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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

完全な屈服  第2回

2015年11月11日 | 日記

 生きた供え物となる

「それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである」(ローマ12:2、3)。

 

私たちが生きた聖なる供え物となって、徹底的な、全的な屈服をしなければ神様の御旨、御心を知ることは出来ません。もう一度言いますと、私たちの中に何か欲望があるなら、神様に捧げていない何かを持っているなら、そういったものがあるなら神様の御旨を知ること、神様を知ること、そういうことが出来なくなるのです。心が全く新しくされないなら、私たちは神様の御心を正確に、明らかに知ることが出来ない、このようなことを聖書は言っているのです。

ですからこの御言葉をゆっくり瞑想してみますと、結局私たちは、完全に神様のものであるか、全くそうでないか、二つのうち一つしかないということなのです。ところが多くのクリスチャンは、神様の御心を求めてお祈りして、ある程度神様の御心だと思って行動したり、いろいろな選択肢の中でこれが御心に違いないと思って選んだりしています。多くの人がそのような状況にあるのではないでしょうか。実際に、主が「行きなさい、止まりなさい、これをしなさい」、と言われる時、それを正確に知り、その通りに行っている人は本当に少ないですね。私たちが自分自身を、徹底的に生きた供え物として捧げる経験がなければ、神様の御心、何が善で、何が喜ばれるかを知ることはできないのです。

ある程度神様の御心を行っているようかに見えても、本当は神様の心ではない、ただ自分の道に行っているのですね。このことを知ることはとても重要なことです。スタート地点では同じように見えても、ずっと先までいくと、最後の最後になると、全く違う道だったということになってしまうのです。麦と毒麦が分けられる時、その中間にあった人、そういった人々も全部毒麦として、もみ殻としてふり払われてしまうのです。ですから、誰が神様の御心を行ったのか、誰が神様の民であるかが、自分を生きた聖なる供え物として捧げているかどうかによって判断されるのです。神様が働いておられたか、おられなかったか、神様が支配されているかそうでないか、神様の御心を行ったのか自分の思いを行ったのか、神様の静かな声を聞いたか聞かないか、それによって、どちらかに区分されるのですね。


  完全な屈服  第1回  デイビット・カン

2015年11月10日 | 日記

   主に降伏すること

神様が私たちを救われる働きが100%であったとしても、私たちが主に献身することがなければ、救いを受け取ることが出来ないことは、私たちはよく知っていますね。皆さん、予定説を信じる人々もその事実を結論的には認めているのです。ところで、私たちが神様に献身するとはどのようなことでしょうか。献身ということについて、神様が私たちに求めておられることは、屈伏なのです。屈伏と言うのは、ほかの言葉にしますと降伏なのです。それでは屈服、降伏というのはどこまででしょうか?何を屈服するのでしょうか。何について降伏するのでしょうか?私たちが献身という時、何をどこまで捧げるのでしょうか?そのことについてはっきりと理解する必要があると思います。今日これからの時間は、私たちが自分の人生を振り返って、もう一度、主の前に心をささげ、屈服するべき時間です。

ローマ書12章1節、2節をお読みします。

「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」。

ここで言われている、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい」というのは、聖所の中で、燔祭をささげることを意味しています。焼くことです。燔祭を捧げるというのは献身を意味しますね。旧約聖書の供え物には4つの種類がありました。まず、燔祭と酬恩祭、これは感謝の捧げものを表していました。神様がしなさいと言われたからするのではなく、自分が喜んで捧げたいと望んだ時にするべきものでした。

それに対して、必ずしなければならないものは、罪祭と愆祭(けんさい)でした。罪祭と言うのは罪を犯した時、その罪を赦していただくために捧げるものでした。愆祭は聖なる物や他人の所有物を盗んでしまったとか、そういったことについて神様の赦しを受けると同時に、損害を与えた人に対して弁償することでした。聖書によりますとその弁償法は、損害額相当分と、プラス20%を増額して、合計120%相手に支払うことでした。愆祭ではそのようなことをしました。

