたことが起きている時代ではないでしょうか。「しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう」(21:12)。

皆さんご存知ですか、最近アメリカで、いろいろな法律が通過しているのですけど、もうこの民主主義の国に、いったいどしてこのようなことが起こるんだろうと思うくらいに、おかしな法律が通過していっています。これからアメリカ経済が破綻して、略奪や暴動などが起きてきたりします。その時にこれをどうやって鎮圧するか、そういった治安を守るためという名目で、各種の法律が出来ています。これはもう次第にアメリカが軍国主義になってもおかしくないほど、法律の整備がなされています。みなさん軍国主義の時代にあったこと、そこでどういったことが起きたかご存知ですね。軍国主義の時代というのは、もう人を殺すことを正当化するためにいろんな法が整えられていくのです。

今は、私たちは悪いことをすると裁判所で裁かれます。ところがこれからは、軍事裁判にかけられるようになって来るのです。やがてそうなっていきます。またこれからは、法律によって、個人が種を蒔いたり、農業したりすることが出来なくなってしまうような、恐るべき時代がやって来ます。今の時代は、やがて立ち上がる改革者たちを滅ぼすために、前もっていろいろな準備がされています。そのような中で、誰が勇気をもって真理のために、主のために、神様の国のために、旗を掲げるでしょうか。改革者たちが今準備されなければなりません。

昔、ヨーロッパの小さな国々から、改革者たちが立ち上がりました。彼らが苦しみと迫害の中、真理の光を掲げ続けて下さったことによって、私たちは聖書の光を受けたのです。

御言葉はこのように言っています。「しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう」(21:12、13)。マタイによる福音書にありましたね。御国の福音が全ての民に対して証しされると。そしてルカの21章13節には「それは、あなたがたがあかしをする機会となる」とあります。迫害を通して証をする機会となるのです。このように牢獄に引っ張られていくこと、獄に入れられることが証となるのですね。そのように聖書は言っています。

このような出来事を通して真理は証されます。迫害を受けることは、私が証をする機会となるとイエス様はおっしゃっています。みなさん、人々の評価や評判を気にしながら、人々の目をうかがいながら、どうしてこのような、投獄や裁判にかけられるような艱難を通ることが出来るでしょうか。真理の確信がなくて、どうやって艱難の時に証をすることが出来るでしょうか。御言葉はこのように教えています。

「だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから」(21:14、15)。敵が来ても、反論することのできないほどの知恵と言葉を与えると、イエス様はおっしゃったのですね。聖霊を通して知恵を与え、語るべき言葉を与えると、これ何のことでしょうか?これが証なんです。御国の福音を全世界に証する、そのことをイエス様は約束されたのですね。


ハルマゲドンの戦いとは 最終回

2015年11月03日 | 日記

ハルマゲドンとはヘブル語で、「メギドの山」という意味です。メギド平野から眺めたときに見える山は、まさにカルメル山です。エリヤがバアルの預言者たちと一大決戦を繰り広げたあの有名な山です。そこでエリヤは、バアルの預言者たちに対抗して、誰が真の神であるかを示す大きな霊的な戦いを経験しました。イスラエルの民は、バアル神が、先祖をエジプトから導き出してくださったエホバなる主であると思っていました。彼らはそのように、徹底的な欺瞞の中にいたのです。

その日バアルの預言者たちは、バアル神によって天から火が降るように祈り、半狂乱となり、奇妙な音楽に合わせてダンスを踊りました。バアルの預言者たちは、自分の身を刀ややりで傷つけながら一日中声を上げ叫びましたが、火は降りませんでした(列王記上18章参照)。

しかし、エリヤは控えめで穏やかに、かつ真剣に神様に祈りました。彼の祈りは簡潔で、率直でした。その時、真の神から火が降ってきて、供物と祭壇をすべて焼き尽くし、エリヤの信じていた神様が真の神様であることが証明されました。驚いたイスラエルの民に、エリヤは彼らを欺き、騙してきたバアルの預言者たちを殺すように命令しました。 

まさにこのメギドの山(カルメル山)で、エリヤとバアルの預言者の間に起きたことが、歴史の終わりの時代に霊的な戦いとして再現されます。そこでは、天地を創造された真の神様を礼拝するか、人間が造った神様を礼拝するかが問われます。しかもそのときには、黙示録13章にあるように、偽預言者は天から火が降るようにさえすることが出来ます。ですから私たちは、あらゆる感覚的証拠にも屈しないで、真理のみ言葉と、真理のみ霊によって研ぎ澄まされた識別力を持っていなければ、欺かれてしまうのです。

 それほど遠くない将来に、地球最後の戦いであるハルマゲドンの戦いが開始されます。今その準備が着々と進められています。二つの陣営しかありません。私たちはそれぞれ自分の陣営を選び、最後の戦いの準備をしなければなりません。誰も中間の立場をとることは出来ません。私たちが自分自身に尋ねるべき最後の質問はこれです。

「私は真の神様の印を受けるのだろうか?獣の刻印を受けるのだろうか?」 

「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい」(列王記上18:21)


ハルマゲドンの戦いとは 第34回

2015年11月02日 | 日記

4)ヨハネの黙示録に登場する米国

 

ところで、獣の刻印を強要して、その前でしるしを行う勢力である偽預言者について、黙示録13章ではその正体が暴露されています。その勢力は、二本の角が付いている小羊のような獣と言われています。この小羊のような獣は、黙示録13章の最初の獣である、ローマ教皇が死ぬほどの傷を受ける時期(ローマ法王ピウス6世が1798年にナポレオンの勢力によってフランス刑務所に連れて行かれ、そこで死に、中世期の1260年間続いてきたローマ教皇の勢力が没落した事件をいう)に起こる国です。それは、この時期に起きて、小羊の二本の角のように、宗教自由と共和政体という特徴を持った国、アメリカを置いて他にありません。米国の建国は1776年なのです!しかし、この小羊のような獣が、やがて最初に出てきた獣であるにローマ教皇のためにしるしを行い、惑わすと説明しています。

 

このような理解を持ってヨハネの黙示録13章11-16節を読んでみてください。

「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ・・・」。

 

黙示録19章には、獣と偽預言者が捕まって滅ぼされる姿が描写され、黙示録20章では、龍がこの地に千年の間縛られている姿が出てきます。悪人はすべて滅ぼされ、義人は天に昇った後、荒廃して誰もいなくなったこの地球上には、サタンと邪悪な霊だけが寂しく残って、誰一人惑わす者がいない状態で縛られている光景が、黙示録20章前半に出てきます。