ところで皆さん、燔祭というのは献身を表すと言いました。私たちが神様に罪を告白して赦しを受ける時に、同時に、私の人生は主のものであって、心も体もすべてを主に捧げ、私の人生はあなたの人生ですと言うこと、それが燔祭を捧げるということなのです。徹底的に捧げることを意味しています。

神様が全てを捧げて御子を与えてくださったように、御子イエス様が神様にご自身を捧げて神様に従われたように、私たちもすべてを、何も残すものなく主に捧げてしまうこと、これが燔祭を捧げることの意味ですね。

聖書は、「あなたがたのからだを神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい」と言いますここに「生きた聖なる供え物として」とありますが、死んだ供え物ではなく、生きた供え物となることが大切なのです。皆さん、生きた供え物を捧げるほうが、死んだ供え物を捧げることよりも難しいのです。生きるということは、死ぬことよりもある意味難しいのです。     

もっとゆっくり考えてみますと、生きるということは大変なのですね。多くのクリスチャンは、死ぬ前に全てを捧げます。罪を告白して悔い改めて、自分が出来ないことを主に助けていただき、全てを主にゆだねて死ぬんですね。死ぬ前に献身することはよくあります。死にそうになった時献身することは難しいことではありません。ですが、死の直前にいるような心を持って生きるということは、もっと大変なことなのですね。今日私が死ぬか、明日死ぬかというような気持ちで毎日を生きること、今まさに死ぬような目にあっているときに持つような信仰、死を目前にして持つような献身、悔い改め、屈服、それを私たちは今持つべきなのです。死ぬときに持つような心を持つ必要があります。それが生きた供え物なのです。ですから、生きた供え物と言うのは本当に尊いことなのですね。


改革者たち  最終回

2015年11月09日 | 日記

宗教改革の時代、神様に召されていろいろな国に御国の福音が伝えられた時に、ウイッテンブルグにいた学生たちは、故郷へ帰るとき、改革者の信仰をスカンジナビア半島に伝えました。北欧の人々は、純朴で単純なバイキングの血を引く人たちでした。その人々は、ローマカトリックの迷信や腐敗、誤謬、華美を捨てて、純潔で単純で命を与える聖書の真理を歓迎しました。そして学生たちによって、多くの人が真理を信じました。

デンマークの改革者タウセンという人は、農夫の息子でしたが優秀な人で、修道院からケルン大学へ行き教育を受けました。そのとき彼はルターの著書を手に入れ、それによって真理を受け入れ、ウイッテンベルグ大学へ入学して聖書の教えを学びました。デンマークへ帰ってからは修道院の中で、純粋な信仰と聖い生活に導こうと努め、聖書の意味を説明し、信仰による義、救いの唯一の希望であるキリストを宣べ伝えました。修道院から追放されたタウセンは、デンマーク中で説教し、やがてデンマークでは、改革主義信仰が承認されることになりました。

スウェーデンにも大きな働きをした指導者がいました。オラフ・ペトリとローレンティウス・ペトリという兄弟でした。彼らは鍛冶屋の息子たちでしたが、ルターとメランヒトンの下で学び、学んだことを熱心に人々に伝えました。彼らは暴徒たちに襲われることもしばしばありましたが、王様の保護を受けて、教会の教えではなく、聖書だけが信仰と行為の基準であることを主張しました。そしてスウェーデンでは国会が改革主義を受け入れる決議をしました。 

皆さん、私がこのような話をしているのは、世の中が暗くなればなるほど、恐れることなく信仰の火を掲げる人がどれほど多く出るか、それを知ってほしいからなのですね。 

オランダで宗教改革が始まった頃、こんな話があるんですね。改革信仰を信じたということでつかまり、火刑を受けることになった夫たちに対して、妻たちは火刑柱のそばに立って夫が火に耐えている間、慰めの言葉をかけ、詩篇を歌って夫を励ましたのです。

また男子は剣で殺されましたが、女性は生き埋めにされることがありました。その時、少女たちは、夜寝床に入るように、生きながら墓に横たわりました。また。婚礼の衣装のような最上の服を着て絞首台や火刑台に進んでいったのです。

皆さん、そのように出来るでしょうか。これが改革者たちなのです。サタンに支配されたこの世の人々から迫害され、苦難を受けるようになるのです。その時私たちは、神様のために生きる、真理のために生きることを選ばなければなりません。

終わりの時代、イエス様が来られる前にも、同じようなことが繰り返されるのです。そうやって御国の福音が、証として全世界に伝えられていくんです。全ての民に証されて、それから終わりの時が来るのです。

お祈りいたしましょう。

慰め深い天の父なる神様、私たちはただ神様の栄光のため、真理を高く掲げるために生きることを望みます。自分のために生きることを忘れました。主よ、私たちを助けて下さい。私たちが生きている間、私たちが語り、表現することができる間、主が私たちの口に知恵を与えて下さい。命が与えられている間、私たちを神様の改革者とさせて下さい。この世が暗くなる時、真の改革者たちが現れ、再び迫害の火が燃え上がるようになります。その時が間近になっていることを感じます、いまこの静かな時に、主に従うことが許されている時に、多くの改革者を準備させて下さい。イエス様のお名前によって心からお祈りいたします。アーメン


改革者たち 第10回

2015年11月08日 | 日記

シモンズは25年間、妻と子供を連れて旅を続け、大きな困難と欠乏に耐えながら伝道活動をしました。ずっと耐えて苦難を受けて、もう本当に命をかけて福音を伝えていったわけです。その結果オランダは宗教改革の最も重要な場所となりました。ピューリタンたちがアメリカに向かう前にオランダへ来て、そこでシモンズたちの教えを聞いてからからアメリカに行った人々がいたんです。

 

ドイツでの話ですけれど、カール5世の時に、宗教改革者たちは最も恐ろしい迫害を受けました。信者たちを滅ぼすために、聖書を読めば牢に送られ、祈ったり詩篇を歌ったりする、そういうことは禁止されたんです。もう考えられないような宗教迫害が行われたんです。

またオランダでは、ある家族がミサに参加しないで家で礼拝していたという理由で、家族全員が捕まって宗教裁判にかけられたのです。その時裁判官の前に一番下の子供が、「私たちは家でひざまずいて神様が私たちの心を照らし、私の罪を赦して下さるようにと祈ります。私たちは王様のために祈り、王様の時代が平安と幸福であふれるように祈ります。私たちは神様の前に政府を保護して下さるように祈ります」と答えたんですね。そうすると裁判官の中には深い感動を受けて、裁判官の服を置いて、これ以上裁判が出来ないといって何人か去って行くほどでした。

私たちにもこれから、このようなことが起こるのです。現代にも宗教改革者たちが起こらなければ、改革者が立ち上がらなければなりません。私たちも本当の真理と教理を伝えて、間違っていることを、どこが間違っているのか悟ってもらう必要があります。そのためにインターネットやDVDなどを通して、私たちはこのような礼拝の時を持っているのです。

 

皆さん、昔ワルデンセスの住んでいたアルプス山脈、フランスのピエモンテの山々の中、そこに行って見ると、どれほど感動的か分からないですね。そこに洞窟があるんです。洞窟の中へ入ってくとホールのようになっていて、何十人と入れる場所があります。そこでワルデンセスの人たちが礼拝していましたが、その時、異端を撲滅しようとする軍隊に攻撃されました。その軍隊は、洞窟の入り口で火を焚いたのですね。火の煙は穴の奥まで入って行って、人びとはその中で命を落としたり、苦しくて外へ出てきた人も殺されてしまいました。そのように残酷に殺されていきました。アルプスの白い雪の山に、多くの人の赤い血が流されました。真理のために生きることによって迫害を受けて命を落としたのですね。

現代のクリスチャンはどうでしょうか。現代は、本当に弱い、弱い信仰ではないでしょうか。本当に自分のことしか考えなかったり、自分の評判と人気しか考えないような人がたくさんいます。そのような中から、果たして真の改革者が起こるのでしょうか。


改革者たち 第9回

2015年11月07日 | 日記

  名もない改革者たち

私は、ヨーロッパの宗教改革者たちのある人たちを紹介したいと思います。マルチン・ルター、ツウィングリー、フス、ジョン・ノックス、ジョン・ウェスレーなどそういった名前のある人々ではありません。本当にごく少数の人たちですが、真理のために驚くべ生き方をした人たちです。そして、私たちもそういった驚くべき働きをすることが出来るということをお伝えしたくて紹介します。

16世紀に、オランダのアムステルダムで活動した、宗教改革の先駆者の一人で、メノー・シモンズという人がいました。アナバプテストの人でした。アナバプテストとは再洗礼派という意味です。この時代は、みんな幼児洗礼を受けていました。どうして幼児洗礼を受けるのですか?洗礼、バプテスマを、何も分からない幼児が受けるというのは、聖書的ではないのではないか、そのようにこの人は感じたのです。彼は、ローマカトリックの神父だったのですけれど、聖書について目が開かれたのですね。最初、再洗礼派という異端の人々を滅ぼそうと、一生懸命になっていていました。ところがいろいろ教理を調べていくうちに、あれ、これどうなの?と、そういう思いが起きてきたのです。

彼は、神父だったのですけど、異端の教理を調べていくうちに、何が聖書の真理であるかを悟って行ったのです。カトリック教会では、聖餐式の時のパンとブドウ汁は、化体説と言って、本当のイエス様の肉と血に変わると信じていました。そのような教えを信じていたのです。パンが本当のイエス様の肉に代わり、ブドウ汁が本当の血に変わるということを信じていました。ところが良心の声が聞こえてきたのですね。これがどうやってイエス様の肉になるのだろう、イエス様の血になるんだろうと、実際に食べてみて、そういうことが気になって仕方がなかったのです。本当にそんなことが起きるのだろうかと悩みました。その疑問を打ち消そうとするのですが、消えませんでした。ところが聖書を研究して悟ったのです。カトリック教会で教えられていることの中に、たくさんの聖書的でないものがあることに気付いてきました。

また、幼児洗礼についても疑問が起きてきました。バプテスマは本来信仰の告白として行われるものですから、バプテスマを受ける人は信仰を持っていなければならないはずなのに、何もわからない子供にバプテスマを施すことにどんな意味があるのだろうと考えました。今の時代にはそれは当然のことと思われるかもしれませんが、カトリック全盛時代には、幼児洗礼を否定するというのはとんでもないことで、シモンズの近くの村では再洗礼を受けた人が死刑に処せられるほどでした。しかしシモンズは、幼児洗礼ではなく、成人の信仰によるバプテスマを行うべきだと言って、そのことを命がけで伝えるようになったのです。

ところがこの時代には、オランダやドイツに、秩序を乱し、暴力と反乱を引き起こす狂信的な信仰を持った人たちがたくさんいました。この狂信的な運動と改革運動は混同されて、大きな苦しみを受けることになりました。もともとこれらの狂信的な人々は、真理がなかったから、真理を探して狂信的になっていったのですね。しかしそれらの狂信的な人々から、その教えを捨てて正しい聖書の教えを受け入れる人たちもたくさん出てきました。

またこのあたりには、昔からのクリスチャンとして、ワルド派の教えを受け継いでいる人たちがいました。昔ワルド派の人々が播いた小さな種が実って、使徒たちが伝えた信仰を守っていた人々がいました。そういった人々が集まって、正しい働きをしていったのです。